ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

キャッツアイ その後のテレビ界は

2020-01-24 14:33:20 | 日記
「令和のキャッツアイ」が逮捕された、というニュースを聞いた。二人組の女盗賊を、捜査員がそう呼んでいたという。二人の女はいずれも20代。彼女たちのターゲットは、新宿のホストクラブで働くホストたちだった。ホストの男性から預かった合い鍵で、彼らの自宅マンションに侵入したのだという。

このニュースを聞いて、私はこう考えた。「令和の~」と言うからには、「平成のキャッツアイ」や「昭和のキャッツアイ」もいたに違いない。そもそも「キャッツアイ」とは、どんな盗賊なのだろう?

ググってみて判ったのは、「キャッツアイ」が漫画作品に登場する謎の女怪盗集団の名称だということである。この女怪盗「キャッツアイ」と、彼女たちを追う刑事との駆け引きを描いた同名の漫画作品は、累計で1800万部に達するベストセラーになり、この漫画をもとにテレビアニメや実写映画が作られた。テレビアニメ化されたのは1983年(昭和58年)というが、当時の私は国立大学の末端で「助手」というブラック労働を強いられていて、精神的に疲弊し、このアニメ作品を見たり楽しんだりする余裕はなかった。

人気漫画がアニメ化され、テレビで放映される、というケースは、このころにはすっかり定着していたのだろう。私が小学生のころには、ブラウン管の「鉄腕アトム」や「鉄人28号」が流行っていたが、これらはそうした動向のはしりと言えるのかもしれない。

最近では、人気漫画が(アニメ化を通り越して、いきなり)実写化され、テレビ・ドラマとして放映されるケースがふえてきているように思える。今期でいえば、「テセウスの船」、「トップナイフ」、「恋はつづくよどこまでも」などが漫画(あるいは小説)の原作を実写化したテレビ・ドラマだという。

こういうテレビ界の動向を見ていると、私は素朴な疑問を懐かざるを得ない。「自局で独自のオリジナル作品を創る」というテレビマンのプライドは、一体どこに行ってしまったのか。たしかに、人気漫画を実写化すれば、「産みの苦しみ」を味わわずに済む。しかも(原作漫画の人気にあやかることで)一定の視聴率が見込めるから、これは堅実で、効率的な制作手法ではあるのだろう。

だが、「独自の作品を創る」という製作者のレゾン・デートルを放棄することに、彼らテレビマンたちは痛みを感じないのだろうか。高い視聴率をとってナンボのテレビの世界で、日々鎬(しのぎ)を削る彼らは、製作者としての矜持を感じなくなるほど、それほど余裕をなくしているのだろうか。

最近のテレビは、新鮮味のないテレビ・ドラマか、そうでなければ、新鮮味のないおバカ・タレントの集団トーク番組ばかり。これでは視聴者のテレビ離れに拍車がかかるのも無理はない。そう思うよ。
コメント
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