「母べえ」 2007年 日本
監督 山田洋次
出演 吉永小百合 浅野忠信 檀れい 志田未来
佐藤未来 中村梅之助 笹野高史 吹越満
左時枝 小林稔侍 鈴木瑞穂 倍賞千恵子
戸田恵子 大滝秀治 笑福亭鶴瓶 坂東三津五郎
ストーリー
昭和15年の東京で家族と共に倹しくも幸せに暮らしていた野上佳代(吉永小百合)だが、反戦思想を持ったドイツ文学者の夫、滋(坂東三津五郎)が治安維持法違反で検挙されてから、その暮らしは一変する。
不安を募らせる野上家に、一筋の光として現れたのが、滋のかつての教え子である山崎(浅野忠信)だった。
小さな出版社に勤める彼は、不器用だが優しい性格で長女・初子(志田未来)と次女・照美(佐藤未来)に親しまれ、“山ちゃん”の愛称で野上家に欠かせない存在となる。
滋がいつ帰れるか全く見通しが立たないため、佳代は小学校の代用教員として一家の家計を支え始める。
帰宅すれば深夜まで家の雑事に追われる毎日の中、滋の妹の久子(檀れい)が時折手伝いにきてくれた。
そして夏休みの間だけ、叔父の仙吉(笑福亭鶴瓶)が奈良から上京してくる。
変わり者の仙吉は、デリカシーのない発言をして思春期を迎えた初子に嫌われてしまうが、その自由奔放な姿は佳代の心を癒した。
昭和16年に入り、佳代の故郷・山口から、警察署長をしていた父・久太郎(中村梅之助)が上京してくる。
思想犯となった滋との離婚を命じるためだが、佳代の心は少しも揺るがなかった。
そしてその年の12月8日、ついに太平洋戦争が勃発。
昭和17年に入り、滋が獄死し、その悲しみに追い打ちをかけるように、山崎に赤紙が届く。
3年後、ようやく終戦となるが、山崎は戦死し、久子は故郷の広島で被爆して亡くなっていた。
そして現在、美術教師となった照美(戸田恵子)は、初子が医師として勤める病院に入院している佳代の容態が悪化したと聞き、病院に駆けつける。
寸評
黒澤明作品の常連スタッフで知られる、野上佳代の自伝的小説を映画化したものだが、 野上佳代を演じた吉永小百合の頑張りが目に付く。
この時、吉永は62歳で映画の中では9歳の娘を持つ母親役である。
30歳は若い人物を演じていたわけで、さすがに日本で一番美しい62歳と思わせる奮闘ぶりである。
少々無理もあるのではないかと思わせるが、海岸を走り、海に飛び込み人命救助するアクションシーンまで必死にこなしているのを見ると頑張っているなあと思わせる。
いくら水泳が得意だと言っても、走る姿などを見ると気の毒に思え、ほかに適役がいなかったものかと思ってしまったのだが、そう思わせるほど吉永小百合は頑張っていたと思う。
この映画の役者はみな上手に仕事をこなしているが風貌に反して芝居は上品だ。
現実の野上佳代さんのイメージはない。
それは映画なのでまあいい。
夫である滋、その教え子である山ちゃんが髪の毛がバサバサの冴えない姿で登場するが、どこかに気品を漂わせている。
滋は大学の先生だし、山ちゃんはその教え子だから、当時としてはインテリ層でそんな雰囲気を持っていたのかもしれないが、やはりハイソサエティを感じさせる。
滋の妹の久子を演じた檀れいも吉永に負けず劣らず、どこかいいとこのお嬢さんといった感じである。
借家住まいの生活に苦しむ一家だが、落ちぶれた上流階級の人たちの様な感じだ。
日本映画史に燦然と輝く宝石のような映画女優に、この役を与えたためのものだったのかもしれない。
山ちゃんは佳代の歌う姿に見とれ、そのことを通じて山ちゃんの佳代への思いを表現している。
一方、山ちゃんを送る久子は十五夜の月を見上げる場面で自分の気持ちをほのめかす。
あくまでも秘めた思いなのだ。
三角関係がもっと濃密に描かれるかと期待したが、まったくもって簡単な結末で終わってしまった。
人情ホームドラマ的なユーモアは健在だが、終盤になると山田洋次の持つ左翼思想が出てきて左翼プロパガンダ的演出が見受けられる。
僕が山田洋次をそのようにみているせいかもしれない。
それでも、戦争は庶民の幸せを奪い取ってしまうものなのだという思いは感じ取ることが出来る。
父を父べえ(とうべえ)、母を母べえ(かあべえ)、長女初子を初べえ(はつべえ)、次女照美を照べえ(てるべえ)と呼び合うユニークな家族の親子愛を描いた作品だったのだが、最後はやはり戦争反対だった。
別に悪いことではないのだが。
しっかり者の初べえ(倍賞千恵子)が医者になり、久子から私より絵が上手いと言われていた照べえ(戸田恵子)が美術の先生になっていたので、野上家はその後まあまあいい暮らしが出来たのではないかと想像。
良かったと思ったが母べえが最後に「向こうに行けば父べえにも久子おばさんにも山ちゃんにも会える」と言われ、「死んでから会いたくない、生きて会いたかった」と囁くのはやはり戦争への大きな抵抗だったように思う。
