ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

重だるい

2020-01-21 13:29:52 | 日記
身体が重だるくて、仕方がない。喉が痛く、鼻水も出る。どうやら風邪を引いたようだ。

きのう行ったデイサで熱を測ったら、37.3℃だった。リハビリを終えて帰宅してからは、何をするのも重だるい。だる重い。トイレで用を足すのにも、ベッドで横になるのにも、寝返りを打つのにも、一苦労する始末。こんな状態では、イスに腰を下ろしてテレビを見るのすら、しんどくて、楽しめない。早々にベッドにもぐり込み、節々の痛みに耐えながら、それでも泥のような眠りについた。

身体の状態は思考に影響する、と言ったのはスピノザだったか、ニーチェだったか、ドストエフスキーだったか、詳しいことは詮索する気になれないが、たしかに、きょうの私の思考は重だるく、かったるい。ブログを書く気にもならないし、ブログのネタをひねり出す気にもならない。

こんなとき、世界はひどく静かだ。とりたてて言うほどのことは何も起こらず、日常の時間は恙(つつが)なく過ぎる。それでいて、身体の奥底にこびりついた不快感・・・。これさえなくなってくれればなあ。回復する時をじっと待つしかない。
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ウク機撃墜と人間の盾

2020-01-20 10:34:21 | 日記
人間の盾:「敵に、目標物の内部あるいは周囲に民間人がいることを敵に知らせることにより、攻撃を思いとどまらせることをいう。(中略)国際法では、人間の盾を使って軍事目標を守ることは戦争犯罪であるとみなされている。」
( Wikipedia )

きょうネットの森を散策していたら、おもしろい記事に出会った。アメリカ軍がイランで、この(国際法で戦争犯罪とされている)「人間の盾」作戦を使ったというのである。「日刊ゲンダイ」の記事は、次のように述べる。

「アメリカの軍用機がテヘラン上空で何らかの作戦を展開しようとしていたが、イラン軍のレーダー網に捕捉されたため、その攻撃を回避するのに、たまたま飛び立ってきたウクライナの民間機を盾に使った疑いがある」
(日刊ゲンダイ1月19日配信《撃墜されたウクライナ機はアメリカ軍用機の盾にされた?》)

ウクライナの旅客機を撃墜したのは、言うまでもなくイラン軍のミサイルである。イラン政府自身が、この事件は自軍の「人的ミス」によって「意図せず」に行われたものであると認めている。「日刊ゲンダイ」の記事は、この「人的ミス」が何と、アメリカ軍により「意図的に」引き起こされたものだと主張するのである。

この記事の筆者(国際政治経済学者の浜田和幸氏)によれば、アメリカ軍はイラン軍のレーダーシステムをかく乱するため、サイバー攻撃を行っていた。要するに、最先端のテクノロジーから古典的な「人間の盾」作戦まで、「使えるものは何でも使え」が戦場の鉄則であり、実態なのである。

今や時代は現代となり、戦争の形も変わった。戦場は宇宙空間へと移り、宇宙軍が創設されて、やれ攻撃衛星だ、迎撃用レーザー衛星だと華々しい。しかし、敵の裏をかくセコさ・卑怯さは、いつの世でも変わらないのだろう。
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わからない

2020-01-19 11:38:34 | 日記
う~ん、わからない。これは一体どういうことなのだろう。

「北朝鮮の金星国連大使や池在竜駐中国大使が18日、一斉に帰国した。外交方針について説明を受けるとみられる。金正恩朝鮮労働党委員長は中国やロシアと連携を強化しながら、核問題を巡る対米交渉に持久戦で臨む構え。『新たな戦略兵器』も予告しており、新型ミサイル発射や『軍事衛星』打ち上げも取り沙汰されている。」
(共同1月18日配信)

トランプ米大統領がイランのソレイマニ司令官を殺害したことは、まだ記憶に新しい。無人機を使った空爆によるものだというが、この報を聞いて、北朝鮮の金正恩委員長は震え上がったに違いない、という観測がある。かなり前から取り沙汰されている「斬首作戦」を、トランプ大統領はいよいよ実行に移すのではないか、と予想されるからである。

だが、そうであるとしたら、大使級の外交官を一斉に帰国させたキム委員長の意図は、一体どこにあるのだろう。斬首作戦を逃れようとするのならば、キム委員長には、非核化要求を受け入れるしか手は残されていないはずである。核を手放さず、しかも殺害を逃れようとすれば、後ろ盾の中国に助力を願い出るしかない。その援助の要請を中国に伝達・手配するべく、駐中国大使を呼び戻したということだろうか。国連大使やその他の大使は、この作戦をカムフラージュするための煙幕に過ぎないのだろうか。

