ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

連休の日に親鸞を思う

2019-04-28 14:46:18 | 日記
我が家では今年1月から読売新聞を購読している。私が毎朝、楽しみに目を通すのは「人生案内」の欄である。悩みの相談に対して「識者」が回答するという、何の変哲もない企画だが、それが存外おもしろい。他人の悩みをおもしろがるというのは、悪趣味だろうか。

先日、その欄に「死が怖くてたまらない」という次のような投書があった。
「30歳の時、洗濯物を干している最中に『死んだらどうなるんだろう』と何となく考えたのが始まりです。その時、自分という存在がなくなって無になるという、真っ暗な深い穴をのぞいたような、どうしようもない絶望を感じました。ゾッとしました。それ以来、電車の中にいる時や夜寝る前などに、ふとその恐怖がやってくるのです。闇に閉じこめられるような恐怖です。
昨年、祖母を亡くしました。身内の死は耐え難いものですが、私の場合は自分が無になる、という恐怖の方が大きいのです。
死は誰にでもやってきて、逃れることはできません。みんなどのように折り合いをつけているのでしょうか。逃れることができないのなら、死を受け入れるためにどうすればいいのでしょうか。」

この投書が私の記憶に残ったのは、ここに書かれた「恐怖」の感覚が、私には馴染み深い感覚だったからである。この感覚を仮に「虚無感覚」と名づけるとすれば、この虚無感覚は若いころ私をしばしば襲って、大きな頭痛の種になった。この感覚に襲われたとき、私は発狂したように大声で叫びたくなるのである。
老いぼれになった近ごろでは、この感覚に襲われることはさすがに少なくなったが、それでも全く無縁になったわけではない。

話は変わるが、私はそのころ『歎異抄』に興味を持ち、これに関連する本を読みはじめていた。解説本『歎異抄をひらく』(高森顕徹著)には、以下のような宣伝文句が添えられている。
「生き方、人生を見つめ直す時に、手にとりたい日本の名著として、今なお高い人気を誇る『歎異抄』。その魅力は、「一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」(哲学者・西田幾多郎)、「『歎異抄』よりも求心的な書物は、おそらく世界にあるまい。文章も日本文として実に名文だ。国宝と言っていい」(小説家・倉田百三)など、知識人たちの心をもとらえて離さない。」(アマゾンのHPより)

私が『歎異抄』に興味を持ったのは、こんな宣伝文句を読んだためかも知れない。
もっとも、この宣伝文句は私にとって、あくまでも一つのきっかけに過ぎなかった。もともと私は、親鸞の「他力」の思想につよい共感をおぼえていた。この「他力」の思想を、私は、「自分の力ではどうにもできないことがある。自分の力では、自分を救うことはできないのだ」と説く思想として理解したが、このような思想を唱導した親鸞がどういう人物なのか、私はもっと詳しく知りたいと思っていた。

にもかかわらず、私がすぐに『歎異抄』に向かわなかったのは、仏教思想そのものに一種わだかまりのようなものを感じていたからである。「阿弥陀仏が私を救ってくださる」という教えが、私にはどうしても受け入れられなかった。(「救世主のイエス様が私を救ってくださる」というキリスト教の教えも、私には同様である。私は宗教的人間ではないのだろう。)

そんな私のアンビヴァレンスを揺さぶったのが、読売新聞「人生案内」の投書だった。この投書を読んで、私はふと思ったのである。「救う」とは、そうした恐怖、一種の虚無感覚にとらわれた自分から、ーー悩める自分から、自分自身を解き放つことではないのか。そしてこの救済は、「阿弥陀仏が私を救いに来てくださる」という仏教の物語の中に、自分の身をおくことではないのか。悟りに向けた禁欲的な修行は、この共同幻想の中に自分の身をおくことを通して、それをリアルに体験し、この体験の積み重ねによって、虚無感覚(煩悩)にとらわれた自分を、自身から解き放つことではないのか。

そう考えたとき、私には『歎異抄』が身近に感じられるようになったのである。

きょうはうって変わって穏やかな快晴。きのう我が家に来た長女一家は、4人そろって近所の公園へ遊びに出かけた。そろそろ1歳になる2番目の孫は可愛い。キューピーさんのような丸々太った男の子で、まだ言葉は話せないが、彼がニコニコ笑顔を向けるだけで、私は何もかも忘れ、無条件に喜びを感じる。この喜びに理屈はいらない。私が読売「人生案内」の回答者だったら、「幼な子の温もりと笑顔を思い出しなさい」と答えるだろう。
コメント
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