ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

植松被告の思想と行動

2020-01-30 10:40:47 | 日記
植松被告が「まっとうな思想・正当な思想」と考える、彼の犯行時の考え方、彼の犯行の動機とは、一体どういうものなのか。朝日新聞は植松被告の法廷での陳述を、次のように伝えている。

「この日は弁護側が質問した。被告の説明では、事件の1年ほど前から『社会に役立つことをしてお金を得よう』と考えた。
やまゆり園職員として働き、利用者の家族が疲れ切っていると感じていた。日本の財政が借金だらけだと知り、『重度障害者がお金と時間を奪っている』と思ったと説明。意思疎通の取れない障害者について『安楽死させれば借金が減り、みんなが幸せに生活できる』と思ったなどと述べた。
障害者を殺害すれば人の役に立ち、お金がもらえると考えたとも話した。お金がもらえる理由を問われると、『どうやって入ってくるのか考えていないが、金をもらう権利があると考えた』と答えた。」
 
この陳述からわかるのは、植松被告が「社会に役立つことをしよう」と考えて、行動を起こした、ということである。「社会に役立つことをしてお金を得よう」と考えたと彼は述べているが、金儲けの動機が先にあったわけではない。「社会に役立つこと」をすれば「金をもらう権利」を得られる、ーーそう考えたのである。

では、障害者を殺害することは、どうして「社会に役立つこと」なのか。それは、障害者の存在が社会の大きな負担になっている、--彼がそう考えたからである。植松被告は、やまゆり園職員として働く中で、障害者が家族に負担をかけ、国家財政にも負担をかけていることを、肌で感じていた。だから「(障害者を)安楽死させれば借金が減り、みんなが幸せに生活できる」と、そう思うようになったのである。

植松被告は、こうも発言している。重度障害者は「無理心中や介護殺人、難民などの問題を引き起こしている」と。難民云々の幼稚な認識には笑うしかないが、重度障害者の存在が実際に「無理心中や介護殺人」を引き起こしたケースは、なかったとは言えない。介護の現場を実体験してきた植松被告が、「重度障害者の存在は不幸の種になる」と考えたとしても、それはあながち「突飛な妄想」とか「非常識な偏見」と言えるものではないのである。

重度障害者は、社会に不幸の種をまく。だから彼らを抹殺する行為は「社会に役立つ」行為であって、それをした自分は「金をもらう権利」がある。ーーこういう主張を聞けば、だれもが身震いを感じるだろう。誤った危険思想だと思うだろう。私も同じである。だが、植松被告のこの主張は、どこがどう誤っているのか。「危険思想だ!」と決めつける前に、この問題を考えてみなければならない。

(つづく)
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