ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

連休に便乗して、自主休業したよ

2019-04-29 13:55:35 | 日記
きょうは10連休の・・・はて、何日目なのだろう。2日目だったか、3日目だったか、まあ、そんなことはどうでも良い。ともかく私は、この連休にあやかって、リハセンへの出勤を休むことにした。私が週に一度通うデイサのリハセンは、世の休日には関係なく、正月ぐらいしか休みにならないのである。

怠惰癖のある私は、何かと口実をもうけては「自主休業」をしている。きょうはあいにく天候に恵まれず、雨の降る気配が見当たらないので、「気分がすぐれない」という口実を使うことにした。

これは決して嘘ではない。最近は、リハセンに行くことを考えるたび、私は気が重くなるのである。私が通うリハセンでは、このところ毎週のように部屋の模様替えを行っている。収容人数を増やすためだという噂がある。真偽の程は判らないが、問題は、模様替えを重ねるたび、私にとっては、この施設での移動の難易度が増し、このリハセンが、くつろげない難行苦行の施設になっていくことである。

施設で過ごす時間のほとんどが緊張の連続で、とても疲れる。たとえば、通路の両側の壁が取り払われ、だだっ広い空間の中に立たされただけで、杖を突いてそこを歩く私の緊張は、一挙に倍加する。筋トレマシンまで移動する時間のほうが、筋トレマシンに取り組む時間よりも数倍疲れるという、皮肉な成り行きなのである。

こんなしんどい思いをして、それがどんな意味を持つのだろう、と私は考えた。「なに、それもリハビリですよ」と言う人がいるが、そんな苦行はリハビリとしては何の意味も持たない。私はそう思っている。

あるとき、こんな考えがふと脳裏をよぎった。「このリハセンは、私のような障害者をふるいにかけ、やめさせようとしているのではないか?代わりに、より軽度の、杖なしで歩ける『要支援』の高齢者を、もっと増やそうとしているのではないか?」
よし、それならそれで構わない。一向に構わない。こんな施設にーー営利優先のこんな施設にーーこだわらなければならない理由など、私にありはしないのだ。

善は急げである。私はこのリハセンをやめたいと思っている旨を、さっそくケアマネさんに伝えた。もっと自分に合ったリハビリ施設をさがしたいので、体験入所の手配をしてくれないか、とお願いした。連休が明けたら、追々2、3の施設に当たってみようと考えている。
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