ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

戦争の闇は今

2023-02-25 11:30:43 | 日記
そうだな。久しぶりだけど、やってみようか。
朝ドラの『舞いあがれ!』を見ていて、私は、小学生の頃に夢中になったプラモデル作りに、もう一度手を出してみたくなった。
テレビの画面に、金属製の小さな(手のひらに乗るほどの)模型飛行機が出てきたからである。市街地にある町工場が、近隣住民の理解を得ようと、「オープンファクトリー」を開催し、その呼び物として、この小さな金属製模型飛行機を作ってもらおうとしている。そういうお話だった。

それを見ていて、私は、自分が小学生だった頃を懐かしく思い出したのである。60年ほど前のあの頃、私は学校が終わると、毎日のように近所の模型店に出かけ、ショーウィンドウの中にあるゼロ戦やら、飛燕やら、グラマンやらの模型に見とれていた。月に1台ぐらいの割合でそいつを買ってきて、組み立てた。B−29だったか、メッサーシュミットだったかを組み立てていたときのことだった。母が悲痛な真顔になって、震える声で私に訴えたものである。「お願いだから、そんな敵の飛行機、作らないでちょうだい」。
あの頃は、昭和30年代。まだ米軍機による空襲や、機銃掃射の記憶が生々しく残っていた時代である。
数年後のことになるが、中学生だった時の英語の先生は(若い綺麗な女の先生だったが)、頬に痣(あざ)があった。機銃掃射にやられたんだってよ、と級友たちが噂していた。そんな時代だった。

あれから60年余り。すっかり老人になった私たちは、幸いなことに戦争を知らない。私たちは「戦争を知らない子どもたち」の世代なのである。

戦争を知らない私たちは、当然、戦争の悲惨さ・残酷さを知らない。だが、戦後の貧しさや、戦争で傷を負った人たちの苦しみ・悲しみは知っている。私はまだ忘れない。忘れもしない。修学旅行で上野動物園に行ったときのことだった。不忍池の近くで、片脚や両脚を失くした傷痍軍人たちが、何人かアコーデオンを奏でながら、物乞いをしていた。

話は変わるが、こうした痛ましい記憶は、触れてはいけないタブーなのだろうか。今は昔のことだが、ある雑誌に、その記憶について書いた原稿を送ったところ、その部分だけカットされた経験がある。今は「屠殺」という言葉も使用禁止用語らしいが、それと同じ扱いだった。

ともあれ、そんなふうにして「不都合な記憶」は容赦なくdelete(削除)され、戦争の悲惨さ・残酷さという「不都合な真実」までもがどんどん抹殺されていく。ハッピーでめでたい今現在の日本の「平和」が、そういう記憶の暗い闇の上に成り立っていることを、私たちは忘れてはいけないと思うのだが・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする