おはようございます!
いやあ、秋から冬へ季節は動いている感じですねー。
サイクルロードレースも、ヨーロッパの最終戦、落ち葉のクラッシックと言われる
ジロ・デ・ロンバルディアが土曜日に終了し、まあ、シーズン終了しちゃいました。
で。
今週末、日本で開かれるジャパンカップに、選手たちがやってきたりするわけですねー。
いやー、宇都宮ですよ!餃子ですよ!
もちろん、ロードレースのある日曜日に、行ってくる予定です!
そりゃ、マキュアン来るんだもん、いかなきゃね!
と、今からルンルンなのでしたー!
さて、「翔ぶが如く」シリーズですが、全十巻のこの本も、
九巻に入ってきました。兵を起こした薩軍は、熊本鎮台を包囲したものの、これを落とせず、
さらに、政府軍との高瀬の戦いでは、全面的に敗北し、攻勢から、守勢に立たざるを得なくなっています。
その最高司令官である、西郷隆盛は、薩摩士族こそ、日本のガンであることを早くから理解しており、
これを削除できるのは、自分と大久保以外にいないことも、理解し抜いている人間なんですね。
だから、粛々とそれを実行している。今まで見てきた通り、打つ手すべてが、その目標に合致したもので
あったのでした。
前回は、そんな薩軍から、各地に密使が遣わされたことを話しました。
まあ、それだけ、薩軍的には、現状に危機感を感じるようになっていた、ということで、
相当やばくなってきているんですね。
まあ、
「便りがないのは、元気な証拠」
なんて、言われますからね。便りがガンガンくると、やばいぞ、これってのは、人間も薩軍も一緒です(笑)。
さて、そんな話が、語られる中、司馬氏は、土佐と西郷という感じで、文章を挙げています。
要は、司馬氏は、前回書いた、岡山県の勝田郡北部の郡長に密使を出したのは、西郷だと決めつけ、
「そういう人間に声をかけるのに、土佐には、声をかけなかった」
というところから、
「西郷は他郷の集団への警戒心の強さを残しているという点では、徹底して封建時代人であったといえるであろう」
とし、
「ともかく西郷が小集団に共闘を求め、大集団に共闘を求めなかったのは確かである」
としています。
これ、どう思います?
普通におかしいと思いますよね。
まあ、また、西郷を馬鹿にするために、文章をつむいでいるんですけどね。
まず、岡山県の郡長に密使をだしたのは、どう考えても、西郷ではありえません。それは、前回書きました。
では、土佐に、声をかけなかったのは、なぜ、でしょう。
これ、まあ、西郷の目的は、薩軍削除ですから、声をかけないのは、当たり前なんですけど、
そう結論づける前に、西郷と土佐に関するエピソードが乗せられているので、それを見ながら、さらに考えてみましょう。
明治七年春、土佐の林有造が西郷を訪ねています。このとき、西郷のまわりには、桐野、篠原、村田、樺山資綱らがいたようです。
そして、林は、次のように話したそうです。
「僕は土佐にて兵を挙げ直ちに大阪城を奪略すべし。閣下は薩南の健児を率いて熊本城を包囲し、その兵を分かち馬関に突出し、以て中国に押し出ては」
「四方の志士は閣下の麾下へ雲集し、天下を制する、又何の難きことあらんや」
まあ、この文章は、広瀬為興というひとが、書いているんですけど、土佐のひとなんですね。それも、この西南戦争のあとに、土佐の人間が、なぜ、
この戦争に呼応しなかったかを、言い訳する文章の中にあるわけです。つまり、ちょっとマユツバ気味なんですね。そこをまず、勘案する必要があります。
まあ、だから、
「土佐だって、動かなかったわけじゃない。実際、早い段階で、うちの藩の林が動いたんだ。だけどさ・・・」
という意識で書かれていることが、だだわかりなんですね。そこをまず、考えないといけません。
そして、この林の献策に対して、西郷は、しばらく沈黙したそうです。
これについて、司馬氏は、
「沈黙はこの際、侮辱にも等しいだろう」
と、書いていますが、果たして、そうでしょうか?
こんな話、軽々にあの西郷が乗るわけないじゃないですか。まあ、これ、征韓論が破れて下野した後の話ですけど、西郷は薩摩士族の処理に頭をめぐらしていた
時期ですから、そんなことすりゃ、自滅するのは、見えていたはずなんですね。そうならないように、いろいろ考えていたのが、西郷ですから、
まず、乗るはずはありません。であれば、この土佐の林に対して、
「西郷は土佐と共に決起することは、絶対ない!」
と、思わせる必要があるわけです。
であれば、西郷は、どうするか。
西郷は、土佐を嫌っている、いや、薩摩人は、全員、土佐人を信頼していない、と思わせることが必要となるわけです。
そして、それを、自分の周りにいる薩摩をうごかす人間達にも、言う必要があったんです。
「薩摩は、土佐と行動を共にしない」
これは、土佐を軽々に立ち上がらせないためでもあったし、それにつられて、薩摩が立っちゃう可能性もあったはずですから、
絶対に、土佐を立ち上がらせては、いけないわけですよ。この時の西郷にすれば。
だから、そういう方向で、発言する、と考えられるわけです。
さて、じゃあ、西郷が、どう言ったか、見てみましょう。
「土佐の諸君は、木戸大久保を助けて、政府の兵を率いて征鹿児島軍に投ずべし」
完璧じゃないですか!
