おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

森の石松

2023-05-01 07:00:14 | 映画
「森の石松」 1949 日本


監督 吉村公三郎
出演 藤田進 殿山泰司 轟夕起子 朝霧鏡子 飯田蝶子 笠智衆
   三井弘次 安部徹 志村喬

ストーリー
百姓石松(藤田進)は今年も地主の旦那の家で一番茶の作業を終え、わずかの手間賃をふところに友人吾作(殿山泰司)との帰り途、知り合いのお新(朝霧鏡子)の茶店に寄り、ちょうど開帳していた島千鳥(志村喬)のバクチ場に手を出してスッテンテン。
しおれてお袋(飯田蝶子)のところへ帰ったがつくづく百姓がいやになり侠客になろうと決心し、お袋や吾作の止めるのも聞かず、茶店のお新に教えられ当時名代の清水次郎長の子分になろうと生まれ故郷をあとにする。
さて清水港で次郎長の子分にはなったものの、そう簡単にいい顔になれるはずはなく、毎日沖仲仕の仕事でつくづくいやになり逃げ出したところがつかまって海の中へたたき込まれ、やっとはい上って港屋でヤケ酒。
その時出入りがあって港屋のお藤(轟夕起子)の兄でこれもヤクザの半七(安部徹)が石松を呼びにくる。
お藤は利口者、兄の半七にヤクザの足を洗えと説くが、半七は「命を張った男渡世だ!」と勇んで出入りにとび出していく。
出入りでは半七が相手の鉄砲に撃たれて死に、石松は捨て身の刀で九六を倒したが片目となってしまった。
時が流れてあのとき以来、めきめきと売りだした森の石松は今では子供の手マリ唄にまでうたわれ、清水港を肩で風切って歩いている。
港屋のお藤はヤクザをやめれば一緒になるというけれど、石松はいとしい女よりヤクザが大事という始末。
さてその年の金比羅まいり、親分の代参で石松が行く事になる。
無事に代参をすませ、船問屋からの集金をふところに清水へ帰る船の中。
町人たちの下馬評で、次郎長親分が日本一、その子分に石松ありと褒められて、すっかりいい気持ちになった石松は陸へ上って、同船の連中に大盤振舞。
親分の金を使い込み、弱った果てに故郷に寄り、昔の島千鳥のバクチ場で一かせぎしようとしたが目がでない。


寸評
今では描かれなくなったキャラクターの森の石松だが、子供の頃には随分と映画に登場した人物である。
僕が見ただけでも中村錦之助に、昭和の歌姫だった美空ひばりも演じていたし、何といっても「次郎長三国志」の森繁久彌が印象深い。
その他にもエノケンこと榎本健一や片岡千恵蔵、フランキー堺、勝新太郎もやっていたし、調べると田崎潤や大木実、堺駿二に長門裕之なども演じていたようである。
大抵の作品では次郎長一家として、大政、小政、増川の仙右衛門、大瀬の半五郎、桶屋の鬼吉、法印の大五郎、追分の三五郎、大野の鶴吉、関東の綱五郎などが登場する。
もちろん森の石松はなじみが深いし、兄弟分の吉良の仁吉も良く登場する。
すらすらと名前が出てくるのは、それだけ多く次郎長一家を描いた作品を見てきたためだろう。
この作品ではそれらの子分は一人も出てこず、次郎長も登場しないと言っていいぐらいで、森の石松一人に的を絞っている。

出だしでは貧乏百姓の石松が茶店のお新にそそのかされて賭場に出入りしたことからヤクザになるまでが描かれるが、このお新は石松にとっては貧乏神のような女性である。
次郎長の子分となった石松はうだつの上がらないヤクザ生活をしているが、出入りがきっかけで良い羽振りとなるまでが前半部分と言える。
相手の親分を斬ったことで石松は売り出すのだが、親分との斬り合いは威勢のいいものではない。
親分が石松に斬りかかったところ、刀が鴨居に刺さってしまい身動きが取れなくなったところを刺し殺すという、なんともあっけない顛末なのだ。
喧嘩の始まる前も命惜しさに双方が間近でにらみ合っているだけで、争いごとのバカバカしさを示している。
このバカバカしさは武士である新選組の芹沢鴨と勤王の志士である月形半平太の決闘で風刺的に描かれる。
二人ともボロボロの衣服でみすぼらしく、掛け声を掛け合うだけのもので、見物人に早くやれとはやされる始末で、おまけに月形半平太の刀が折れて逃げ出すというオチ迄ついている。

後半はお藤とのじれったい関係を描いた後で、いよいよ知れ渡っている金毘羅さんへの代参が描かれていく。
省くことができないのが次郎長の子分に石松ありと褒められていい気になる三十石船でのやりとりだ。
僕には広沢虎造の浪曲が耳に残っているのだが、それは多分ラジオから流れてきたものだったはずで、テレビのなかった時代は浪曲もラジオ番組の一つだったのだろう。
広沢虎造のだみ声が記憶の中にあるのだから、子供ながらに何度も聞いていたに違いない。
耳に残るのは、船客に次郎長を誉められ石松が相手とかわすやり取りである。
「江戸っ子だってねえ」、「神田の生まれよ」、「そうだってねえ、スシ喰いねえ、酒飲みねえ」というものだ。
浪曲では最後に、「石松は強いが馬鹿だ」と言われて石松が怒り出すのだが、ここではそのシーンはない。
「馬鹿につける薬はない」とか「馬鹿は死ななきゃ治らない」とか、ヤクザ男のバカさが何度も語られる。
バカが高じて石松は殺されるが、この場面のライティングはモノトーンの効果もあってすごくいい。
石松の仇を取るのだと駆けだす次郎長の子分たちのバカさを描いて、この映画は痛快なうちに終わるが、女のお藤には石松がヤクザの足を洗って真面目になるという事を信じるバカな面があったのがいじらしい。