おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋

2022-04-03 08:13:21 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」 1982年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 いしだあゆみ 下絛正巳
   三崎千恵子 太宰久雄 佐藤蛾次郎 吉岡秀隆
   前田吟 笠智衆 柄本明 津嘉山正種
   杉山とく子 関敬六 片岡仁左衛門

ストーリー
葵祭でにぎわう京都、鴨川べりで休んでいた寅次郎は、ひとりの老人と知り合った。
孤独な感じの老人に寅次郎は声をかけ慰めたところ、老人はうれしくて先斗町の茶屋に寅次郎を誘った。
老人は加納という有名な陶芸家だった。
酒に酔い、翌朝、寅次郎は加納の家で目がさめ、その立派さにびっくりしてしまう。
そして加納家のお手伝い・かがりと会う。
かがりは丹後の生まれで、夫は五年前に病死、故郷に娘を置いてきていることを知った。
加納は弟子の蒲原とかがりが夫婦になることを望んだが、蒲原は他の女性と結婚するといい、それを聞いたかがりは丹後へ帰ってしまった。
旅に出た寅次郎、足がむいたのは丹後で、かがりは思いのほか元気だった。
その夜、偶然二人きりになってしまい、まんじりともしない一夜を過ごした。
そのことを気にしつつ、東京に帰った寅次郎が再び旅に出ようとした矢先、かがりがとらやを訪ねて来た。
帰りぎわに鎌倉の紫陽花で有名な寺で待っているという手紙をにぎらされた。
当日になると一人では心細いと、甥の満男を一緒に連れて出かけた。
満男を同行した寅次郎をみて、かがりの表情には落胆の色が浮かんだ。
かがりは胸のうちを寅次郎にぶちまけるチャンスもなく、そのまま丹後に帰ってしまった。
かがりは本当は寅次郎が好きだったのでは、と言うさくらに、あんな美人で賢い人が俺のようなヤクザを思うわけがないと言ってとらやを後に旅立っていった。
数日後、さくらのもとにかがりから故郷で元気に働いているとの便りが来た。
そのころ信州の古い宿場で寅次郎は加納の名をかたって瀬戸物を売っていた。
寅次郎の前にひょっこり姿をあらわしたのが寅次郎のさすらいの生活にひかれて旅に出た加納だった…。


寸評
僕は丹後地方へ3度ほど旅したことがある。
一度目は学生時代、丹後ちりめんの機織りの音がする海岸近くの田舎だった。
若い人の姿は見えず、随分と淋しい町だと思ったことがよみがえってくる。
二度目は親しくしていた近所の人と丹後半島の間人(たいざ)へカニを食べに行ったのだが、伊根の街並みは車で通り抜けただけだった。
三度目は会社の忘年会で、再び伊根を通り過ぎただけだったが、道の駅から伊根の船宿を遠望した。
舞台となった京都の鴨川べりも、五条坂も知った場所ではあるが、やはりかがりさんの田舎である伊根が懐かしいし、伊根の景色が清楚なかがりさんによく似合った。
あじさい寺や江の島のかがりさんより、伊根のかがりさんがステキだった。

かがりさんを訪ねて寅さんは「誰を怨むってわけにはいかないんだよなこういうことは。そりゃ、こっちが惚れてる分、向こうもこっちに惚れてくれりゃぁ、世の中に失恋なんていうのはなくなっちゃうからな。そうはいかないんだよ」 となぐさめるが、それは寅さんが幾度と体験してきた経験談でもある。
この時、かがりは寅さんにほのかな思いを抱いていたのだろうか。
そうだとすれば、赤い鼻緒の下駄を上げた時だろう。
何かをあげることで愛情の表現となることは、例えば「緋牡丹博徒 お竜参上」における今渡橋でのミカンにも見られるように度々モチーフとして描かれてきた。
笑顔を忘れていたかの様なかがりは、寅さんからもらった下駄を抱いてニッコリ微笑むのである。

寅さんはかがりの家に泊まることになるが、ここでの寅さんの様子はやけにシリアスである。
子供を寝かしつけに寝床に入ったかがりの素足が見える。
かがりは寅さんが寝ている部屋へ忍び入る。
窓を閉め、電気を消し、寅さんの横で彼を待つが、寅さんは寝たふりをしてそれに応えようとしない。
かがりさんの清楚な雰囲気からは想像できないような女性の情念がほとばしり出る場面だ。
あれれ・・・、これは喜劇映画じゃなかったのかと言いたくなるシリアスな場面だ。
結婚願望は強いのに、結局は結婚することを拒否してしまう寅次郎なのである。

寅さんはとらやを訪ねてきたかがりからそっと手紙を渡され、鎌倉のあじさい寺でデートする。
珍しく寅さんは女性の方から言い寄られたのである。
寅さんは常に片思いの恋をしているが、女性の方で寅さんへOKという意思表示をしたのは第十作「寅次郎夢枕」における、お千代坊の八千草薫以来ではないか。
満男はかがりと別れた寅さんが電車の中で涙を流すのを見る。
おそらく満男はこれから恋愛経験豊富な寅さんの影響を受けていくのだろうが、その最初の出来事だっただろう。
関西歌舞伎の重鎮、片岡仁左衛門がさすがのオーラを出していた。
彼の言う「こんなええもん作りたいとか、人に褒められようてなあほなこと考えてるうちは、ろくなもんでけんわ」とは我々の社会生活への警告でもあった。