きょうから(何回になるか判らないが)植松被告の謎について考えてみたい。
植松被告の謎、--それは、彼が「自分は責任能力がある」と述べたことである。前後の文脈は以下の記事が記す通りである。
「相模原市の障害者施設『津久井やまゆり園』で利用者ら45人を殺傷したとして、殺人などの罪に問われた元職員植松聖(さとし)被告(30)の第8回公判が24日、横浜地裁(青沼潔裁判長)であり、初めての被告人質問が行われた。弁護側は被告に刑事責任能力がなかったとして無罪を主張しているが、植松被告は『責任能力を争うのは間違っている。自分は責任能力があると考えています』と述べ、弁護方針に反対した。」
(朝日新聞DIGITAL 1月24日配信)
植松被告が「自分は責任能力がある」と述べたことが、なぜ謎なのか。それは、この発言が自身の有罪判決に直結するからである。
障害者施設の利用者45人を殺傷したとき、彼が心神耗弱の状態に陥っていて、責任能力がなかったとすれば、彼は罪に問われず、無罪放免となる。
殺人を犯したとき、彼に責任能力があったとすれば、彼は殺人の罪に問われ、それ相当の刑を覚悟しなければならない。殺した人数が人数だけに、死刑になる可能性もある。
それなのになぜ、彼は(よりによって法廷の場で)「自分は責任能力がある」などと述べたのか。墓穴を掘るような発言を行ったのは、一体なぜなのか。
ひょっとして彼はアホなのか。ーーかなり重度の知的障碍者なのか。けれども、そうとは断定できない理由がある。
(つづく)
植松被告の謎、--それは、彼が「自分は責任能力がある」と述べたことである。前後の文脈は以下の記事が記す通りである。
「相模原市の障害者施設『津久井やまゆり園』で利用者ら45人を殺傷したとして、殺人などの罪に問われた元職員植松聖(さとし)被告(30)の第8回公判が24日、横浜地裁(青沼潔裁判長)であり、初めての被告人質問が行われた。弁護側は被告に刑事責任能力がなかったとして無罪を主張しているが、植松被告は『責任能力を争うのは間違っている。自分は責任能力があると考えています』と述べ、弁護方針に反対した。」
(朝日新聞DIGITAL 1月24日配信)
植松被告が「自分は責任能力がある」と述べたことが、なぜ謎なのか。それは、この発言が自身の有罪判決に直結するからである。
障害者施設の利用者45人を殺傷したとき、彼が心神耗弱の状態に陥っていて、責任能力がなかったとすれば、彼は罪に問われず、無罪放免となる。
殺人を犯したとき、彼に責任能力があったとすれば、彼は殺人の罪に問われ、それ相当の刑を覚悟しなければならない。殺した人数が人数だけに、死刑になる可能性もある。
それなのになぜ、彼は(よりによって法廷の場で)「自分は責任能力がある」などと述べたのか。墓穴を掘るような発言を行ったのは、一体なぜなのか。
ひょっとして彼はアホなのか。ーーかなり重度の知的障碍者なのか。けれども、そうとは断定できない理由がある。
(つづく)