1月8日のことである。ウクライナの旅客機が、イランの首都・テヘランの空港を離陸した直後に、墜落・炎上した。乗客乗員176人全員が死亡したとされる。
このニュースを聞いた時、私は「まさか!?」と意外の念に打たれた。アメリカとイランとの間に、軍事的な緊張が高まっていた時である。一触即発の事態といっても良い。メディアでは、事故直後から「イランが撃墜したのでは」という憶測が流れたが、そんなはずはない、と私は考えた。
イランは米軍施設に向けてミサイルを撃ちながらも、アメリカ人に被害がでないよう周到に仕組むなど、抑制的な姿勢を保っていた。対立が戦争に発展することは望まない、というイランの意向は、明らかだった。そのイランがことさら油に火を注ぐようなことを、するだろうか。
もしイランのミサイルがウクライナ機を撃墜したのだとしたら、それは何らかの偶発的なミスによるのではないか。きわめて高い精度で、米軍基地に「寸止め」のミサイル攻撃を行う能力を持つイラン軍が、そんな凡ミスをおかすとは、それこそ「まさか!?」の驚きだが、そういう「まさか!?」が起きるのが、戦場である。何でもありの戦場では、考えられないような「まさか!?」が起きる。思わぬ「まさか!?」が立て続けに起きる「まさか!?」も、起きないわけではない。それによって戦況が思わぬ方向に動き、その結果、歴史が変わるとすれば、「歴史は〈まさか!?〉によって変わる」と言えるだろう。
「歴史は〈まさか〉で動く」。これは、きょうの新聞広告で見かけたキャッチコピーである。「〈まさか〉こんなに長引くとは:応仁の乱」、「〈まさか〉兄弟で争うとは:観応の擾乱」、「〈まさか〉幕府が反撃するとは:承久の乱」、「〈まさか〉朝廷が敗れるとは:壬申の乱」といった具合に、「日本の大乱」は〈まさか〉の連続だった。わが社の「中公新書」には、そうしたことが書かれていますよ。よろしく、というわけである。
なかなかのキャッチコピーだが、さてさて、今、中東で起きている「アメ・イラの大乱」には、この先どういう〈まさか〉が待ち受けているのだろうか。
このニュースを聞いた時、私は「まさか!?」と意外の念に打たれた。アメリカとイランとの間に、軍事的な緊張が高まっていた時である。一触即発の事態といっても良い。メディアでは、事故直後から「イランが撃墜したのでは」という憶測が流れたが、そんなはずはない、と私は考えた。
イランは米軍施設に向けてミサイルを撃ちながらも、アメリカ人に被害がでないよう周到に仕組むなど、抑制的な姿勢を保っていた。対立が戦争に発展することは望まない、というイランの意向は、明らかだった。そのイランがことさら油に火を注ぐようなことを、するだろうか。
もしイランのミサイルがウクライナ機を撃墜したのだとしたら、それは何らかの偶発的なミスによるのではないか。きわめて高い精度で、米軍基地に「寸止め」のミサイル攻撃を行う能力を持つイラン軍が、そんな凡ミスをおかすとは、それこそ「まさか!?」の驚きだが、そういう「まさか!?」が起きるのが、戦場である。何でもありの戦場では、考えられないような「まさか!?」が起きる。思わぬ「まさか!?」が立て続けに起きる「まさか!?」も、起きないわけではない。それによって戦況が思わぬ方向に動き、その結果、歴史が変わるとすれば、「歴史は〈まさか!?〉によって変わる」と言えるだろう。
「歴史は〈まさか〉で動く」。これは、きょうの新聞広告で見かけたキャッチコピーである。「〈まさか〉こんなに長引くとは:応仁の乱」、「〈まさか〉兄弟で争うとは:観応の擾乱」、「〈まさか〉幕府が反撃するとは:承久の乱」、「〈まさか〉朝廷が敗れるとは:壬申の乱」といった具合に、「日本の大乱」は〈まさか〉の連続だった。わが社の「中公新書」には、そうしたことが書かれていますよ。よろしく、というわけである。
なかなかのキャッチコピーだが、さてさて、今、中東で起きている「アメ・イラの大乱」には、この先どういう〈まさか〉が待ち受けているのだろうか。