おはようございます!
いやあ、三連休で、おもいきり、エネルギー充填しましたねー!
なんというか、うるおいのある時間を思い切り送れた感じです。
こころの中に、軽さが戻った感じで、まー、フットワーク軽く、日々を過ごせる感じですね!
しかし、つゆ、開けたねー!
いやいや、昨日は、存分に、自転車トレーニングも、できたし、
破顔ぎみで、ブログも書いちゃう!ってところですかね!
さて、今日は、「翔ぶが如く」シリーズということで、
西南戦争の人物像を見ながら、時代のうねりだったり、人々の思考について論考してみよう!
というわけです。もちろん、司馬遼太郎作の「翔ぶが如く」をテキストに使うので、
それを通して、司馬遼太郎という人間についても論考していきます。
まあ、このひとのだめさ、加減や、自分を誇った人間のだめ部分についても、
提示することになるわけですけどね。
さて、今日は、冷たいVittelをぐびびと飲んで、ゆるゆると論考を始めていきましょうかね!
さて、前回は、乃木の木場での戦いについて、言及しました。
乃木は、木場の戦いで、司令官として、それほどひどいことは、していないし、
吉松少佐との厚情ぶりも指摘できました。何もわかっていないのは、バカ芝だということもね。
だから、吉松少佐は、その突撃にあたり、自分の愛馬を乃木に託し、死んでいったのです。
そんな木場での戦いが、終わった二十三日、今度は、主人公は、熊本民権党の宮崎八郎に変わります。
この宮崎八郎、熊本に、ルソーの基本的人権思想を注入し、今の世を覆し、基本的人権を民衆にもたせる政治に
進化させようと、熊本民権党を率いて、この西南戦争に加わった人です。
そういう意味じゃあ、政治史の上でも、非常に先覚的な人物だったわけです。ただ、時勢眼がなかったんですけどね。
さて、この熊本民権党、人数も四十名から、百名近くに増えたということで、軍隊組織をつくる必要があったそうです。
まあ、政治結社が、軍隊になろうっていうんですから、いささか、無理がありますが、まず、隊長をおかねばならないわけですね。
本来、この熊本民権党を率いたのは、宮崎八郎だったわけですが、多くの人間が、難色を示したそうです。
戦場の統率者は、戦闘部隊の団結の中心であり、戦闘員から、つねに敬愛のこころを持って仰がれねばならない。
しかし、宮崎八郎は、すぐれた詩人であり、運動家であり、思想家であったから、その種の資質が備わっていなかった、と司馬氏は、しています。
これね、またも、間違った言い方なんだよねー。まあ、単に熊本共同体が、バカの集まりだったから、八郎が推薦されなかっただけなんだけど、
それは、おいおい、書いていきましょうかね。
この時代の軍隊の総帥と言えば、戊辰戦争における西郷や板垣に見るように、人柄が寛容な上に余計なことは言わず、身辺が際立って清潔である
必要があった、と、司馬氏は、しています。しかし、宮崎八郎には、陣営に若い婦人が潜んできて逢引していたから、そういう立場には、立てない、としているわけです。
なにしろ、八郎には、れっきとした許嫁がいたんだそうです。その上で、陣営の若い婦人が訪ねてきて、逢引していると、なれば、
その言葉に従いたくない、人間は、多いでしょうね。
ここで、この事実から、宮崎八郎という人物を考えてみましょう。
僕はまず、あまたの思想から、早くにこのルソーの基本的人権に注目した八郎の先見の明をその特徴として、あげたいんですね。
なにしろ、基本的人権は、今、現在の人権、というものの、基本思想ですからね。それを、先見の明的に、注目していた八郎という人間は、