そうとも考えられるし、いやそんなことはあり得ない、という気もする。そんな見え透いた手を、手練手管の委員長がこの時期に打つなんて、考えにくいからである。溺れる者は藁をもつかむ。そういうことなのだろうか。う〜む、わからない。

わからないことは、もう一つある。

「ミャンマーを訪れている中国の習近平国家主席は18日、アウン・サン・スー・チー国家顧問と会談した。両国は数十ものインフラ事業や通商協定に調印。さらに中国は、イスラム系少数民族への対応で批判を浴びるミャンマーをあくまでも支持する姿勢をみせた。」
(AFP 1月18日配信)

ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問といえば、今や少数民族ロヒンギャへの弾圧姿勢により、国際社会から非難を浴びる身である。片や中国の習近平国家主席も、少数民族ウイグルへの弾圧姿勢により、国際社会から激しい非難を浴びている。その二人が経済協定の契りを交わすことに、どんな意味があるのか。

ヤクザ同士が徒党を組んでも、しょせんヤクザはヤクザ。鼻つまみであることに変わりはない。国際社会で株が上がるわけでもない。「世界が終わるまで(中国と)足並みをそろえる」だなんて、かつての「民主化の女王」、「悲劇の女王」も地に落ちたものだぜ、姐御。民主化を夢見るお嬢様、女王から、今や強権を振るう姐御へ。この変貌も、私にはわからない。
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新人賞その後 芸と身の考察

2020-01-18 14:53:42 | 日記
毎朝、NHKの朝ドラ「スカーレット」を見ている。特に面白いというわけではないが、惰性でか、朝食をとりながら見ている。ちょうど毎朝、新聞をひろげるのと同じ感覚だろうか。哲学者ヘーゲルは「朝起きて新聞を読むのは、朝の祈りのようなものだ」と言ったとか。新聞に加えて、NHKの朝ドラを見るのが、一日を始める私のルーティン・ワークになって久しい。

きょうの朝ドラは、ヒロインの喜美子が、応募していた陶芸展「次世代展」の、その選考結果の連絡を受ける場面だった。この「次世代展」は、陶芸家への登竜門のようなもので、文芸の世界でいえば、新人賞のような性格を持っているのだろう。落選の知らせを受けても、少しも落胆しない喜美子の姿が印象的だった。このシーンを見ながら、私は自分の青春時代を思い出していた。

大学を卒業してしばらくの間、私は小説家をめざして、文芸雑誌の新人賞に応募したりしていた。エンタメ系の雑誌に『小説現代』があったが、私が(「文学界」や「群像」といった純文学系ではなく)このエンタメ系雑誌の新人賞をねらったのは、「自分の感性や才能は、どう見ても純文学向きではない」という自己認識があったからである。当時、私のあこがれの作家・五木寛之のひそみに倣おうとしたからかも知れない。

『小説現代』の新人賞は、そこそこのところまでは行ったものの、最終選考に残るまでは至らず、結局、受賞にこぎ着けることはできなかった。石の上にも三年。私は三年で自分の才能に見切りをつけ、学者への道を歩きはじめた。「でもしか先生」ならぬ「でもしか学者」である。私は大学院に進学し、猛勉強をして論文を書きはじめた。地方の女子短大に就職したのち、国立大学の助手のポストに就いたのは、結婚して間もなくのころである。屈辱的な雑用係の日々の中、私は相変わらず猛勉強をして論文を書き、学会誌に投稿を続けた。そんな中、届けられたのが「◯◯賞受賞」の知らせである。◯◯賞は斯界の新人賞の性格を持ち、この賞を受賞することは、若手の研究者として斯界のお偉方からお墨付きを得たことを意味していた。◯◯賞は、斯界のプロフェッショナルへのパスポートだったと言っても良いかも知れない。

その後、私は案の定、国立大学という狭い前近代の社会を(汲々として)生き抜いた。人間関係ではいろいろ嫌なこともあり、(アルコールが欠かせない)ストレスの多い毎日だったが、大学教員としては曲がりなりに終着点へとたどり着き、無事定年を迎えることができた。

今になってふり返ると、私は『小説現代』の新人賞を受賞できなくて、むしろ良かったと思っている。新人賞を受賞すれば、だれでも「作家」という職業に就くことができ、(五木寛之のように!)ヒット作をどしどし書いて、著名な「文化人」になることができる、ーー当時の私は何の根拠もなく、漠然とそんなふうに思い込んでいた。新人賞の受賞者のほとんどが、その後、鳴かず飛ばずで、生活に困窮したままフェードアウトしていくことなど、私は思ってもみなかった。

