ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ブログがフォークに

2023-02-19 09:38:23 | 日記
夜、ベッドに入ると、私はまず「あしたのブログは何について書こうか?」と考える。「何について」の〈何〉が自ずと浮かんでくれば良し、浮かばなければ、スマホを取りだしてネットのニュースサイトを開いてみる。それで〈何〉が見つかれば良し、私は心安らかに眠りにつく。そのままTVerでテレビドラマを見ることもある。

とにかく、〈何〉さえ見つかれば、それをどう料理して書くかは、あしたの問題だ。あしたはあしたの風が吹く。まずは〈何〉を見つけることが大事なのだが、毎日のこととなると、これがけっこう難しい。見つからなければ、見つけようと悪戦苦闘する。それでも駄目なら潔く開き直り、運を天に任せて、出たとこ勝負をするまでのことである。そのほうが却って良い文章が書けることもあるから不思議だ。

昨夜がそうだった。結局、あした書くべき〈何〉は見つからず、見つからないまま、私はいつしか寝入っていた。深夜、スマホからの音声で目覚めた。懐かしいフォークソングが流れていた。昔々、私の青春時代に流行っていた唄である。どうやらYouTubeを開いたまま、眠ってしまったらしい。

私は懐かしさで胸が一杯になり、次々と流れる70年代のフォークソングに全身を浸しながら、夜が明けるまでまんじりともしなかった。ブログで書くべき〈何〉なんて、どうでもいいや、という気分になっていた。

スマホの画面に映ったのは、20代の若者がそのまま50代のオジサンになった姿である。ギターを爪弾きながら声を張り上げるオジサンたちは、皆一様に若かった。若々しく、そして元気だった。今でもなお現役として演奏活動を続けているから、きっと老けずにいられるのだろう。

フォークはブログに似ているのではないかーー。ふとそんなことを思った。日々の生活実感を歌った唄があり、社会問題を取りあげたプロテスト・ソングがある。フォークには恋愛感情を歌った唄が多いが、それは、多くが若者によって作られた唄だからだろう。一方、多くが高齢者によって綴られるブログは、恋愛をテーマにしたものこそ少ないが、年齢なりの世界観、人生観が示されていてそれぞれ興味深い。

若者も、いずれは老いて老境に達する。自分のつよい思いを一つのメッセージとして社会に発信しようとする点では、フォークもブログと変わらない。若い頃、恋の思いを人々に向けて発信しようとしたフォーク・ライターたちが、老境に達した今、社会に向けてどういう唄を書くのか、読んでみたい気がする。
コメント
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