きょうは読売新聞の社説《エネルギー提言 火力依存のままでは危うい》(4月11日)をとりあげよう。
フクシマの原発事故から8年。日本では原発反対の世論が高まり、(石炭や天然ガスなどによる)火力発電への依存度が8割を超えるようになっている。しかし火力発電に依存するこの現状のままで良いのか、というのが、読売の問題提起である。
結論から言えば、読売の社説は、「電力供給網が危機にある」と訴え「原子力発電所の再稼働促進や新増設」を主張する経団連の見解と足並みをそろえている。
読売が強調するのは、火力発電がかかえる問題性である。火力発電は温室効果ガスの排出が多い。このことが国際的な批判の的となり、このため石炭火力発電所に対しては、投融資の見合わせや建設取りやめの動きが広がっている。だからいつまでも石炭火力発電に依存するのは「危うい」というのである。
読売はここから、「石炭に代わる環境負荷の小さいエネルギー源が必要だ」と主張し、「原子力の継続活用」を訴える。この読売の主張を、我々はどう受けとめるべきだろうか。
石炭に替わる代替エネルギー源としてまず思いつくのは、「(太陽光などの)再生可能エネルギー」であるが、これはどうなのか。しかしこれは、「天候などによって出力が不安定な上に、コストが高い。太陽光発電などに適した地域と電力需要の大きい大都市を結ぶ送電線網も足りない。」だから「再生エネの普及加速には巨額の投資が必要だ」と読売は主張する。
こうした主張のあとで、読売は唐突に、原発は「発電効率に優れ、二酸化炭素を出さない。」だから「安定供給と環境対策の両立に有効だ」と主張するのだが、この論理の展開には、看過できない論理の飛躍があると言わねばならない。
「再生可能エネルギーは不安定で、コストが掛かるからダメ。原発はOK」と主張するのであれば、読売は「原発は(再生可能エネルギーと違って)安定的で、コストが掛からない」と主張しなければならないはずだ。ところがそうは主張しないのである。
なぜそう主張しないのか。それは、そう主張することが(したくても)できないからである。原発は安定的なエネルギー供給源であるとしても、これが「コストが掛かる」代物であり、決して安価なエネルギー源ではないことを、読売の論説委員はよく知っているのだ。フクシマの惨事が教えたように、原発事故の影響は広範囲に及び、被災者への補償には莫大なカネがかかる。事故を起こさないための安全対策にも莫大なカネがかかる。とにかく原発はカネ食い虫なのだ。電力会社に原発事業から撤退の動きがみられるのは、こうしたことを考えたとき、原発事業が割に合わないことを、経営陣が無視できなくなってきているからである。
カネの問題もさることながら、いったん事故が起こったときの、その被害の広範さ、深刻さも見逃すことはできない。こうした面には一切ふれることなく、一方的に原発事業の促進だ、促進だと言い募る読売の論調は、やはり問題が多いと言わなければならない。
読売の社説は次の文章で終わっている。「資源を持たない日本は、石油危機後、省エネ技術を世界最高水準に磨いた。新時代の技術革新でも世界をリードしたい。」
つまり、日本は新時代の技術、原発関連の技術の面で、中国に遅れをとるわけには行かない、ということで、(きのうの本ブログで取り上げた)「原発促進キャンペーン」につなげようとしているのである。なんだかなあ。
フクシマの原発事故から8年。日本では原発反対の世論が高まり、(石炭や天然ガスなどによる)火力発電への依存度が8割を超えるようになっている。しかし火力発電に依存するこの現状のままで良いのか、というのが、読売の問題提起である。
結論から言えば、読売の社説は、「電力供給網が危機にある」と訴え「原子力発電所の再稼働促進や新増設」を主張する経団連の見解と足並みをそろえている。
読売が強調するのは、火力発電がかかえる問題性である。火力発電は温室効果ガスの排出が多い。このことが国際的な批判の的となり、このため石炭火力発電所に対しては、投融資の見合わせや建設取りやめの動きが広がっている。だからいつまでも石炭火力発電に依存するのは「危うい」というのである。
読売はここから、「石炭に代わる環境負荷の小さいエネルギー源が必要だ」と主張し、「原子力の継続活用」を訴える。この読売の主張を、我々はどう受けとめるべきだろうか。
石炭に替わる代替エネルギー源としてまず思いつくのは、「(太陽光などの)再生可能エネルギー」であるが、これはどうなのか。しかしこれは、「天候などによって出力が不安定な上に、コストが高い。太陽光発電などに適した地域と電力需要の大きい大都市を結ぶ送電線網も足りない。」だから「再生エネの普及加速には巨額の投資が必要だ」と読売は主張する。
こうした主張のあとで、読売は唐突に、原発は「発電効率に優れ、二酸化炭素を出さない。」だから「安定供給と環境対策の両立に有効だ」と主張するのだが、この論理の展開には、看過できない論理の飛躍があると言わねばならない。
「再生可能エネルギーは不安定で、コストが掛かるからダメ。原発はOK」と主張するのであれば、読売は「原発は(再生可能エネルギーと違って)安定的で、コストが掛からない」と主張しなければならないはずだ。ところがそうは主張しないのである。
なぜそう主張しないのか。それは、そう主張することが(したくても)できないからである。原発は安定的なエネルギー供給源であるとしても、これが「コストが掛かる」代物であり、決して安価なエネルギー源ではないことを、読売の論説委員はよく知っているのだ。フクシマの惨事が教えたように、原発事故の影響は広範囲に及び、被災者への補償には莫大なカネがかかる。事故を起こさないための安全対策にも莫大なカネがかかる。とにかく原発はカネ食い虫なのだ。電力会社に原発事業から撤退の動きがみられるのは、こうしたことを考えたとき、原発事業が割に合わないことを、経営陣が無視できなくなってきているからである。
カネの問題もさることながら、いったん事故が起こったときの、その被害の広範さ、深刻さも見逃すことはできない。こうした面には一切ふれることなく、一方的に原発事業の促進だ、促進だと言い募る読売の論調は、やはり問題が多いと言わなければならない。
読売の社説は次の文章で終わっている。「資源を持たない日本は、石油危機後、省エネ技術を世界最高水準に磨いた。新時代の技術革新でも世界をリードしたい。」
つまり、日本は新時代の技術、原発関連の技術の面で、中国に遅れをとるわけには行かない、ということで、(きのうの本ブログで取り上げた)「原発促進キャンペーン」につなげようとしているのである。なんだかなあ。