これ、拒絶でしょ。完全なる。
もちろん、これを聞いた、林は、烈火のごとく、怒るわけです。
「なぜ、そのようなことを言うのか」
と、林は、言ったそうです。それに対して、西郷は、
「あなたの説くところ、理なきにあらざるも、しかし、わたしは今日に至っても、いまだ、土佐と結んで共に兵を挙げる意志を持つに至らない」
と、言ったそうです。そして、
「「木戸は、何とか名義を付し、討薩の軍を興さん」それを土佐派の存在がさまたげている。むしろ土佐派は、局外に立ったほうがいい」
「さすれば、木戸は討薩の軍を起こすだろう。自分はむしろ、それを待っている」
と言ったんだ、そうです。
これ、どう思いますか?
本気で、西郷がそう考えていると、思いますか?
むしろ、西郷は、本気で、土佐にそうすることを望んだんだと思います。
つまり、土佐が勝手に立ち上がることは、土佐派の滅亡だと、わかっていたんですよ、西郷は。
だから、まず、それを阻止すべく、
「俺、土佐嫌いだからさ」
と、言ったんですよ。こんなの本心じゃありません。西郷の演技ですよ。
このひと、個人的なことを、言うのが、最も嫌いなひとですよ。個人的なことで、ひとに迷惑をかけたくない信条の持ち主です。
こんな個人の感情で、一藩の意志にするわけないじゃないですか。
つまり、土佐を立ち上がらせないための、方便です。これは。
そして、
「土佐は、局外に立ち、討薩の軍が起きたら、それに合流しろ。私は待っている」
と、言うことで、完全に、
「俺は、土佐嫌いだもんね」
を完成させている。これは、完全に土佐コントロールのための、方便芝居じゃないですか。
まあ、昔書かれた文章だからって、何もかも信じちゃいけません。
みんな意図をもって、書いたりしているし、西郷だって、意図をもって、言葉を吐いている。
ほら、よく西郷を表す言葉で、勝海舟が、言った言葉で有名なのが、あるじゃないですか。
「西郷とは大きな太鼓みたいな人物だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば、大きく響く」
これね、要は、小人物の言うことには、その程度で対応し、モノのよくわかっている大人物には、ちゃんと、それ相応の言葉を吐いていた、
という傍証じゃないですか。
だから、林程度の人間には、こういう、コントロール言葉を吐いていた、ということですよ。だって、時勢が見えていないじゃないですか、全然。
今の僕にだって、こんな簡単にわかるのに・・・ですよ。林が、いかに時勢眼がないか、だだわかりじゃないですか。
それをわかりもせずに、文章に残す、この広瀬為興というひとも、物事が何もわかっていないんじゃないですか?
まあ、このことについて、司馬氏は、先に示したような変な浅いこと書いているし、あんなの全然説明になっていないでしょう?
なにが、徹底して封建時代人だ?馬鹿じゃないの?ほんと浅はかだよねー。さらに、
「政治に含まれる多量の要素が感情であるとすれば、西郷も土佐を政治的に考える場合、言われるところの西郷の大度量は」
「その感情のために、蚤のように小さくなった、ということがいえるであろう」
だから、ゲロ脳だっつーんだよ!
ほんと、くそゲロ馬鹿だなあ!
政治を感情でやる、だと!馬鹿じゃないの。
感情を廃し冷徹に目標に向かって事態をすすめることこそ、政治だよ。
そんな基本的なことも、全然わかっていない。おまえに政治を語る資格なんかねーよ。このくそげろばか!が。
西郷は、大度量だからこそ、方便芝居をつかってでも、土佐を危機から回避させたんだよ。
それすら、わからない、おたんちんだな、おまえは。
まったく頭くるなー。ほんと、最低です。
さて、その後、土佐は、自前で政府転覆の策を持っていたようですが、お金がなくて、流れたようです。
ちょっとこの当たり、笑ってしまいますが、まあ、そういう状況じゃ、この林ってのも、絵に書いたもちを、材料にして話しているんだから、最初から、だめですよ。
西郷は、それも見越していたかもしれません。
大笑いですねー。
しっかし、この林程度の意見を、とらまえて、西郷ダメ論を提出している司馬氏も、相当あれですね。
ま、このあたり、陸奥宗光や、坂本龍馬の名前が踊ったりしているんですけど、まあ、今はいいですかね。
龍馬伝で、見ているから、つい、うれしくなりますが、あれは、あれ、これは、これです(笑)。
うーん、今日はこれくらいにしておきましょうか。
まあ、司馬氏は、坂本龍馬が、大政奉還を行ったことが、西郷の心象を著しく悪くしているとしているんですね。
まあ、龍馬の暗殺の黒幕には、いつものように、薩摩が挙げられますけど、僕は西郷や大久保は、人間の価値を知る人間だから、
そういうことはない、と思います。以前、それについて、論考したときは、西郷や大久保の憤慨を見た、西郷命の人間の価値のわからない
人間的レベルの低い人間が、黒幕だ、としましたけどね。
大村益次郎の暗殺指令を出した、有村俊斎あたりじゃ、ないかなあと、思いましたけど、そのあたりは、解答はでないんでね(笑)。
いずれにしろ、西郷は、大度量だからこそ、他人をも、他者勢力さえ、守ってやろうと、考えられるわけです。
ここらへん、履き違えると、司馬氏みたいになっちゃいますからね。気をつけたほうが、いいと思いますね。
さて、そんな当たりが今日の結論でしょうか。
今日も長くなりました。
ここまで、読んで頂いてありがとうございます。
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。
いやあ、秋から冬へ季節は動いている感じですねー。
サイクルロードレースも、ヨーロッパの最終戦、落ち葉のクラッシックと言われる
ジロ・デ・ロンバルディアが土曜日に終了し、まあ、シーズン終了しちゃいました。
で。
今週末、日本で開かれるジャパンカップに、選手たちがやってきたりするわけですねー。
いやー、宇都宮ですよ!餃子ですよ!