今にして判るのだが、私が『小説現代』の新人賞を受賞していれば、私は「自分には作家の才能があるのだ」などと勘違いをして、「作家予備軍」のポジションにしがみついたまま、すぐに才能の壁に突き当たり、一つの作品も残せないまま、路頭に迷っていたに違いない。「芸は身の仇」の好い例である。

それに比べれば、国家という大樹の下、少ないながらも月々、決まった給料がもらえる大学教員の生活は、安泰この上なく、文句の言いようがない。「芸は身を助く」と言うべきだろうか。

幸か不幸か「小説書きの芸」に恵まれなかった凡人は、(努力してナンボの)「論文書きの芸」に助けられ、安穏かつストレスフルな日々を送った後、リタイア後は(「好きこそ物の・・・」の)「ブログ書きの芸」で無聊を慰めている。
「うん、これで良いのだ」、「良かったのだ!」と手放しで断言できないでいる残念な自分がいる。
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国家問題としての環境問題

2020-01-17 11:51:33 | 日記
環境問題は単に環境だけの問題ではなく、(国家の行く末をも左右しかねない)大きな経済問題であり、その意味で、これは国をあげての対応を要する喫緊の国家的問題である。環境問題への取り組みは、ひとり環境省の専管事項ではなく、財務省、経産省が共に連携して考えなければならない問題だということである。

それだけ私も長生きしたということなのだろう。私の子供のころには考えられなかったことだが、自然災害は(大げさに言えば)地球規模の問題に、(控えめに言えば)日本国土規模の問題にまで増大してしまったのだ。

そんなことを思ったのは、次のニュースを聞いたときである。

「今年度(令和元年度)、災害廃棄物の処理にかかる費用は国の補助金だけで620億円を超える見込みとなりました。甚大な被害が出た台風19号など各地で災害が相次いだことから、東日本大震災を除いて、この10年で2番目に多くなります。
災害で使えなくなった瓦や家具などの災害廃棄物の処理や、被災した家屋の解体にかかる費用は、原則として半分を国が自治体に補助しています。
環境省は毎年度、2億円を当初予算に計上していますが、台風や豪雨などの災害が相次ぎ、当初予算で対応しきれない年が続いています。
今年度は8月の九州北部の大雨や、千葉県で大規模な停電が発生した台風15号、それに各地で川の氾濫や土砂災害を引き起こした台風19号などで甚大な被害が出たことから、補正予算や予備費を充てて、国の補助金だけでおよそ624億円に上る見込みとなっています。
これは、復興特別会計で対応した東日本大震災を除き、熊本地震などが起きた平成28年度に次いでこの10年で2番目に多いということです。
小泉環境大臣は、10日の閣議後の会見で『台風19号の災害廃棄物はいまだに生活圏から撤去できていない地域もあるほか、最終処理については今後、数年かかる地域もあるので、最後までしっかりと取り組んでいきたい。毎年、台風の規模が拡大し、被害も大きくなっている。気候変動と防災を分けて考える時代ではなくなっており、対策を進めていきたい』と述べました。」
(NHK NEWS WEB 1月13日配信)

災害対策は予算がらみの問題だから我が省(環境省)の手に余る問題だ、と嘆くだけで済まされる問題ではなくなっている。自然災害の規模の増大と、被害の拡大の、その原因が地球の温暖化にあるとすれば、(もう手遅れだとしても)地球温暖化問題への取り組みは、政府にとっては急務の課題になる。これは「思い過ごしさ、アホらしい」では済まされない問題なのだ。

それにつけても思い起こされるのは、きのう本ブログで取りあげた「世紀の大発明」である。我が日本が今、どんな状況におかれているか、簡単にふり返ってみよう。日本は今、石炭火力発電に頼り、地球温暖化物質のCO2を大量に排出することで、国際社会からの非難にさらされている。この非難をかわすには、石炭火力発電を止めなければならないが、その場合、突き当たるのが、代替のエネルギー源をではどこに求めたら良いか、という問題である。原子力発電、という答えがちらつくが、これはこれで事故対策のコストがかさむ上に、いまだ未解決の(「核のゴミ」の処分という)重大な問題をかかえている。

では太陽光や風力などの再生可能エネルギーはどうか。これは電力供給の安定性に難があり、普及には今一歩というのが現状である。

八方ふさがりのこういう現状を考えれば、私が例の「世紀の大発明」に希望をつなぐ理由もお解りいただけるだろう。この発明は「水を電気分解して得られる水素と、発電所から回収したCO2から燃料を合成する」という考え方をベースにしている。この発明が可能にする発電方式は、CO2を削減することに貢献し、しかも新たなCO2を排出しない。CO2はあり余るほどあるから、この発電方式では、燃料にする資源が枯渇する心配もないのである。

いかがだろうか、グレタさん。この件について、あんたにもひとこと言って欲しいものだ。
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