子供にとって、自分の親が『最低の人間』であることを認めるのは辛いものだ。
(私自身の経験から言っても)
また、その『最低の親』に育てられた子が、その事実に気づくのはとても難しい。
ある時期まで、子にとって親は自分の世界の大半をなしている存在であろうし、その子の価値観のベースを形作る上において、親の教え、親の姿が大きな影響を与えるのは明らかだ。
親のほうにどんな思惑があろうとも、親がどれだけ身勝手であっても。
子供は親に、ある時期まで全幅の信頼を寄せるものだ。
.....たとえその親に捨てられたとしても。
私にはそれがよくわかる。
しかし、ある時期から、子は親を『一人の人間としてどうであるのか』、判断せねばならない。
常識はあるか。
思いやりはあるか。
卑怯ではないか。
自己中心的な人物ではないか。
その判断が出来るようになったとき、それまで歩んできた道と、己がこれから歩むべき道がよく見えるようになってくる。
世間で騒がれている亀田一家の問題。
私はあの長男を見るたびに切なくなる。
最低の親に間違った価値観を植えつけられ、過剰な自己投影をされ、いい時だけ『俺の子』と言われる。
問題が起きればオヤジは素早く逃げて、後に残されたのは子供の純粋な親を思う気持ち。
兄弟を守りたいと思う気持ち。
それだけだ。
今まで味方になってくれていた大人達は「それとこれとは別」と、冷ややかな目で遠巻きにヒソヒソ声で何事かを囁き、真ん中に経たされた20歳の子供は全身をハリネズミのようにして震えるだけ。
汚い、ウソだ、誰も信じられない、と。
しかしそれでいいのだと思う。
大人になる過程はそこから始まる。
『こいつらいつか見ていろ』と、悔しがるのもまたよしだ。
世の中は矛盾で出来ている。
そしてその世間の矛盾こそが、己の生きている社会を支えているのだと、いつか気づけばいい。
敬語がなっていない?
では完璧に使いこなせるようになればいい。
身なりが悪い?
それなら皆さんのお気に召すよう、身なりをととのえて出かけてみればいい。
世の中なんてちょろいもんだ。
敬語が完璧に使えれば『しっかりしてる人』と言われ、
挨拶が出来れば途端に『いい人』と呼ばれる。
着るものがきちんとしていれば買い物へ出かけても店員の態度すら変わるし、もしかするとサービスのひとつも受けられるかもしれない。
腹の中で舌を出したとしても。
それらのことを実行し続けていれば.....いつかは。
なぜきちんとした敬語が必要なのか。
身なりをととのえねばならないのか。
その理由が見えてくる。
そして、それが見えたとき、自分の親がどんな人間であるのかも、自然に見えてくるはずだ。
世の中は汚いものでいっぱいだけど、そんなに捨てたものでもないということも。
ピンチはチャンスだ。
自分をピンチに追い込んだものの懐に飛び込んで、味方につけるチャンス。
それがわかったとき。
『この野郎、いつか見返してやる』が、『こうなっておいてよかった』になるだろう。
人は多くのものを吸収して初めて、いつかそこから優しさを滲ませることが出来るのだから。
<以前に書いたこの問題についてはコチラ>(←クリック)
(私自身の経験から言っても)
また、その『最低の親』に育てられた子が、その事実に気づくのはとても難しい。
ある時期まで、子にとって親は自分の世界の大半をなしている存在であろうし、その子の価値観のベースを形作る上において、親の教え、親の姿が大きな影響を与えるのは明らかだ。
親のほうにどんな思惑があろうとも、親がどれだけ身勝手であっても。
子供は親に、ある時期まで全幅の信頼を寄せるものだ。
.....たとえその親に捨てられたとしても。
私にはそれがよくわかる。
しかし、ある時期から、子は親を『一人の人間としてどうであるのか』、判断せねばならない。
常識はあるか。
思いやりはあるか。
卑怯ではないか。
自己中心的な人物ではないか。
その判断が出来るようになったとき、それまで歩んできた道と、己がこれから歩むべき道がよく見えるようになってくる。
世間で騒がれている亀田一家の問題。
私はあの長男を見るたびに切なくなる。
最低の親に間違った価値観を植えつけられ、過剰な自己投影をされ、いい時だけ『俺の子』と言われる。
問題が起きればオヤジは素早く逃げて、後に残されたのは子供の純粋な親を思う気持ち。
兄弟を守りたいと思う気持ち。
それだけだ。
今まで味方になってくれていた大人達は「それとこれとは別」と、冷ややかな目で遠巻きにヒソヒソ声で何事かを囁き、真ん中に経たされた20歳の子供は全身をハリネズミのようにして震えるだけ。
汚い、ウソだ、誰も信じられない、と。
しかしそれでいいのだと思う。
大人になる過程はそこから始まる。
『こいつらいつか見ていろ』と、悔しがるのもまたよしだ。
世の中は矛盾で出来ている。
そしてその世間の矛盾こそが、己の生きている社会を支えているのだと、いつか気づけばいい。
敬語がなっていない?
