中国・武漢を中心に、謎の新型肺炎が猛威を振るっている。中国政府は武漢と外部との交通を遮断し、武漢を封鎖状態におく措置をとったが、新型肺炎は封鎖の壁など物ともせずに中国全体へ広がり、患者数は1200人を突破した。死者は41人にのぼる。
このニュースを聞いて、私はアルベール・カミュの小説『ペスト』を思い起こした。でも、それだけである。正直に言うと、私は(半世紀も前に読んだ)この小説の中身を思い出すことができないのだ。読んだのが半世紀も前だということもあるが、読んだ当時ですら、私はこの小説をおもしろいとは思えなかった。高校生のころ読んだカミュの『異邦人』には、1週間うつ状態になるほどの衝撃を受けたが、この『ペスト』のほうは、カミュが何を表現しようとしているのか、私には理解できなかった。「ペストという不条理に、人々がどう立ち向かうのか」をテーマとしているのは(頭では)解っても、それは私の心情にまでは届かなかった。
同種の小説に、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』がある。こちらは「コレラが蔓延したヴェニス」を舞台に、「老作家の、美少年への恋心」を描いた小説で、ここに描かれた老作家の心の揺らぎは、私の心情を激しく揺さぶった。カミュの『ペスト』には、そういう(心情に訴える)何かがまったく感じられなかったのだ。
今回の新型肺炎に関連して、おもしろいと思ったのは、「SNS」という新顔が登場したことである。メディアは次のように報じている。
「中国で新型コロナウイルスによる肺炎が集団発生していることに関連し、ツイッターなどのSNS上で『関西空港から入国した武漢市の観光客から熱を覚知したが、検査前に逃げた』などとする情報が拡散した。関西空港検疫所は『事実ではなく、フェイクニュースだ。惑わされないようにして欲しい』と内容を全面否定している。
(朝日新聞DIGITAL1月24日配信)
SNSという新顔の作用で、こうしたデマが事実だとみなされ、人々をパニックに陥らせる要因になったら、一体どういうことになるのか。「謎の新型肺炎という不条理に翻弄される、哀れな人々」というテーマで、だれかが悲喜劇の小説を書くことだろう。その小説はカミュの『ペスト』よりおもしろいものになりそうだ。『ペスト』のおもしろさが解らない天邪鬼爺はそう思うのだが、いかがだろうか。
このニュースを聞いて、私はアルベール・カミュの小説『ペスト』を思い起こした。でも、それだけである。正直に言うと、私は(半世紀も前に読んだ)この小説の中身を思い出すことができないのだ。読んだのが半世紀も前だということもあるが、読んだ当時ですら、私はこの小説をおもしろいとは思えなかった。高校生のころ読んだカミュの『異邦人』には、1週間うつ状態になるほどの衝撃を受けたが、この『ペスト』のほうは、カミュが何を表現しようとしているのか、私には理解できなかった。「ペストという不条理に、人々がどう立ち向かうのか」をテーマとしているのは(頭では)解っても、それは私の心情にまでは届かなかった。
同種の小説に、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』がある。こちらは「コレラが蔓延したヴェニス」を舞台に、「老作家の、美少年への恋心」を描いた小説で、ここに描かれた老作家の心の揺らぎは、私の心情を激しく揺さぶった。カミュの『ペスト』には、そういう(心情に訴える)何かがまったく感じられなかったのだ。
今回の新型肺炎に関連して、おもしろいと思ったのは、「SNS」という新顔が登場したことである。メディアは次のように報じている。
「中国で新型コロナウイルスによる肺炎が集団発生していることに関連し、ツイッターなどのSNS上で『関西空港から入国した武漢市の観光客から熱を覚知したが、検査前に逃げた』などとする情報が拡散した。関西空港検疫所は『事実ではなく、フェイクニュースだ。惑わされないようにして欲しい』と内容を全面否定している。
(朝日新聞DIGITAL1月24日配信)
SNSという新顔の作用で、こうしたデマが事実だとみなされ、人々をパニックに陥らせる要因になったら、一体どういうことになるのか。「謎の新型肺炎という不条理に翻弄される、哀れな人々」というテーマで、だれかが悲喜劇の小説を書くことだろう。その小説はカミュの『ペスト』よりおもしろいものになりそうだ。『ペスト』のおもしろさが解らない天邪鬼爺はそう思うのだが、いかがだろうか。