ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

イケメン・イクメン・パパの憂鬱

2020-01-26 14:10:15 | 日記
東出昌大と唐田えりかのスキャンダルが世間を騒がせている。東出は妻の杏を裏切ったために家庭に居場所を失い、マンスリーマンションで単身生活を余儀なくされているというが、このこと、つまり、妻子がありながら若い女優に現(うつつ)を抜かした東出の行為に対して、世間の目は厳しい。さながらPTAのママさんたちのように厳しい。

テレビのワイドショーで、次のように言い放ったオバサン・タレントがいた。

「結婚は契約ですからね。浮気は契約違反ですよ。絶対に許せません!」
それを言うなら、「結婚とは、誤解の上に成り立った契約である」と言うべきだろう。

だれも結婚するときには、相手を「素敵だ」と思い、この人と一生を添い遂げたいと思う。いわば「えくぼ」だけが見えて、「あばた」が見えない視覚障害の状態である。何年か生活を共にすれば、「えくぼ」と見えたものが、実は「あばた」だったことを思い知らされるが、気づいたときはすでに後の祭り。こうした数々の幻滅を味わわされ、それを「契約違反だ」と言うなら、契約違反はすでに契約を交わした時点でなされていたことになる。

これはどうしようもないことと言えるだろう。誤解をしたのはどちらの責任でもあり、また、どちらの責任でもない。誤解をした方が悪いとも言えるし、誤解をさせた方が悪いとも言える。誤解・錯覚・勘違いの罪は「恋愛」の心理そのものにあると言ったほうが良いのかも知れない。

今回の一件で、東出はすっかり株を下げ、CMをいくつか失っている。東出に「愛妻家のイケメン・パパ」というブランド・イメージを求めた企業が、この(ファミリー・ファーストの)イメージをぶち壊した東出をさっさとお払い箱にするのは、あまりにも当然のことである。

一方の唐田えりかはどうなのか。「清純派のさわやか少女」というイメージを売り物にしてきたこの女優が、CMの降板を迫られるのは、同じく当然の成り行きである。愛妻家のイケメン・パパを誘惑した、小悪魔のような少女ーー。その種の不道徳な存在に対して、オバサンたちの反発の声はきびしい。

だが、CMだけならまだしも、彼女がテレビドラマの世界からも追放されかかっているというのは、どうしたことなのか。清純派のさわやか少女よりも、愛妻家のイケメン・パパを誘惑する、小悪魔的少女のほうがずっと魅惑的な存在に私には思える。今回のスキャンダルは、女優として幅を加える「肥し」になっているに違いないのだが、女優としての存在までも抹殺の対象になるとは、一体どういうことなのか。「不倫は男には許されても、女には許されない。女は絶対に不倫をするべきではない、断じて不倫をしてはならない」--そういうジェンダー・バイアスが、ここには作用しているのではないか。

天邪鬼爺はそう考えるのだが、いかがだろうか。
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謎の新型肺炎に思う

2020-01-25 11:59:12 | 日記
中国・武漢を中心に、謎の新型肺炎が猛威を振るっている。中国政府は武漢と外部との交通を遮断し、武漢を封鎖状態におく措置をとったが、新型肺炎は封鎖の壁など物ともせずに中国全体へ広がり、患者数は1200人を突破した。死者は41人にのぼる。

このニュースを聞いて、私はアルベール・カミュの小説『ペスト』を思い起こした。でも、それだけである。正直に言うと、私は(半世紀も前に読んだ)この小説の中身を思い出すことができないのだ。読んだのが半世紀も前だということもあるが、読んだ当時ですら、私はこの小説をおもしろいとは思えなかった。高校生のころ読んだカミュの『異邦人』には、1週間うつ状態になるほどの衝撃を受けたが、この『ペスト』のほうは、カミュが何を表現しようとしているのか、私には理解できなかった。「ペストという不条理に、人々がどう立ち向かうのか」をテーマとしているのは(頭では)解っても、それは私の心情にまでは届かなかった。

同種の小説に、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』がある。こちらは「コレラが蔓延したヴェニス」を舞台に、「老作家の、美少年への恋心」を描いた小説で、ここに描かれた老作家の心の揺らぎは、私の心情を激しく揺さぶった。カミュの『ペスト』には、そういう(心情に訴える)何かがまったく感じられなかったのだ。

