ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

四苦八苦の自己責任

2016-10-02 15:03:59 | 日記
生老病死。これを仏教では「四苦」という。四つの「苦」のことである。ここでは、「苦」は「思い通りにならないこと」を意味している。

たとえば死。死はほとんどの人が忌避し、逃れたいと思う最大のものであるが、その「思い」を実現することができた人が、これまでにいただろうか。

老と病に関しては、事情は多少違っている。老いも病も死の一歩手前の心身の有り様に違いないが、現代のテクノロジーは、この二つの苦を「思い通りに」しようとして、様々に進歩を遂げてきている。

その一つとして、近年、中高年の注目を集めているのが、アンチエイジングの技術である。ボトックス注射はその技術の一つに数えられるが、これを用いて顔の皺を伸ばすなどして、何人もの「美魔女」が生まれているのは、ご存知の通りである。

他方で、病に関するテクノロジーの進歩も目覚ましい。結核や胃癌のように、一昔前なら死を免れなかった病気も、現在では、もはや「死に至る病」ではなくなっている。

お断りするが、私はこうした趨勢を前に、手放しで喜んでいるわけではない。むしろ危惧しているのである。私が危惧するのは、こうした趨勢の結果、すべての病が克服可能なもの、「思い通りに」できるものと見なされるようになることである。そして、病に罹った人が、病を免れる努力を怠った(ダメな)人と見なされるようになることである。病に罹った人は、夜更かしや暴飲暴食など、自堕落な生活をして、病を避ける努力を怠ったのだから、そのツケは自分で支払わなければならない、その治療のために我々の税金が、公金が使われるなんて、トンデモない!というわけである。

最近、ブログで不適切な発信をしたとして、テレビの報道番組の、そのキャスターを降ろされたアナウンサーがいた。このアナウンサーH氏の発言がいい例である。H氏はブログで「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」などと題した記事を発信していた。人工透析や、その原因の一つである糖尿病が「自業自得」だなんて、事実誤認も甚だしい。そんなことは、ググればすぐに分かることなのに。

自業自得だ、という非難の声。これは、なにも人工透析患者に対してだけ投げかけられるものではない。ネットの巨大国民的掲示板「2ちゃんねる」には、嘆かわしいことに、この種の書き込みがあふれている。私は脳出血による片麻痺の後遺症に悩まされている身なので、ご同類が集まる板(スレッド)をしばしば覗くのだが、片麻痺の後遺症に苦しむ脳出血や脳梗塞の患者たちに対しても、「自業自得だ!、お前たちは社会のクズだ!」という嫌がらせの書き込み(いわゆるアラシ)は定番みたいなものになっている。

悩めるご同類のために、ひとつ弁護しておこう。脳梗塞が「思い通りに」なるものでないことは、あの長嶋茂雄氏がこの病気を免れなかったことからも明らかである。元プロ野球選手の長嶋氏は、根っからのスポーツマンであり、健康にはことのほか気を配って、常日頃、節制を心掛けていた人である。自堕落から最も遠くにいたこの人ですら、この病を避けることができなかったのだ。長嶋さんを引き合いに出すまでもない。脳出血と脳梗塞は「脳卒中」という言葉で一括りにされるが、脳卒中が「思い通りに」できるものだったら、この病が「三大疾病」の一つになることなどなかっただろう。脳卒中は癌と同じで、現代の医学的知識をもってしても避けられない難病なのである。長嶋氏とは違い、ブラック企業で毎日長時間労働を強いられたために、高血圧で脳卒中を発症する人も少なくないと聞く。様々な事情で、不幸にもそういう不可避の病に罹った人たちに対して、「自業自得だ!」という言葉を投げかけるのは、思い遣りに欠けるし、また、思い違いも甚だしいと言うべきだろう。

たしかに、脳卒中にも「自業自得」という面があることは否定できない。私事を言わせていただくと、私は長年にわたる深酒と喫煙のせいで脳出血を発症した(と思っている)。

しかし、である。私のアルコール依存とニコチン依存は、私の「思い通りに」できるものだったであろうか。そうではなかった、と私は思う。ブラック企業以上にストレスに充ちた職場に長年勤務し、転職もままならなかった私は、夜毎の深酒に逃げなかったら、きっと心身を深く病み、胃潰瘍で吐血して退職を余儀なくされるか、ノイローゼの末に妻子を遺して自殺するか、同僚を4、5人ナイフで刺し殺すかして、破滅していただろう。今となっては思い出したくもないことだが、そこまで追い詰められたための、アル中だったということである。

思い通りにならない。これは薬物中毒にしても同じである。アルコールやニコチンや薬物の中毒者(依存症患者)を意志の弱い「ダメな奴」と決めつけて「社会のゴミ」扱いする風潮があるが、彼らが薬物に依存するのには、やむを得ない、それなりの理由があるはずだ。そこのところを見落としてはいけない。

薬物中毒者を意志の弱い「ダメな奴」と決めつけて、「社会のゴミ」とみる見方は、彼らを「社会的に無価値な奴」と見なし、さらには「生きる価値がない奴」とみなす見方に、そのまま結びつく。

驚いたことに、最近、次のような報道に出くわした。フィリピンのあの暴言王ドゥテルテ大統領が、自らの麻薬犯罪対策に関連して、トンデモない発言をしたという。なんと、「ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーはユダヤ人300万人を虐殺した。私はフィリピン国内にいる麻薬中毒者300万人を喜んで殺したい」と発言したというのだ。薬物依存症患者を「生きる価値がない奴」とみなし、さらには「殺したほうがいい奴」とみなし、あろうことか「喜んで殺したい」と考えるなんて、この男、ヒトラー以上にたちの悪い狂気に侵されている。

この暴言王に対しては、外交的な手腕はなかなかのものだ、と思っていただけに、私はひどく裏切られた気がして、ガッカリを通り越し、激しい怒りを禁じ得ない。ついつい焼酎に手が伸びてしまうこの頃である。
コメント
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