おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

2021-10-29 09:13:08 | 映画
「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」 2007年 日本


監督 吉田大八
出演 佐藤江梨子 佐津川愛美 山本浩司
   土佐信道 上田耕一 谷川昭一朗
   吉本菜穂子 湯澤幸一郎 ノゾエ征爾
   永作博美 永瀬正敏

ストーリー
両親の訃報を受け、音信不通だった長女・澄伽(佐藤江梨子)が東京からふらりと実家に戻ってくる。
女優になることを目指して上京していた澄伽は、自意識過剰な勘違い女。
自分が女優として認められないのは、家族の、特に妹・清深(佐津川愛美)の犯した消し難い行為のせいだと思い込んでいる。
それは四年前のことで、上京を父親の曽太郎(上田耕一)に反対された澄伽は、父をナイフで切りつけようとして、止めに入った兄・宍道(永瀬正敏)の額に消えない傷跡を作ってしまうなど、数々の痴態をやらかした。
その一部始終を、清深は漫画に描いて投稿。
それが新人賞受賞作としてホラー漫画雑誌に掲載されてしまったのだ。
まもなく東京の所属事務所をクビになった澄伽は、新進映画監督の小森哲生(土佐信道)と文通しながら、実は肉体関係を持っている宍道、彼の元に嫁いできた度を越したお人好しの兄嫁・待子(永作博美)、そして清深のいる実家でわがまま放題を始める。
やがて澄伽のもとに、次回作のヒロインとして起用したいという小森からの手紙が届き、澄伽は有頂天となる。
そのことで一家に平和が訪れるかと思いきや、澄伽は宍道と待子がセックスしているところを目撃し、嫉妬心から再び宍道に脅しをかけた。
家族の板挟みとなって絶望した宍道は、ある日、仕事場で不慮の死を遂げる。
やがて秋。密かに、再び姉をモデルにした漫画を描いていた清深は、ホラー漫画雑誌のグランプリを受賞。
東京で漫画家になると宣言し、さらに、小森の手紙はすべて自分が書いたものであることを姉に告げた。
逆上した澄伽は、故郷を去っていく清深に必死で喰らいつくのだった。


寸評
この映画を理解するためには、舞台となる和合家の家族構成を理解しなければならない。
兄の宍道は父の後妻の子で、澄伽と清深姉妹とは血がつながっていない。
宍道の妻である待子は捨て子として施設で育ったので天涯孤独の身で、ほかに行くところがない身の上である。
宍道は世間体があるから待子と結婚しただけで特に愛情があるわけではない。
血のつながっていない宍道と澄伽はかつて関係を持ったことがあるとういう複雑な関係。

澄伽は才能も仕事も無いくせに、「自分は他人と違う」と思い込んでいる自意識過剰女である。
主人公にサトエリをキャスティングしたのがこの映画の評価要因としては最大。
「演技が下手で、性格の悪い女優志望の女」って、まさにピッタリのイメージだ。
サトエリは普通の役は無理だろうが、こういうエキセントリックな役柄ならばだいぶ見られるようになっている。
でもまあ、キューティーハニーだけの役者のだろうけど、ここでは結構頑張っていた。
妹に自分が売れない原因はアンタの漫画だと言いがかりをつけて陰湿なイジメを繰り返す。
いくら妹に傷つけられたといっても、「ここまでやるか?」てなスサマジイ行為の連続で、こんな性悪女はいないと全ての観客に思わせる。
映画はどこかにリアリティを有していないと共感できない側面を持っていると思うのだが、この澄伽の自己中心的な発言と行動は誇張があるものの、身の回りには必ずと言っていいほど存在しているようにも思うので、絵空事としての印象は湧かない。
「お前、何様だ」とか「それだけ言うお前は、一体どれほどのことが出来るのだ」と言いたくなる相手に出くわした経験って、誰でも持っているのではないか?
そういう自分もその内の一人である可能性はあるのだが・・・。
兎に角、サトエリ澄伽の言いたい放題、やりたい放題が映画を引っ張る。

それを際立たせているのが、永作博美演じる兄嫁待子の能天気なほどの明るさだ。
待子はまるで奴隷か召使の様な扱いを受けているが、自分をごまかすためでもあるのか底抜けに明るい。
気持ちの悪い人形を楽し気に作っている変な女であるが、結局あの家を乗っ取ったような展開になるから、この女が一番強かったのかもしれない。
そもそもこの映画には変な人間しか出てこない。
悲しい場面でも必要以上に感情移入を求めることはしないので悲壮感は薄く、 変な人間達を生き生きと描いていっているのがいい。
前述したように、キャラクターは誇張されているものの、どこか回りにこういうヒトいるなと思わせる要素を持っているので 、キャラクター細部にそうしたリアリティを感じるから、ナンセンスな展開になっても観客はついていける。

残念に思ったのは、清深が次回作を手掛け始めたことを事前に挿入したことだ。
それによってラストの盛り上がりが透けて見えてしまい、残念なことをしたと思う。
たびたび「家族なんだから」とそれぞれの人に発言させていたが、それに対する答えがなかったことも一抹の寂しさを覚える。