今回の新型肺炎に関連して、おもしろいと思ったのは、「SNS」という新顔が登場したことである。メディアは次のように報じている。

「中国で新型コロナウイルスによる肺炎が集団発生していることに関連し、ツイッターなどのSNS上で『関西空港から入国した武漢市の観光客から熱を覚知したが、検査前に逃げた』などとする情報が拡散した。関西空港検疫所は『事実ではなく、フェイクニュースだ。惑わされないようにして欲しい』と内容を全面否定している。
(朝日新聞DIGITAL1月24日配信)

SNSという新顔の作用で、こうしたデマが事実だとみなされ、人々をパニックに陥らせる要因になったら、一体どういうことになるのか。「謎の新型肺炎という不条理に翻弄される、哀れな人々」というテーマで、だれかが悲喜劇の小説を書くことだろう。その小説はカミュの『ペスト』よりおもしろいものになりそうだ。『ペスト』のおもしろさが解らない天邪鬼爺はそう思うのだが、いかがだろうか。
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キャッツアイ その後のテレビ界は

2020-01-24 14:33:20 | 日記
「令和のキャッツアイ」が逮捕された、というニュースを聞いた。二人組の女盗賊を、捜査員がそう呼んでいたという。二人の女はいずれも20代。彼女たちのターゲットは、新宿のホストクラブで働くホストたちだった。ホストの男性から預かった合い鍵で、彼らの自宅マンションに侵入したのだという。

このニュースを聞いて、私はこう考えた。「令和の~」と言うからには、「平成のキャッツアイ」や「昭和のキャッツアイ」もいたに違いない。そもそも「キャッツアイ」とは、どんな盗賊なのだろう?

ググってみて判ったのは、「キャッツアイ」が漫画作品に登場する謎の女怪盗集団の名称だということである。この女怪盗「キャッツアイ」と、彼女たちを追う刑事との駆け引きを描いた同名の漫画作品は、累計で1800万部に達するベストセラーになり、この漫画をもとにテレビアニメや実写映画が作られた。テレビアニメ化されたのは1983年(昭和58年)というが、当時の私は国立大学の末端で「助手」というブラック労働を強いられていて、精神的に疲弊し、このアニメ作品を見たり楽しんだりする余裕はなかった。

人気漫画がアニメ化され、テレビで放映される、というケースは、このころにはすっかり定着していたのだろう。私が小学生のころには、ブラウン管の「鉄腕アトム」や「鉄人28号」が流行っていたが、これらはそうした動向のはしりと言えるのかもしれない。

最近では、人気漫画が(アニメ化を通り越して、いきなり)実写化され、テレビ・ドラマとして放映されるケースがふえてきているように思える。今期でいえば、「テセウスの船」、「トップナイフ」、「恋はつづくよどこまでも」などが漫画(あるいは小説)の原作を実写化したテレビ・ドラマだという。

こういうテレビ界の動向を見ていると、私は素朴な疑問を懐かざるを得ない。「自局で独自のオリジナル作品を創る」というテレビマンのプライドは、一体どこに行ってしまったのか。たしかに、人気漫画を実写化すれば、「産みの苦しみ」を味わわずに済む。しかも(原作漫画の人気にあやかることで)一定の視聴率が見込めるから、これは堅実で、効率的な制作手法ではあるのだろう。

だが、「独自の作品を創る」という製作者のレゾン・デートルを放棄することに、彼らテレビマンたちは痛みを感じないのだろうか。高い視聴率をとってナンボのテレビの世界で、日々鎬(しのぎ)を削る彼らは、製作者としての矜持を感じなくなるほど、それほど余裕をなくしているのだろうか。

最近のテレビは、新鮮味のないテレビ・ドラマか、そうでなければ、新鮮味のないおバカ・タレントの集団トーク番組ばかり。これでは視聴者のテレビ離れに拍車がかかるのも無理はない。そう思うよ。
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出勤か、欠勤か。それが問題だ

2020-01-23 11:32:33 | 日記
どんよりした雨催(もよ)いの空から、雨が降りはじめた。とうとう降りはじめた。天気予報の通りである。

きょうのデイサへの「通勤」はどうしようか、と思案するが、結論は出ない。雨は止むどころか、かえって激しくなる気配がつよい。

雨だけならまだしも、身体の調子も良くない。3日前に引いた風邪が、まだ治りきっていないのだ。相変わらず鼻水が出るし、身体全体が重だるい。

休もうと思えば、大義名分がないわけではない。「風邪をうつしてしまうと、デイサの皆さんにご迷惑をかけますから」。デイサのお仲間は皆、身体の弱ったお年寄りばかり。だから、たしかにその通りなのである。