誰よりも、モノが見えていた人間なんです。そして、その自負もあったでしょう。俺は、他の人間とは、違うんだ、という。
この自負が、運動家、思想家としての、八郎の原動力となり、そういう能力もありながら、繊細に現実をみつめる詩人として資質も持っていた。
非常に才能に恵まれた人間なんですね。
詩人は、他人から受ける情愛についても、細やかに感じることができるはずです。それに、運動家、思想家の彼には、そういう才能のきらめきがあり、
他の人間とは、全く違う輝きを発することができた、とわかりますね。自分に意見のある人間と、その意見に同意してついてきた人間とでは、
あきらかに、前者のほうが、価値が上です。自分でモノを考え、本質を理解し、それを広めようとしたこの八郎には、そういう人間的キラメキがあったことが、
容易に想像することができるわけです。
この陣営に潜んでくる若い婦人というのは、八郎達が、熊本に出てくると常宿としていた高瀬屋という宿屋の娘、お浪だったそうです。
つまり、お浪は、八郎以外の人間も見ながら、誰でもなく八郎を選んだ、というわけで、それこそ、八郎の人間的キラメキの存在を証明しています。
ここに、おもしろいことが、かかれています。そのお浪の印象が、
「やや蓮っ葉で、色深いという印象をもたれ、おおかたの同士から好意をもって迎えられていなかった」
というんです。これね。ただの嫉妬でしょ。
「だいたい、男がたくさんいるのに、なぜ、八郎なんだ!」
って、意識を同士は、持つのが普通ですよ。そして、多分、魅力的な女性だったんだと想像できますね。
まず、八郎が、許嫁がいながら、その女性との逢引を楽しんだ、という事実から、八郎にとって、その許嫁の女性より、魅力的だったことが、指摘できます。
さらに、八郎は、詩人であり、運動家です。モノを見る目が肥えているし、彼女の情愛も、誰よりも感受性深く、理解できる資質をもっているわけです。
そして、それをお浪も、わかっていた。だから、お互いが、お互いを離せない関係になってしまったんですね。
そして、それを嫉妬し、
「蓮っ葉で、色深い女だ」
と、言い切ることで、周りのだめ人間達は、自分アゲをしていたに過ぎないんです。
そういえば、この熊本共同隊って、だめ人間の集まりだ!と論考したことがありましたね。
ほら、こういう感じで、別の材料でも、同じ論考結果がでちゃうんです。つまり、本質を貫いているからこそ、真実に近い論考ができているから、
そうなるわけなんですね。
まあ、八郎とお浪のストーリーは、以上のようなモノだったと思います。つまり、八郎とお浪の関係を嫉妬した、熊本共同隊の連中が、
八郎を隊長にするのを、拒否した、というまあ、だめだめ軍団らしい、嫉妬で、動くバカというやつですよ。これはね。
結局、平川という人間が選ばれたそうです。理由は、人間が謹直だから、だ、そうで、
作戦能力も、現場指導力も、無視という、アホな選択なわけです。ま、その最後は、自ずとわかりそうなもんですがね。
さて、このお浪さん、八郎との仲を別に秘めるでもなく、むしろ誇示する風だったと、不思議そうに司馬氏は、書いていますが、
あたりまえじゃないですか。つまり、このバカ集団にあって、八郎の価値をわかっているのは、このお浪と、八郎だけなんですよ。
それ以外はバカの集団ですからね。バカ芝並の。嫉妬から、隊長を能力のないただ謹直なだけのバカにしちゃうわけですからね。
だから、お浪から、すれば、そんなバカに何を言われようと、相手にしなかったんだと思いますよ。
おもしろいことに、八郎の弟、滔天というひとが、度々逢引するお浪のことをよく思わず、途中待ち伏せし、
