1月17日。
不幸な事故によって、タレント風見しんごさんのお嬢さんがまだ10歳という幼さで亡くなったが。
私は、この話題をTVで見るたびに不快になる。
「風見さんはいまだ悲しみの中にいる」
とか、
「床に声をあげて泣き崩れた」
とか。
最愛の我が娘を失った父親の姿を、メディアはどうしてそんなに詳しく追いたがるのだろう?
いまだ悲しみの中にいる?
当たり前だろ。
数日前に娘を失って、そう早々と悲しみから抜け出せるわけがない。
それなのに『いまだ』だと?
仕事とはいえ。
彼を囲むレポーターには人の心がないのだろうか?
奴らは。
もし、自分の子供が同様の事故により不幸にして亡くなった場合。
あんな風に
「今のお気持ちは?」
「犯人に対してのお気持ちは?」
と聞かれて、その質問者を許すことが出来るのだろうか?
確かに芸能人は、公私の区別は一般人よりない。
スキャンダルさえ一種の宣伝であるのだし、いつもはそれらを売り物にして生活をしているのだから、ある程度のことには答える義務があるだろう。
しかし。
せめて家族の誰かを亡くしたときぐらいは、一切、本人からの申し出がない限り取材をしないという協定ぐらい作れないものか。
通夜・葬儀に出席した人間の自己顕示欲を満足させるような取材はしないでおけないものか。
ああ、本当に嫌だ。
萩本欽一が芝居がかった態度で
「奥さんに娘さんの最期の言葉はなんだったの?と聞いたらこう答えた」
と、インタビューに答えていたのも、本当に本当に許せない。
娘を亡くした母親にそんな質問をすること自体が許せないが、さらにそれをカメラの前で披露するなんて。
ああ、はらわたが煮えくり返る。
極楽とんぼ山本のときにも、あの事件を利用した萩本欽一には反吐が出たが、今度はもっとだ。
でも、きっと世の中の善良なおじさんおばさんはそんなこと気づかずにあの芝居がかった態度を信じるんだろうなぁ。
ああ。
すごく嫌だ。
この世は穢いね。
不幸な事故によって、タレント風見しんごさんのお嬢さんがまだ10歳という幼さで亡くなったが。
私は、この話題をTVで見るたびに不快になる。
「風見さんはいまだ悲しみの中にいる」
とか、
「床に声をあげて泣き崩れた」
とか。
最愛の我が娘を失った父親の姿を、メディアはどうしてそんなに詳しく追いたがるのだろう?
いまだ悲しみの中にいる?
当たり前だろ。
数日前に娘を失って、そう早々と悲しみから抜け出せるわけがない。
それなのに『いまだ』だと?
仕事とはいえ。
彼を囲むレポーターには人の心がないのだろうか?
奴らは。
もし、自分の子供が同様の事故により不幸にして亡くなった場合。
あんな風に
「今のお気持ちは?」
「犯人に対してのお気持ちは?」
と聞かれて、その質問者を許すことが出来るのだろうか?
確かに芸能人は、公私の区別は一般人よりない。
スキャンダルさえ一種の宣伝であるのだし、いつもはそれらを売り物にして生活をしているのだから、ある程度のことには答える義務があるだろう。
しかし。
せめて家族の誰かを亡くしたときぐらいは、一切、本人からの申し出がない限り取材をしないという協定ぐらい作れないものか。
通夜・葬儀に出席した人間の自己顕示欲を満足させるような取材はしないでおけないものか。
ああ、本当に嫌だ。
萩本欽一が芝居がかった態度で
「奥さんに娘さんの最期の言葉はなんだったの?と聞いたらこう答えた」
と、インタビューに答えていたのも、本当に本当に許せない。
娘を亡くした母親にそんな質問をすること自体が許せないが、さらにそれをカメラの前で披露するなんて。
ああ、はらわたが煮えくり返る。
極楽とんぼ山本のときにも、あの事件を利用した萩本欽一には反吐が出たが、今度はもっとだ。
でも、きっと世の中の善良なおじさんおばさんはそんなこと気づかずにあの芝居がかった態度を信じるんだろうなぁ。
ああ。
すごく嫌だ。
この世は穢いね。
風見しんごやモー娘のヨッシーの弟もそうだけど芸能人、一般人にかかわらず身内、それも子供を亡くした親の気持ちを土足で踏み込んで聞くなんて失礼!悲しいに決まってる。それ以外の感情があるのか?事故や事件があったと言う事実は報道しなければならないのかもしれないけど執拗にインタビューするのは止めてほしいといつも思うし見る側も望んでないと思う。もし見たいと思う人がいるなら自分の身内に置き換えてそれが大きな間違いだと気がついて欲しいです。
欽ちゃんって、前から偽善ぽいなって思ってる。
主人と風見しんごちゃんの会見、見ていたけど声が かすれていて、泣くまいと必死だった。主人が 「もう いいだろう そっとしといてやれよ 」 テレビに向かって怒っていた。 私もそう思った。
どんなに親しい友人や先輩であっても。
言ってはいけないこと、聞いてはいけないことがある。
いえ。親しいからこそ、相手の気持ちを慮って言えないことがあったり、沈黙が優しさと思うときがあるというのに...。
萩本氏の発言、行動はすべて自分の評価に繋がる損得勘定で動かされているようにしか見えません。
親が子を失って悲しみの底にいるというのに、他人のクセして記者たちの前でそれに関してベラベラ喋り、偉そうにし、芝居がかった悲嘆にくれてみせる。
人として最低のことです。
まっちゃんのいうとおり、我が子を失った親はずっと死ぬまでその悲しみから逃れられないでしょう。
それなのにメディアではもう「仕事復帰はいつか」とか書きたて、きっと彼を追いまわし続けるのでしょう。
娘を失った父親の憔悴した姿を、そのカメラにおさめたいがために。
そんなの誰が見たいというのでしょう?
