ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

母を訪ねて

2020-01-04 17:47:08 | 日記

ブログとは便利なもので、日記あるいは日々の記録の役割をそれなりに果たしてくれる。普段とは違ったことをしたとき、--私の場合は、何かの目的で外出をしたときだが、そういう日の出来事はブログの格好のネタになるので、それについては欠かさず記すことになる。当然、その日の出来事は文字の形でクラウド上に残り、ブログの過去ログは日記の役割を果たすことになる。

きょうは妻の運転する車に乗り、娘の家族と一緒に、近くの町に住む母を訪ねてきた。前回訪ねたときは、たしか息子も一緒だった。そのときの記憶はだいぶ薄らいだが、そのときはどんな様子だったのだろう。本ブログの過去ログに当たってみると、私は一昨年の1月3日に母を訪ねている。昨年ではなかった。

母は数年前から、車で30分ほどの近くの町で、介護付き老人ホームのお世話になっている。一昨年の正月は、息子はまだ結婚していなかったが、素敵な「カノジョ」と付き合い始めており、顔色は明るかった。1歳7か月になる娘の長男(つまり私の孫)は、その時はまだお腹の中だった。今は5歳になる女の子の孫は、そのときはまだ3歳児で、1階ホールのじゅうたんの上をばたばたと駆けずり回っていた。

そのときの母の様子は思いのほか元気で、私はほっと安心した。きょう見た母の姿もそれと変わらないくらい元気で、顔の血色もよかった。妻から、最近、母にボケの症状が出はじめたと聞いていたが、それが信じられないくらい、きょうは言語も明瞭だった。あれから2年が経ち、若者たちーー息子や娘や孫たちーーの境遇はそれなりに変わったが、きょう見た限りでは、95歳になる母の様子は、それとは対照的に驚くほど変わらない。

母のまわりでは、まるで時間が止まってしまったかのようだ。母のような超・高齢者は、時を経るにつれ、時を超越していくような気がする。それに比べると、私のような「ほどほどの高齢者」の場合はどうなのだろう。孫たちの目から見ると、私はどう見えるのだろうか。

ところで、昨年の正月は、私はどうしていたのだろう。ブログの過去ログに当たっても、母を訪ねたという記載はない。1月2日にビデオで「帰ってきたヒトラー」を見たとあるから、特筆すべきような特別なことは何もしなかったのだろう。このときは下の孫がまだ7か月の乳飲み子だったから、大事をとってことさら外出はしなかったのかも知れない。

昨年の正月の前後に、私は沖縄問題や日韓問題について論じている。そうした問題について時事評論ふうにあれこれ論じたところで、それが時々の記憶を呼び起こさないのは、悲しいことだ。それはたぶん、それらの記事が生活実感を伴わない観念の戯れに過ぎないからなのだろう。いい歳こいて、観念と戯れるのが好きな天邪鬼の性分にも困ったものだ。
コメント
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