「兄のことをほんとうに愛するなら、二度とここに来るな」
と、言ったそうです。まあ、そんなことで、会わなくなるはずもなく、お浪は、その後も、逢引したそうです。
滔天は、お浪を斬ってしまおうか、と思ったそうですが、結局それは、実現せず、
八郎戦死後、お浪は、発狂して放浪してしまったそうです。いかに、愛が深かったか、お互いを理解していたかが、わかるストーリーですね。
司馬氏は、このあたり、滔天の目線で、書いています。戦場で、逢引するなど、男のやることでは、ない的に。
女性のことも、人間の能力のキラメキも、バカの嫉妬もなーんのストーリーも理解できていない、ほんとに、この司馬という人間は、
真性のバカ、熊本共同隊の隊士レベルのバカです。
さて、宮崎八郎は、それじゃ、何になったかというと、隊の参謀長と、そして、本営付という役職で、要は薩軍本営付ということなんです。
まあ、言わば連絡係なんですけど、この時期、西郷は、その泊まる場所さえ、襲撃を恐れて秘されていたので、八郎自身あまり接触していないようです。
八郎は、その後、薩軍向けに、挙兵趣旨書なるものを書き上げるわけです。まあ、どうして、自分たち自由民権を志す人間が、薩軍に加わるか、その理由を
書いたものらしいですけど、この文章に自由とか、民権とか、言う言葉が、一切出てこない。
まあ、ごく普通の文章だったんですね。つまり、八郎は、そんなこと、書いても薩摩のやつらには、わからないだろう、という意見なわけですよ。
ここらへん、おもしろいですね。
そして、この文章を、中根という人物に託し、西郷の元へ、持って行かせているわけです。八郎と西郷の接触ってそれくらいだったんですね。
その時、西郷は、
「ヨクデキマシタ。コレハ西郷ガオ貰イシテオク」
と、言ったそうです。西郷は、論考者ですからね。自分たち用に書いたくらいのこと、わかっていたんじゃないですかね。
そして、そういう配慮を感じたから、
「もらった」
んじゃないですかね。西郷のにやりとする表情が、思い浮かびます。
さて、話を薩軍側に戻します。まあ、彼らは熊本城攻めをしているわけですが、まあ、戦果は、はかばかしくないわけです。
城攻めに最も効果を与える砲が効果的に運用されていないからなんですね。
城攻めには、砲による攻撃が、最も効果的であるということは、戊辰戦争の上野の彰義隊攻めで、大村益次郎による指揮で、アームストロング砲が最も威力を
あげたことにより、戊辰戦争を将領クラスで、経験した人間には、当然の知識のはずなんですね。
だから、彼がこれに意図的に言及しなかった、つまり、砲を重視せよとのお達しをださないことは、まあ、西郷の実施しつつある、
薩摩士族削除のための、施策なんですよね。
これに対して司馬氏は、その無い頭で、精一杯考えたのでしょう。次のように書いています。
「かつて薩摩藩は、先代の藩主島津斉彬が、英国の産業革命の成果をそのまま薩摩に移植しようとつとめたために、その装備は、火力重視の方針で行われ」
「火砲に点でも、諸藩に抜きん出ていた。戊辰戦争において薩軍が強かった理由の一つとして、その砲兵の威力も数えられていい<中略>西郷は、」
「島津斉彬のもっとも強い影響を受けていながら、産業革命の理解は、斉彬の足元にも及ばなかった。このため、彼は私学校という一面では、軍事教育機関」
「である学校において、砲兵教育を軽視した。桐野や篠原も同様であった<中略>桐野は、陸軍少将でありながら、攻城は、砲兵力による以外にない」
「という初歩的な知識さえもっていなかったことになる」
って、この文章の目的はわかりますか?
これ、西郷と桐野、篠原らを、
「考えなし!初歩的なこともわかんねーでやんの。俺のほうが、まだ、頭いいぜ。このバカ達め!」
と、司馬氏が、くさしていることが、だだわかりになっています。さらに自分アゲもしていますね。
あのね。西郷は、士族削除を目的としているから、だから、わざわざ、砲を使わないようにしているわけ。
だって、熊本鎮台が、落ちたら困るでしょ!確かに、桐野と篠原らは、部隊長クラスで、戊辰戦争を迎えているから、砲による攻城に頭がまわらなかったかも
しれない。けれど、正規の軍事教育を受けずに速成で作られた軍人なんだから、仕方ないんだよ。
それに対して、あんた、軍事教育うけたから、知っているに過ぎないだろうがよ。なーに、誇っているんだよ。
あんたなんか、ストーリー制作者でありながら、歴史に対して、間違った解説ばかりで、ひとの気持ちも、おんなの気持ちも、なーんもわからないバカ者だろうがよ。
はっきり言って、この「翔ぶが如く」全部、間違っている。間違いしか無い。ストーリー製作者として、だめ人間だ、おまえは。
はっきり言っててめえは、抹殺クラスだ。いつか、史実から、抹殺してやる。
司馬作品など、焚書にしてやるよ。歴史の間違った解説書としてな。
さて、んじゃ、薩軍は、熊本城攻城をどうすすめたか、というと、
二十三日、朝から花岡山というところに、四斤山砲というのをひっぱりあげて、運用を開始しています。しかし、距離の問題なんかもあって、うまくいかない。
それで、早速、国元から、二十ポンドの弾丸を撃ち出す、臼砲を四門とりよせ、打たせたところ、城内に届いた!ということで、
これが、鎮台側を悩ます結果になったそうですね。
まあ、つまり、やること、やっているんですよ。要は、バカ芝が、自分をほこるために、上の文章を書いたに過ぎないことが、だだわかりなんですよ。
ほんと、このバカ、どうしようもないよね。自分を誇るためだけに、文章をつづる。ひとの気持ち、女性の気持ち、なーんもわからない。
人間の心理もわからない。嫉妬心もわからない。なーんもわからないで、自分を誇っているだけ。
それが、この司馬遼太郎という人物の正体なんですねー。もう、毎回こーだから、あきれて物が言えないね。
結局、今回も、自分を誇る、薩軍を、第二次世界大戦時の日本陸軍の上層部に見立てて、くさす。
この二点が、執筆の主な目的なんだから、ほんと、しょーもないよね。
ま、そんな人間にならないように、思考停止者には、近づかないことです。まあ、基本サゲ者ですからね。
とか、いいつつ、解析しちゃっているわけですけど。
まあ、今日も長く書いてしまいました。
ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、水曜日の世界論考で、お会いしましょう!
ではでは。
いやあ、三連休で、おもいきり、エネルギー充填しましたねー!
なんというか、うるおいのある時間を思い切り送れた感じです。
こころの中に、軽さが戻った感じで、まー、フットワーク軽く、日々を過ごせる感じですね!
しかし、つゆ、開けたねー!
いやいや、昨日は、存分に、自転車トレーニングも、できたし、
破顔ぎみで、ブログも書いちゃう!ってところですかね!
さて、今日は、「翔ぶが如く」シリーズということで、
西南戦争の人物像を見ながら、時代のうねりだったり、人々の思考について論考してみよう!
というわけです。もちろん、司馬遼太郎作の「翔ぶが如く」をテキストに使うので、
それを通して、司馬遼太郎という人間についても論考していきます。
まあ、このひとのだめさ、加減や、自分を誇った人間のだめ部分についても、
提示することになるわけですけどね。
さて、今日は、冷たいVittelをぐびびと飲んで、ゆるゆると論考を始めていきましょうかね!
さて、前回は、乃木の木場での戦いについて、言及しました。
乃木は、木場の戦いで、司令官として、それほどひどいことは、していないし、
吉松少佐との厚情ぶりも指摘できました。何もわかっていないのは、バカ芝だということもね。
だから、吉松少佐は、その突撃にあたり、自分の愛馬を乃木に託し、死んでいったのです。
そんな木場での戦いが、終わった二十三日、今度は、主人公は、熊本民権党の宮崎八郎に変わります。
この宮崎八郎、熊本に、ルソーの基本的人権思想を注入し、今の世を覆し、基本的人権を民衆にもたせる政治に
進化させようと、熊本民権党を率いて、この西南戦争に加わった人です。
そういう意味じゃあ、政治史の上でも、非常に先覚的な人物だったわけです。ただ、時勢眼がなかったんですけどね。
さて、この熊本民権党、人数も四十名から、百名近くに増えたということで、軍隊組織をつくる必要があったそうです。
まあ、政治結社が、軍隊になろうっていうんですから、いささか、無理がありますが、まず、隊長をおかねばならないわけですね。
本来、この熊本民権党を率いたのは、宮崎八郎だったわけですが、多くの人間が、難色を示したそうです。
戦場の統率者は、戦闘部隊の団結の中心であり、戦闘員から、つねに敬愛のこころを持って仰がれねばならない。
しかし、宮崎八郎は、すぐれた詩人であり、運動家であり、思想家であったから、その種の資質が備わっていなかった、と司馬氏は、しています。
これね、またも、間違った言い方なんだよねー。まあ、単に熊本共同体が、バカの集まりだったから、八郎が推薦されなかっただけなんだけど、
それは、おいおい、書いていきましょうかね。
この時代の軍隊の総帥と言えば、戊辰戦争における西郷や板垣に見るように、人柄が寛容な上に余計なことは言わず、身辺が際立って清潔である
必要があった、と、司馬氏は、しています。しかし、宮崎八郎には、陣営に若い婦人が潜んできて逢引していたから、そういう立場には、立てない、としているわけです。
なにしろ、八郎には、れっきとした許嫁がいたんだそうです。その上で、陣営の若い婦人が訪ねてきて、逢引していると、なれば、
その言葉に従いたくない、人間は、多いでしょうね。
ここで、この事実から、宮崎八郎という人物を考えてみましょう。
僕はまず、あまたの思想から、早くにこのルソーの基本的人権に注目した八郎の先見の明をその特徴として、あげたいんですね。
なにしろ、基本的人権は、今、現在の人権、というものの、基本思想ですからね。それを、先見の明的に、注目していた八郎という人間は、
誰よりも、モノが見えていた人間なんです。そして、その自負もあったでしょう。俺は、他の人間とは、違うんだ、という。
この自負が、運動家、思想家としての、八郎の原動力となり、そういう能力もありながら、繊細に現実をみつめる詩人として資質も持っていた。
非常に才能に恵まれた人間なんですね。
詩人は、他人から受ける情愛についても、細やかに感じることができるはずです。それに、運動家、思想家の彼には、そういう才能のきらめきがあり、
他の人間とは、全く違う輝きを発することができた、とわかりますね。自分に意見のある人間と、その意見に同意してついてきた人間とでは、
あきらかに、前者のほうが、価値が上です。自分でモノを考え、本質を理解し、それを広めようとしたこの八郎には、そういう人間的キラメキがあったことが、
容易に想像することができるわけです。
この陣営に潜んでくる若い婦人というのは、八郎達が、熊本に出てくると常宿としていた高瀬屋という宿屋の娘、お浪だったそうです。
つまり、お浪は、八郎以外の人間も見ながら、誰でもなく八郎を選んだ、というわけで、それこそ、八郎の人間的キラメキの存在を証明しています。
ここに、おもしろいことが、かかれています。そのお浪の印象が、
「やや蓮っ葉で、色深いという印象をもたれ、おおかたの同士から好意をもって迎えられていなかった」
というんです。これね。ただの嫉妬でしょ。
「だいたい、男がたくさんいるのに、なぜ、八郎なんだ!」
って、意識を同士は、持つのが普通ですよ。そして、多分、魅力的な女性だったんだと想像できますね。
まず、八郎が、許嫁がいながら、その女性との逢引を楽しんだ、という事実から、八郎にとって、その許嫁の女性より、魅力的だったことが、指摘できます。
さらに、八郎は、詩人であり、運動家です。モノを見る目が肥えているし、彼女の情愛も、誰よりも感受性深く、理解できる資質をもっているわけです。
そして、それをお浪も、わかっていた。だから、お互いが、お互いを離せない関係になってしまったんですね。
そして、それを嫉妬し、
「蓮っ葉で、色深い女だ」
と、言い切ることで、周りのだめ人間達は、自分アゲをしていたに過ぎないんです。
そういえば、この熊本共同隊って、だめ人間の集まりだ!と論考したことがありましたね。