監督 山田洋次
出演 吉永小百合 浅野忠信 檀れい 志田未来
佐藤未来 中村梅之助 笹野高史 吹越満
左時枝 小林稔侍 鈴木瑞穂 倍賞千恵子
戸田恵子 大滝秀治 笑福亭鶴瓶 坂東三津五郎
ストーリー
昭和15年の東京で家族と共に倹しくも幸せに暮らしていた野上佳代(吉永小百合)だが、反戦思想を持ったドイツ文学者の夫、滋(坂東三津五郎)が治安維持法違反で検挙されてから、その暮らしは一変する。
不安を募らせる野上家に、一筋の光として現れたのが、滋のかつての教え子である山崎(浅野忠信)だった。
小さな出版社に勤める彼は、不器用だが優しい性格で長女・初子(志田未来)と次女・照美(佐藤未来)に親しまれ、“山ちゃん”の愛称で野上家に欠かせない存在となる。
滋がいつ帰れるか全く見通しが立たないため、佳代は小学校の代用教員として一家の家計を支え始める。
帰宅すれば深夜まで家の雑事に追われる毎日の中、滋の妹の久子(檀れい)が時折手伝いにきてくれた。
そして夏休みの間だけ、叔父の仙吉(笑福亭鶴瓶)が奈良から上京してくる。
変わり者の仙吉は、デリカシーのない発言をして思春期を迎えた初子に嫌われてしまうが、その自由奔放な姿は佳代の心を癒した。
昭和16年に入り、佳代の故郷・山口から、警察署長をしていた父・久太郎(中村梅之助)が上京してくる。
思想犯となった滋との離婚を命じるためだが、佳代の心は少しも揺るがなかった。
そしてその年の12月8日、ついに太平洋戦争が勃発。
昭和17年に入り、滋が獄死し、その悲しみに追い打ちをかけるように、山崎に赤紙が届く。
3年後、ようやく終戦となるが、山崎は戦死し、久子は故郷の広島で被爆して亡くなっていた。
そして現在、美術教師となった照美(戸田恵子)は、初子が医師として勤める病院に入院している佳代の容態が悪化したと聞き、病院に駆けつける。
寸評
黒澤明作品の常連スタッフで知られる、野上佳代の自伝的小説を映画化したものだが、 野上佳代を演じた吉永小百合の頑張りが目に付く。
この時、吉永は62歳で映画の中では9歳の娘を持つ母親役である。
30歳は若い人物を演じていたわけで、さすがに日本で一番美しい62歳と思わせる奮闘ぶりである。
少々無理もあるのではないかと思わせるが、海岸を走り、海に飛び込み人命救助するアクションシーンまで必死にこなしているのを見ると頑張っているなあと思わせる。
いくら水泳が得意だと言っても、走る姿などを見ると気の毒に思え、ほかに適役がいなかったものかと思ってしまったのだが、そう思わせるほど吉永小百合は頑張っていたと思う。
この映画の役者はみな上手に仕事をこなしているが風貌に反して芝居は上品だ。
現実の野上佳代さんのイメージはない。
それは映画なのでまあいい。
夫である滋、その教え子である山ちゃんが髪の毛がバサバサの冴えない姿で登場するが、どこかに気品を漂わせている。
滋は大学の先生だし、山ちゃんはその教え子だから、当時としてはインテリ層でそんな雰囲気を持っていたのかもしれないが、やはりハイソサエティを感じさせる。
滋の妹の久子を演じた檀れいも吉永に負けず劣らず、どこかいいとこのお嬢さんといった感じである。
借家住まいの生活に苦しむ一家だが、落ちぶれた上流階級の人たちの様な感じだ。
日本映画史に燦然と輝く宝石のような映画女優に、この役を与えたためのものだったのかもしれない。
山ちゃんは佳代の歌う姿に見とれ、そのことを通じて山ちゃんの佳代への思いを表現している。
一方、山ちゃんを送る久子は十五夜の月を見上げる場面で自分の気持ちをほのめかす。
あくまでも秘めた思いなのだ。
三角関係がもっと濃密に描かれるかと期待したが、まったくもって簡単な結末で終わってしまった。
人情ホームドラマ的なユーモアは健在だが、終盤になると山田洋次の持つ左翼思想が出てきて左翼プロパガンダ的演出が見受けられる。
僕が山田洋次をそのようにみているせいかもしれない。
それでも、戦争は庶民の幸せを奪い取ってしまうものなのだという思いは感じ取ることが出来る。
父を父べえ(とうべえ)、母を母べえ(かあべえ)、長女初子を初べえ(はつべえ)、次女照美を照べえ(てるべえ)と呼び合うユニークな家族の親子愛を描いた作品だったのだが、最後はやはり戦争反対だった。
別に悪いことではないのだが。
しっかり者の初べえ(倍賞千恵子)が医者になり、久子から私より絵が上手いと言われていた照べえ(戸田恵子)が美術の先生になっていたので、野上家はその後まあまあいい暮らしが出来たのではないかと想像。
良かったと思ったが母べえが最後に「向こうに行けば父べえにも久子おばさんにも山ちゃんにも会える」と言われ、「死んでから会いたくない、生きて会いたかった」と囁くのはやはり戦争への大きな抵抗だったように思う。