弘前の桜は圧倒的な美しさでした。
今回の旅の主目的は宮城県気仙沼でしたが、
「せっかくだから」と組み込んで良かった!
偶然とはいえ、満開バッチリのタイミング。
いとも簡単に崩れるものだな、と思う。
超えられない壁というものは。
たとえば手に持ったものを静かに置くとか、
扉をそっと閉めるとか、
何かを渡す時には両手で、とか、
相手に道を譲るとか。
私たちの生活にあった、
当たり前のそれらのことは、
『文化』そのものではなかったか。
たとえば『外の世界』から人が来て、
彼らが彼らのルールを押しつけようとしても、
それらはなかなか壊れないもののはずだった。
コンビニで、外国人店員と日本人店員の違いは、
かつては明らかだったはずだ。
差別で言っているのではない。
『違い』の話をしているのだ。
袋に、入れるモノの順番を考えながら、
そっと商品を詰めてゆくのが日本人。
音を立てて、雑に放り込んでゆくのが、
外国人店員。
おつりの札も、向きを揃えてきちんと渡すのが日本人。
ガサガサガサと乱雑に、
向きのことなど考えず、
片手で出すのが外国人。
それは『超えられない壁』のはずだった。
重ねて言うが、差別で言っているのではない。
むしろ労働に対する態度としては、
日本人なんかより、
彼らは数段懸命であり、
もはや追い越されていると感じる。
だからこそ、
『超えられない壁』くらいは守れ、
と思うのだ。
それぐらい守れないなら、
いったい何で勝負出来るのだ?と。
自動的におつりが出るレジになって以降か...。
日本人店員も、お札の向きや、
その差し出し方に意識がなくなった。
「そんな下らないことに拘るのは」
と思う人もいるかもしれないが、
『習慣』や独自の美意識こそが、
文化で、違いで、大切なのではないのか。
(我々だって外国に行けば、
彼らの美意識からは許せないことを
無意識にしているのだろう)
私が最近遭遇したそれらの事が、
たまたま、であったことを私は祈る。
怠け者で文句ばかり言い、
気弱なくせに図々しい、
美意識も思いやりもない人々、
と、私たちが認識されないように。
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