ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

旧優生保護法 責めを負うのはだれか

2019-04-26 14:52:08 | 日記
70年ほど前のことになる。旧優生保護法に基づいて、多くの障害者たちに強制不妊手術が行われた。こんな理不尽が行われたのは一体なぜなのか。また、こんな理不尽を行ったのは一体だれなのか。その責任をだれがとるべきなのか。

かつて私は本ブログで次のように書いたことがある。
「日本で優生保護法が制定された1948年には、(世界的に見れば)優生学を危険なエセ科学と見なす思潮が形成されていた。こうした新しい思潮を無視し、優生学の負の側面に目を配ろうとしなかったこと、優生学を盲信して、これをあたかもマトモな科学であるかのようにとらえ、これに基づいて法律を制定したことが、当時の法曹界の最大の誤り(=過ち)だったと言えるだろう。
平成の世が終わろうとしている今、糾弾されるべきはこの誤り(=過ち)である。この過ちをおかしたのは「当時の法曹界」だと私は書いたが、さて、そうだとした場合、この過ちに対しては、だれが責任をとればよいのだろうか」
(2018年11月7日《優生保護法 改廃の根拠を問う(その3)》)

さて、このほど不妊手術の被害者を救済するための法律が、議員立法によって成立した。この法律の前文には、被害者が受けた多大な苦痛に対する「おわび」が明記されている。この法律ではこの「おわび」をする主体(主語)が「我々」という曖昧な表現になっているが、それはまあ良しとしよう。旧優生保護法は1948年に、与野党議員の主導で成立した。時代が違い、メンバーが異なるとはいえ、立法府(国会)の議員たちがこの悪法を立法した責任をとり、謝罪をするのは筋が通っている。

釈然としないのは、安倍首相が「政府としても真摯(しんし)に反省し、心からおわび申し上げる」と談話を発表したことである。首相は行政府(政府)の長であって、立法府(国会)の長ではない。安倍首相は「おわび」をする立場にはないのではないか。

それだけではない。救済法云々とは別に、不妊手術の被害者ら20人が国に損害賠償を求めて提訴し、全国7地裁で係争中だという。彼らは理不尽を行った責任が国にあるとみなし、国の責任を追及しているのである。

こういうことなのだろうか。旧優生保護法を制定したのは、国家(の一機関である国会)であり、それを執行したのは、国家(の一機関である内閣)である。よって、立法府と行政府を統轄する国家と、その最高責任者である首相が、この理不尽な行為の責めを負わなければならないのだ、と。

だが、責任を負うべき主体の、その外延をこのように拡大して捉えるならば、その究極は次のような朝日新聞の見解に行き着かざるを得ないだろう。
「旧法を作った国会、政策を進めた政府をはじめ、問題を放置してきた責任が社会全体に問われている。」
(朝日新聞社説4月25日《優生手術救済法成立 尊厳と共生を問い直す時》)

こうした見解に従うなら、理不尽な不妊手術を行った責任は、何よりもまず(世論をリードすべき)新聞に求められなければならない、ということになるだろう。当時の新聞は、優生学の非科学性をあばき、啓蒙する責任を負っていたと言うべきである。

だが残念なことに、「責任は自分たちにあるのだ」という自覚は、どの新聞にも見られない。朝日新聞も同断である。
コメント
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