ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

パーフェクトワールド

2019-04-20 10:16:34 | 日記
4月から始まったテレビドラマに『パーフェクトワールド』がある。事故によって脊椎を損傷した車椅子の青年を、松坂桃李が演じている。私と同じ、車椅子生活を強いられる障害者が主人公なので、先週の初回から見はじめた。

私と同じ車椅子生活といっても、むろん違いはある。主人公の樹は排尿障害で年に何度か失禁する。下肢が完全に機能を失い、杖をついて立ち上がることすらできない。

フィクションとはいえ、こうした情景を見ると「自分など、まだマシなほうだな」とホッとするが、私のほうが逆に負けている点もある。樹はまだ若い青年であるのに、私はといえば、もう老いぼれのジジイなのだ。若い樹はこれからいろんな恋愛経験を積み、成長していくのだろう。恋人とともに喜び、悲しみ、悩んだり苦しんだりするのだろう。老いぼれの私には、喜怒哀楽の情をかきたてるそういう体験ーー恋愛経験の可能性は、限りなくゼロに近い。

自分の姿を振り返ってみると、私は樹などよりも重い、決定的な病ーー〈老い〉という不可逆的な病ーーに罹っているのだという思いにとらわれる。そして、そう思うとき、私はふたたび安心するのである。ーーこの「安心」という思いを正確に言うなら、焦りやジェラシーや対抗心といった、種々の煩悩から解き放たれた(諦めにも似た)悟りの境地とでも言えるだろうか。

〈老い〉という病は、老若男女のだれにも避けられない、不可逆的な不治の病である。若い樹の心身にもこの病の病原菌はすでに巣くっており、いわば潜伏状態にあるに過ぎない。こうした「法(自然界の摂理)のもとでの平等」を自覚するとき、私は煩悩から解き放たれ、なぜか心が安らぐのである。

五体満足で何不自由なく暮らし、健脚をほこる中高年の健常者も、いずれは老いさらばえて死に向かっていく。自分だけが不幸ではないのだ、と考えて自分を慰める、こういう私の心は、なるほど病んでいるのかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする