朝日新聞には「日曜に想う」というコラム欄がある。文字通り、日曜日に掲載されるコラム欄だが、きょうのこの欄には、「『平和』だけではなく、『正義』を」という見出しが付けられていた。その冒頭部を引用する。
「『平和』は誰もが希求する。まして戦乱の地であれば、その思いはひときわ強いに違いない。
しかし、昨年11月にウクライナで実施された世論調査を見ると、ロシア軍による占領が続く状態での停戦を求めた人は、わずか1%だった。停戦の条件として、93%が『クリミア半島を含むウクライナ全土からのロシア軍撤退』を挙げた。多くの人々は、即座に平和を得るよりも、戦う道を選ぶ。つまり『平和』とは別の価値を重視しているのである。」
このコラムによれば、93%の人々はロシア軍による占領が続く状態での『平和』を望まず、ロシア軍が全面撤退した状態での『平和』をーーつまり、『正義』が伴った状態での『平和』をーー望んでいることになる。
したがって「『平和』だけでなく、『正義』を」という見出しの文言よりも、「『平和』だけでなく、『正義』も」としたほうが適切だろう。
それはともかく、このコラムから教えられたことがある。ゼレンスキー大統領が戦いを止めず、停戦交渉に臨もうとしないのは、こうした世論に後押しされ、「正義」に拘り続けるからなのである。
ゼレンスキーが「正義」に拘り続ける限り、戦いは止まず、ロシア軍のウクライナ全土からの撤退が停戦の最低条件になる。問題は、ロシアのプーチン大統領がこの条件を呑むかどうかである。
去る24日、中国はロシアとウクライナの双方に「停戦」を呼びかけ、対話を行うように求めるとともに、仲裁案ととれる文書を示した(内容は不明)。この仲裁案に対して、ゼレンスキーは歓迎の意向を示し、習近平国家主席との会談にも前向きな姿勢を示したという。
ただこの記者会見の中で、ゼレンスキーは、ウクライナ全土からのロシア軍の撤退を含まない平和は受け入れない方針を、重ねて表明したとされる。ウクライナ全土からのロシア軍の撤退が、停戦の最低条件だということである。ゼレンスキーはあくまでもこの条件に拘り続けるだろう。
対するプーチンはどうか。彼は「ロシア軍の全面撤退」を呑む見返りに、何らかの付帯条件を求めるに違いない。その条件が何か、それはNATOが受け入れられるものなのかどうか。
「正義の伴った平和」が訪れるのは、まだまだ先であるように思える。
「『平和』は誰もが希求する。まして戦乱の地であれば、その思いはひときわ強いに違いない。
しかし、昨年11月にウクライナで実施された世論調査を見ると、ロシア軍による占領が続く状態での停戦を求めた人は、わずか1%だった。停戦の条件として、93%が『クリミア半島を含むウクライナ全土からのロシア軍撤退』を挙げた。多くの人々は、即座に平和を得るよりも、戦う道を選ぶ。つまり『平和』とは別の価値を重視しているのである。」
このコラムによれば、93%の人々はロシア軍による占領が続く状態での『平和』を望まず、ロシア軍が全面撤退した状態での『平和』をーーつまり、『正義』が伴った状態での『平和』をーー望んでいることになる。
したがって「『平和』だけでなく、『正義』を」という見出しの文言よりも、「『平和』だけでなく、『正義』も」としたほうが適切だろう。
それはともかく、このコラムから教えられたことがある。ゼレンスキー大統領が戦いを止めず、停戦交渉に臨もうとしないのは、こうした世論に後押しされ、「正義」に拘り続けるからなのである。
ゼレンスキーが「正義」に拘り続ける限り、戦いは止まず、ロシア軍のウクライナ全土からの撤退が停戦の最低条件になる。問題は、ロシアのプーチン大統領がこの条件を呑むかどうかである。
去る24日、中国はロシアとウクライナの双方に「停戦」を呼びかけ、対話を行うように求めるとともに、仲裁案ととれる文書を示した(内容は不明)。この仲裁案に対して、ゼレンスキーは歓迎の意向を示し、習近平国家主席との会談にも前向きな姿勢を示したという。
ただこの記者会見の中で、ゼレンスキーは、ウクライナ全土からのロシア軍の撤退を含まない平和は受け入れない方針を、重ねて表明したとされる。ウクライナ全土からのロシア軍の撤退が、停戦の最低条件だということである。ゼレンスキーはあくまでもこの条件に拘り続けるだろう。
対するプーチンはどうか。彼は「ロシア軍の全面撤退」を呑む見返りに、何らかの付帯条件を求めるに違いない。その条件が何か、それはNATOが受け入れられるものなのかどうか。
「正義の伴った平和」が訪れるのは、まだまだ先であるように思える。