報道の必要があるというなら。
危険運転や、スクールゾーンが事実上無視されていること、それらに焦点をあて、報道するべきでしょう。
そして、本人が「交通安全を訴えたい」と言ったとしたら、そこで初めて取材をするべきだと思います。
TVを見ている人たちは見たがっていないものを、勝手に「みんなが見たがっている」と解釈して暴走する、知性も節度もない卑しいメディア。
彼らは自分達がこの国をダメにしているのだということに気づいているのでしょうか?
世の中には、偽善者と偽悪者(ホントはいい人)がいるといいますが、萩本氏は偽善者の中でも最低だと思います。
極楽山本の事件のときもそうでしたが、球団で頑張っているなんの関係もない選手達を無視して「やめる」と言ってみたり、自分が可愛がっていたはずの山本の話を聞いてもあげずに「何も言うな」と言って電話を切ったり(これは萩本氏本人がTVで言っていたことです)。
本来なら、自分が可愛がっていた人間のいうことは信じてあげるでしょう?
萩本氏は山本が事件に巻き込まれたことで(少女とは合意の上ということですから)、芸能界から消えかかっていた自分の復活のチャンスだと喜んだのではないでしょうか。
そして、今回のこの不幸な事故も、もしかしたら自分の利益に結びつけるかもしれない。
だとしたら、とても恐ろしいことです。
でも、あの芝居がかった態度は、それを確かに計算しているように見えて...。
誰かの不幸の上に立って、関係ない人間が金儲けをする。
売名行為をする。
野次馬根性を満足させる。
本当に最低の世の中です。
ましてや、子を失った親の悲しみを見世物にしようとするなど。
人間には決してしてはいけないことがあるのに、今のメディアと萩本氏は、すでに人間ですらないのではないかと、腹立ちと嫌悪でいっぱいです。
娘を亡くした親の気持ちをこれっぽっちも考えてないような発言でしたね。
その場におったら顔面殴ってやりたいぐらいムカつきました。
自分のことしか考えてないやつが最後は嘘泣きまでしてほんと呆れる…寒気すらしました。
私もテレビで欽ちゃんのあの発言を見たとき、え?何か違うんじゃないの!?それは言うべきことなの?とその態度にも疑問を覚えました。
球団を辞めると言った時も、他の選手達は?何のために球団作ったんだっけ・・!?と変に思えました。
でも、欽ちゃんが言うことだからそれでいいのかなぁ・・・なんて自分の中でうやむやにしていました。
そうです。「欽ちゃんはいい人」なのだという世間の固定観念が私にもすっかり植え付けられていたのです。
だからそれが正しいのだろうとなんとなく自分に納得させそれ以上考えることをしませんでした。
でもそれはそら恐ろしい固定観念だったのだと気づかされ、そんな自分に寒気がしました。
自分で疑問に思ったことおかしいと思ったことをしっかりと考えてみること。
erimaさん気づかせてくれてありがとうございます。
善人づらしている人間に本当の善人はいないものですが、萩本氏はまさにその典型ですね。
あんな嘘泣きに世間は騙されているのだと思うと、本当にぞっとします。
人の不幸の上に立って、金儲けをし、虚栄心を満足さ
せ続ける萩本氏。
願わくば、彼に不幸を利用される人間がこれ以上増えないで欲しい。
何より、お嬢さんを失った上にあんな質問をされて、あげくさらし者のようにされてしまった親御さんたちの傷をこれ以上深いものにしないで欲しいです。
「欽ちゃんは楽しい人」「欽ちゃんはいい人」
子供の頃、萩本氏の番組を見て育った私たちの世代には、そんな固定観念が確かに一時期までは植え付けられていたと思います。
何より昔はTVで見ること、人物像がそのまま信じられていましたから、それも仕方のないことなのかもしれませんし、当時は情報量が圧倒的に少なかったですから、それも致し方ないことだったと思います。
しかし。前回の山本事件では萩本氏の素顔がよく出ていましたね。
都合の悪いことには耳を塞ぎ、自分の保身だけを考え、事件を利用した。
私は当初、山本をはめたのは萩本氏ではないかと疑っていたくらいです。
(もとより萩本氏は球団を財政難から辞めたがっていたらしいとか、あの事件でかえって財政難が解消されたなんて話もありますしね)
まあ、そこまで疑い深いのもどうかとは思いますが...(苦笑)
しかし、山本が仮にはめられたとして、それはある程度はめられたほうも悪いとしても。
今回のように人の死を利用するようなやり方は絶対に許せない。
萩本氏の中では、自分の周囲にいる人間は、すべてただの駒に過ぎないのかもしれませんが(でなきゃあんなに人の心を無視した行動言動は出来ませんもの)、少なくともそれを見ている人間は、きちんと彼が何をしているのか、どんな人間なのか見極めないといけないのではないでしょうか。
そしてそれは萩本氏の件だけに限らず、すべてのことにおいて必要なのだと思います。
これだけ情報が溢れ、何が嘘か本当かわからない昨今には特に...。
ひと握りのある人々のために、おかしいことをおかしいまま通してきた。
それが今の社会を作ったのだとすれば。
私たちひとりひとりが、物事をきちんと捉え、考え判断することが大事なのかもしれませんね。