なのに、なぜ私は迷っているのか。それは、休んだ分だけ「振り替え」の出勤を強いられるからである。たとえば、きょう休んだとしよう。すると来週は、月、木のほかにプラス1日を追加し、月、火、木あるいは月、水、木というふうに、週3日も「通勤」しなければならなくなる。これでは「痛勤」に等しい。

温かくなる春先まで「振り替え」出勤を待ってもらう、という手もあるが、事務を仕切る(お局さまの)Aさんから「振り替えは今月中(1月中)にお願いします」と言われるに決まっている。

察するに、デイサにはこういう事情があるのだろう。デイサ側には、利用者の利用回数に応じて利用料金が支払われる。利用者の利用回数が減れば、その分だけデイサ側の収益も減ってしまうという仕組みなのである。「利用したことにしてよ。お互いのために」と言いたいところだが、この事業は国の助成で成り立っているから、そんな馴れ合いのズルが許されるわけはない。税金の使い方をめぐる正否のチェックは、社会の末端に行くほど厳しいのだ。

などと思いあぐね、ブログ記事を書いていたら、空がだいぶ明るくなってきた。タブレットで雨雲レーダーの画像を見ると、雨が上がりそうな気配も読みとれないではない。あれこれ思い悩むぐらいなら、思い切って「出勤」したほうが、いっそすっきりするのではないか、と思いはじめた。まだAさんには、欠席する旨の電話をしていない。出勤か欠勤か、ああ、それが問題だ。どうしようかなあ・・・。
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グレタさんのダボス会議

2020-01-22 11:19:21 | 日記
環境活動家グレタ・トゥンベリさんがダボス会議で討論のスピーチを行った。その内容は聞き飽きた感があるが、一つだけ、私が「ホントかな?」と疑問を持ったのは、グレタさんがメディア批判を行った件(くだり)である。

グレタさんは、「(メディアは))気候変動をめぐる客観的な情報を取り上げてこなかった」と批判し、さらに、「(私はこうした情報を)繰り返し訴えてきたが、メディアも権力者も一度もその意味を取り上げてこなかった」と批判を展開したのである。

これまでメディアは、「気候変動をめぐる客観的な情報」を、ホントに取り上げてこなかったのだろうか。そんなことはない、と私は思う。グレタさんが言いたいのは、むしろこういうことである。メディアは「気候変動をめぐる客観的な情報」を、たしかに取り上げてはきたのだが、しかし、「その意味」を取りあげてはこなかったのだ、と。

では、「その意味」とは何なのか。それは、「気候変動をめぐる客観的な情報」の、途轍もない重要性である。「気候変動をめぐる客観的な情報」は、新聞なら1面のトップで、連日、大々的に報じられるべきだ。そうグレタさんは思っているに違いない。

グレタさんには環境問題、地球温暖化問題しか見えていないのだろう。だからこの問題がさも重大な問題、最大の問題であるように思えるのだ。だが、何を重要視するかは、人によってさまざまである。環境問題よりも、むしろ経済問題のほうが重要だ、とみなす人もいるだろう(トランプ米大統領がこのタイプだ)。

関心の所在や価値観は、人さまざまである。中には、日本の政治状況こそが最大の問題だ、とみなす人もいるだろう。このタイプの人は、安倍政権のいい加減さが許せず、新聞が「桜を見る会」問題を1面トップで報じないのを、けしからんことだと思うだろう。日本の国際的地位に関心を持つ人は、逆に「安倍さんはなかなか良くやっているよ」と思い、安倍政権の功績を取りあげない新聞の姿勢を、「偏向だ」と断じるだろう。

価値を相対化することで、「何でもあり」と主張するのは、私の本意ではない。若いグレタさんが、成長とともにさまざまな問題にも目を開き、相対的なもっと広い視点から環境問題を見るようになることを、老婆心ながら祈っている。

むろん人はそれぞれの視点でしか世界を見ることはできない。それぞれの視点に応じて、世界は違った姿を見せる。グレタさんには、さまざまな世界の見方があることを知って欲しいのである。
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