おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ヒトラー ~最期の12日間~

2021-10-02 07:47:05 | 映画
「ヒトラー ~最期の12日間~」 2004年 ドイツ / イタリア


監督 オリヴァー・ヒルシュビーゲル
出演 ブルーノ・ガンツ
   アレクサンドラ・マリア・ララ
   ユリアーネ・ケーラー
   トーマス・クレッチマン
   コリンナ・ハルフォーフ
   ウルリッヒ・マテス

ストーリー
1945年4月20日。
ソ連軍の砲火が押し寄せるベルリン。
ヒトラーとその側近たちは、総統官邸の地下要塞に避難していた。
もはや側近たちも敗戦を覚悟し、ナチス・ナンバー3の地位にあるヒムラー警察長官でさえ、ベルリンからの逃亡を総統にすすめるほどだった。
判断力を失ったヒトラーは、わずかに残った軍勢に戦況の挽回を命じ、惨状をさらに悪化させてゆく。
総統への狂信的な忠誠から、満足な武器を持たずソ連軍の攻撃に立ち向かう子供たちを含めた民兵がいる一方、それに参加しない市民は寝返りを疑われ親衛隊の手で容赦なく射殺される地獄絵図が展開されていた。
最期まで運命をともにしようとする者、袂を分かって逃亡を謀る者、酒と享楽に溺れて現実逃避する者。
側近ヒムラーやゲーリングらの裏切りが伝えられ、最終決戦を決意したヒトラーは全ての兵力をベルリンに集結させるようゲッベルスに指示するが、ドイツ軍にそんな余力は残っていなかった。
遂に敗北を覚悟したヒトラーは18年にわたり彼の愛人だったエヴァと質素な結婚式を挙げ、翌日二人でピストル自殺をし、遺言により死体は焼却される。
一部始終を間近で目撃していた総統付き秘書のユンゲはそれらの事実を伝えるためにベルリンを脱出するのだった・・・。


寸評
戦いに狂気した総統アドルフ・ヒトラーの一面と、エヴァやユンゲに見せる私人としての彼の優しさの一面の対比にゾクッとする。
ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツの熱演が光る。
ドラマが進むうちに、どんどんヒトラー本人にしか見えなくなってくる。
最後の最後になってもヒトラーにしか頼ることが出来ない人々の不幸を垣間見た。
人間ヒトラーを描いたところで、その残虐性や狂気が肯定されるわけではなく、そのことはしっかりとスクリーンに刻まれている。
しかも、そうした残虐性や狂気の責任は、彼を支持し従ったドイツ国民にもあることが示されている。
国家はリーダーを誤ってはいけないのだ。
国体が崩壊して降伏したドイツと、国体を維持して降伏した日本の違いも感じることが出来たが、日本もアホなリーダーの登場には気を付けないといけない。

あれだけの大量ユダヤ人虐殺をやっていたにもかかわらず、ユンゲに代表される一般国民はその実態を全く知らなかったのだろうか?
ユンゲの独白が最後に流れて、そのことに対する彼女の衝撃を知らせて映画は終わるけれど、やはり戦争になると生命の危険という恐怖よりも、戦いの実態が国民に知らされないのだという真の恐怖を感じた。
ユンゲが秘書になったのは1942年の11月だから、ドイツはまだソ連に攻め入っている時で、レニングラードの攻略失敗前の時期だ。
それから2年半の絶頂期から最後の自決までの転落を見ているはずなのだが、その変化は描かずに最後の最後だけを描いている。
ヒトラーが死亡し敗戦だって見えているのに、それでも勲章を授与し、それを誇らしげに受けるシーンが一番の風刺場面だったと思う。
彼の死後もその幻影にしがみついて、徹底抗戦を叫んだり、あるいは後を追うように自殺する人々のようすを描くことで、ヒトラーの責任と同時に、その台頭を許したドイツ国民の責任を厳しく突きつけている。

頭を打ち抜かれた弾丸の後、土砂に埋もれた死人の顔など戦争の悲惨さを嫌というほど見せつけ、絶望のあまりの狂喜と快楽の場面も人間の弱さを描いていたと思う。
反面、いざとなると女性が見せる強さも描いていて、子供たちを道ずれに自殺するゲッベルス夫人マグダの事務処理的な態度に嫌悪感すら抱いた。
そしてそれを見守ることしか出来なかった男の弱さもあった。
差しのべた夫の手を払いのけて表に出て行き、そして夫の構える銃口の前にたじろぎもせず立つマグダに女のすごさを感じた。
そして結局のところユンゲと子供の逃避行を見ると、生命力がたくましいのは女と子供なのだと思わずにはいられない。
ヒトラーを取り巻くナチスの人間たちの群衆劇としては非常に面白い出来になっていたと思う。
でもなぜ今ヒトラーなの?