ほら、こういう感じで、別の材料でも、同じ論考結果がでちゃうんです。つまり、本質を貫いているからこそ、真実に近い論考ができているから、
そうなるわけなんですね。
まあ、八郎とお浪のストーリーは、以上のようなモノだったと思います。つまり、八郎とお浪の関係を嫉妬した、熊本共同隊の連中が、
八郎を隊長にするのを、拒否した、というまあ、だめだめ軍団らしい、嫉妬で、動くバカというやつですよ。これはね。
結局、平川という人間が選ばれたそうです。理由は、人間が謹直だから、だ、そうで、
作戦能力も、現場指導力も、無視という、アホな選択なわけです。ま、その最後は、自ずとわかりそうなもんですがね。
さて、このお浪さん、八郎との仲を別に秘めるでもなく、むしろ誇示する風だったと、不思議そうに司馬氏は、書いていますが、
あたりまえじゃないですか。つまり、このバカ集団にあって、八郎の価値をわかっているのは、このお浪と、八郎だけなんですよ。
それ以外はバカの集団ですからね。バカ芝並の。嫉妬から、隊長を能力のないただ謹直なだけのバカにしちゃうわけですからね。
だから、お浪から、すれば、そんなバカに何を言われようと、相手にしなかったんだと思いますよ。
おもしろいことに、八郎の弟、滔天というひとが、度々逢引するお浪のことをよく思わず、途中待ち伏せし、
「兄のことをほんとうに愛するなら、二度とここに来るな」
と、言ったそうです。まあ、そんなことで、会わなくなるはずもなく、お浪は、その後も、逢引したそうです。
滔天は、お浪を斬ってしまおうか、と思ったそうですが、結局それは、実現せず、
八郎戦死後、お浪は、発狂して放浪してしまったそうです。いかに、愛が深かったか、お互いを理解していたかが、わかるストーリーですね。
司馬氏は、このあたり、滔天の目線で、書いています。戦場で、逢引するなど、男のやることでは、ない的に。
女性のことも、人間の能力のキラメキも、バカの嫉妬もなーんのストーリーも理解できていない、ほんとに、この司馬という人間は、
真性のバカ、熊本共同隊の隊士レベルのバカです。
さて、宮崎八郎は、それじゃ、何になったかというと、隊の参謀長と、そして、本営付という役職で、要は薩軍本営付ということなんです。
まあ、言わば連絡係なんですけど、この時期、西郷は、その泊まる場所さえ、襲撃を恐れて秘されていたので、八郎自身あまり接触していないようです。
八郎は、その後、薩軍向けに、挙兵趣旨書なるものを書き上げるわけです。まあ、どうして、自分たち自由民権を志す人間が、薩軍に加わるか、その理由を
書いたものらしいですけど、この文章に自由とか、民権とか、言う言葉が、一切出てこない。
まあ、ごく普通の文章だったんですね。つまり、八郎は、そんなこと、書いても薩摩のやつらには、わからないだろう、という意見なわけですよ。
ここらへん、おもしろいですね。
そして、この文章を、中根という人物に託し、西郷の元へ、持って行かせているわけです。八郎と西郷の接触ってそれくらいだったんですね。
その時、西郷は、
「ヨクデキマシタ。コレハ西郷ガオ貰イシテオク」
と、言ったそうです。西郷は、論考者ですからね。自分たち用に書いたくらいのこと、わかっていたんじゃないですかね。
そして、そういう配慮を感じたから、
「もらった」
んじゃないですかね。西郷のにやりとする表情が、思い浮かびます。
さて、話を薩軍側に戻します。まあ、彼らは熊本城攻めをしているわけですが、まあ、戦果は、はかばかしくないわけです。
城攻めに最も効果を与える砲が効果的に運用されていないからなんですね。
城攻めには、砲による攻撃が、最も効果的であるということは、戊辰戦争の上野の彰義隊攻めで、大村益次郎による指揮で、アームストロング砲が最も威力を
あげたことにより、戊辰戦争を将領クラスで、経験した人間には、当然の知識のはずなんですね。
だから、彼がこれに意図的に言及しなかった、つまり、砲を重視せよとのお達しをださないことは、まあ、西郷の実施しつつある、
薩摩士族削除のための、施策なんですよね。
これに対して司馬氏は、その無い頭で、精一杯考えたのでしょう。次のように書いています。
「かつて薩摩藩は、先代の藩主島津斉彬が、英国の産業革命の成果をそのまま薩摩に移植しようとつとめたために、その装備は、火力重視の方針で行われ」
「火砲に点でも、諸藩に抜きん出ていた。戊辰戦争において薩軍が強かった理由の一つとして、その砲兵の威力も数えられていい<中略>西郷は、」
「島津斉彬のもっとも強い影響を受けていながら、産業革命の理解は、斉彬の足元にも及ばなかった。このため、彼は私学校という一面では、軍事教育機関」
「である学校において、砲兵教育を軽視した。桐野や篠原も同様であった<中略>桐野は、陸軍少将でありながら、攻城は、砲兵力による以外にない」
「という初歩的な知識さえもっていなかったことになる」
って、この文章の目的はわかりますか?