では完璧に使いこなせるようになればいい。
身なりが悪い?
それなら皆さんのお気に召すよう、身なりをととのえて出かけてみればいい。
世の中なんてちょろいもんだ。
敬語が完璧に使えれば『しっかりしてる人』と言われ、
挨拶が出来れば途端に『いい人』と呼ばれる。
着るものがきちんとしていれば買い物へ出かけても店員の態度すら変わるし、もしかするとサービスのひとつも受けられるかもしれない。
腹の中で舌を出したとしても。
それらのことを実行し続けていれば.....いつかは。
なぜきちんとした敬語が必要なのか。
身なりをととのえねばならないのか。
その理由が見えてくる。
そして、それが見えたとき、自分の親がどんな人間であるのかも、自然に見えてくるはずだ。
世の中は汚いものでいっぱいだけど、そんなに捨てたものでもないということも。
ピンチはチャンスだ。
自分をピンチに追い込んだものの懐に飛び込んで、味方につけるチャンス。
それがわかったとき。
『この野郎、いつか見返してやる』が、『こうなっておいてよかった』になるだろう。
人は多くのものを吸収して初めて、いつかそこから優しさを滲ませることが出来るのだから。
<以前に書いたこの問題についてはコチラ>(←クリック)
いい年をしてきちんと謝ることも出来なければ、きちんとした言葉も使うことが出来ない。
あの親父のぶんむくれた顔は、見ていて恥ずかしいものがありました。
しかし、あの親父に育てられた亀田兄弟が被害者なら、あの親父もまた被害者なのかもしれません。
彼があの年になるまで、きちんとした大人になるよう正してくれなかった周囲にも問題はありますし、もうあの年であれなら、一生あのままで生涯を終えるしかないですものね。
それは酷い悲劇です。
体力がある今はまだいいですけど...老後が惨めなものになるのはおそらく間違いない。
しかしあの三人の息子達は別です。
彼らにはまだまだ将来があり、今ならこの経験を糧に生まれ変わることが出来る。
あの長男の表情には裏は読み取れませんでしたし、もし良い指導者、大人に出会えて意識が変われば、彼は本当の意味での強さを身につけることが出来るのではないでしょうか。
あの親父をかばい、弟達をかばった優しさは、すなわち本当の強さに繋がるものですものね。
謝ることは一瞬、かっこ悪いことに見えるけど、きちんと謝れないことはさらに格好悪い。
そのことを、彼は親父の姿を見て実感したはずです。
そして、親父には出来ないことを、彼は立派にやり遂げた。
謝った己の姿を誇りに、彼には頑張って欲しいですね。
亀田家だけでなく、金平会長の処分に関してもこの後、『甘過ぎる』という声が業界から出てきたといいますが、まさしくそうですね。
いや、その業界でさえ、一緒に甘い汁を吸ったのだから、本来何らかのペナルティが必要と思うのですが、トカゲの尻尾切りはどの立場であってもあからさまのようです。
しかし、あの亀田家長男にはこれは本当に良い勉強になったのではないでしょうか?
人は辛い目に遭って初めて人の立場がわかるようになり、弱い者に思いを重ねることが出来るのですもの。
何より、あの兄弟は、間違った親ではあっても、あれほど素直に父親の言うことに従ってきた、ある種の『純粋さ』を持っていますから、信じるものが変われば、一気に良い方向へ転がれるのではないかと思います。
だから...そのためにもこれからは良い大人に出会い、良い影響を受けて欲しいですね。
転んでもタダでは起きないんだってとこ、見せて欲しいです。
もちろん大部分の人は薄々そのことに気づいていたとは思いますが。
本当に反省しているならば、「あとはどう取ろうがそっちの勝手だ」などという言い方は絶対にしないはず。
問題が明らかになっていながら謝罪することを拒否するという姿勢も、社会人としての、いや、人としての常識に欠けており、そんな親に育てられた3人の息子はある意味“被害者”と言ってもいいかも知れません。
長男はおそらく相当な覚悟を決めていたのでしょう。それがテレビを通じて伝わってきました。
彼は頭がいい。だからきっと、親父のダメなところはダメなところとして、しっかり見ていると思う。
だからこそ、あれだけ真摯に謝罪できたんだと。
そして彼は昨日、親父にはないものを手にしました。それは信頼。
自分に非があろうとなかろうと、相手の気持ちを汲んで誠意をもって謝ることのできる人間は、人の信頼を得る。
彼の今後の活躍に期待したいです。
亀田兄弟よ、いい経験をしてるね。いい時の人の集まり、悪くなった時の人の引き、こういうときに、自分達にとって、本物が見えてくるチャンスだよ。しっかり目を開いて、見極めて下さい。
元巨人軍の江川卓を見て御覧なさい。君達よりもっと辛らつな目に遭ったけど、世の中全部を敵に回しながらもしっかりと自分の実力で、世の中の人を認めさせましたよ。 これからが、本番だよ。試合に出られない間、しっかり充電をして、いい試合を見せてください。ここで、這い上がってくる事は、何度も言うけど、チャンスです。