これ、西郷と桐野、篠原らを、
「考えなし!初歩的なこともわかんねーでやんの。俺のほうが、まだ、頭いいぜ。このバカ達め!」
と、司馬氏が、くさしていることが、だだわかりになっています。さらに自分アゲもしていますね。
あのね。西郷は、士族削除を目的としているから、だから、わざわざ、砲を使わないようにしているわけ。
だって、熊本鎮台が、落ちたら困るでしょ!確かに、桐野と篠原らは、部隊長クラスで、戊辰戦争を迎えているから、砲による攻城に頭がまわらなかったかも
しれない。けれど、正規の軍事教育を受けずに速成で作られた軍人なんだから、仕方ないんだよ。
それに対して、あんた、軍事教育うけたから、知っているに過ぎないだろうがよ。なーに、誇っているんだよ。
あんたなんか、ストーリー制作者でありながら、歴史に対して、間違った解説ばかりで、ひとの気持ちも、おんなの気持ちも、なーんもわからないバカ者だろうがよ。
はっきり言って、この「翔ぶが如く」全部、間違っている。間違いしか無い。ストーリー製作者として、だめ人間だ、おまえは。
はっきり言っててめえは、抹殺クラスだ。いつか、史実から、抹殺してやる。
司馬作品など、焚書にしてやるよ。歴史の間違った解説書としてな。
さて、んじゃ、薩軍は、熊本城攻城をどうすすめたか、というと、
二十三日、朝から花岡山というところに、四斤山砲というのをひっぱりあげて、運用を開始しています。しかし、距離の問題なんかもあって、うまくいかない。
それで、早速、国元から、二十ポンドの弾丸を撃ち出す、臼砲を四門とりよせ、打たせたところ、城内に届いた!ということで、
これが、鎮台側を悩ます結果になったそうですね。
まあ、つまり、やること、やっているんですよ。要は、バカ芝が、自分をほこるために、上の文章を書いたに過ぎないことが、だだわかりなんですよ。
ほんと、このバカ、どうしようもないよね。自分を誇るためだけに、文章をつづる。ひとの気持ち、女性の気持ち、なーんもわからない。
人間の心理もわからない。嫉妬心もわからない。なーんもわからないで、自分を誇っているだけ。
それが、この司馬遼太郎という人物の正体なんですねー。もう、毎回こーだから、あきれて物が言えないね。
結局、今回も、自分を誇る、薩軍を、第二次世界大戦時の日本陸軍の上層部に見立てて、くさす。
この二点が、執筆の主な目的なんだから、ほんと、しょーもないよね。
ま、そんな人間にならないように、思考停止者には、近づかないことです。まあ、基本サゲ者ですからね。
とか、いいつつ、解析しちゃっているわけですけど。
まあ、今日も長く書いてしまいました。
ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、水曜日の世界論考で、お会いしましょう!
ではでは。