もちろん、ロードレースのある日曜日に、行ってくる予定です!
そりゃ、マキュアン来るんだもん、いかなきゃね!
と、今からルンルンなのでしたー!
さて、「翔ぶが如く」シリーズですが、全十巻のこの本も、
九巻に入ってきました。兵を起こした薩軍は、熊本鎮台を包囲したものの、これを落とせず、
さらに、政府軍との高瀬の戦いでは、全面的に敗北し、攻勢から、守勢に立たざるを得なくなっています。
その最高司令官である、西郷隆盛は、薩摩士族こそ、日本のガンであることを早くから理解しており、
これを削除できるのは、自分と大久保以外にいないことも、理解し抜いている人間なんですね。
だから、粛々とそれを実行している。今まで見てきた通り、打つ手すべてが、その目標に合致したもので
あったのでした。
前回は、そんな薩軍から、各地に密使が遣わされたことを話しました。
まあ、それだけ、薩軍的には、現状に危機感を感じるようになっていた、ということで、
相当やばくなってきているんですね。
まあ、
「便りがないのは、元気な証拠」
なんて、言われますからね。便りがガンガンくると、やばいぞ、これってのは、人間も薩軍も一緒です(笑)。
さて、そんな話が、語られる中、司馬氏は、土佐と西郷という感じで、文章を挙げています。
要は、司馬氏は、前回書いた、岡山県の勝田郡北部の郡長に密使を出したのは、西郷だと決めつけ、
「そういう人間に声をかけるのに、土佐には、声をかけなかった」
というところから、
「西郷は他郷の集団への警戒心の強さを残しているという点では、徹底して封建時代人であったといえるであろう」
とし、
「ともかく西郷が小集団に共闘を求め、大集団に共闘を求めなかったのは確かである」
としています。
これ、どう思います?
普通におかしいと思いますよね。
まあ、また、西郷を馬鹿にするために、文章をつむいでいるんですけどね。
まず、岡山県の郡長に密使をだしたのは、どう考えても、西郷ではありえません。それは、前回書きました。
では、土佐に、声をかけなかったのは、なぜ、でしょう。
これ、まあ、西郷の目的は、薩軍削除ですから、声をかけないのは、当たり前なんですけど、
そう結論づける前に、西郷と土佐に関するエピソードが乗せられているので、それを見ながら、さらに考えてみましょう。
明治七年春、土佐の林有造が西郷を訪ねています。このとき、西郷のまわりには、桐野、篠原、村田、樺山資綱らがいたようです。
そして、林は、次のように話したそうです。
「僕は土佐にて兵を挙げ直ちに大阪城を奪略すべし。閣下は薩南の健児を率いて熊本城を包囲し、その兵を分かち馬関に突出し、以て中国に押し出ては」
「四方の志士は閣下の麾下へ雲集し、天下を制する、又何の難きことあらんや」
まあ、この文章は、広瀬為興というひとが、書いているんですけど、土佐のひとなんですね。それも、この西南戦争のあとに、土佐の人間が、なぜ、
この戦争に呼応しなかったかを、言い訳する文章の中にあるわけです。つまり、ちょっとマユツバ気味なんですね。そこをまず、勘案する必要があります。
まあ、だから、
「土佐だって、動かなかったわけじゃない。実際、早い段階で、うちの藩の林が動いたんだ。だけどさ・・・」
という意識で書かれていることが、だだわかりなんですね。そこをまず、考えないといけません。
そして、この林の献策に対して、西郷は、しばらく沈黙したそうです。
これについて、司馬氏は、
「沈黙はこの際、侮辱にも等しいだろう」
と、書いていますが、果たして、そうでしょうか?
こんな話、軽々にあの西郷が乗るわけないじゃないですか。まあ、これ、征韓論が破れて下野した後の話ですけど、西郷は薩摩士族の処理に頭をめぐらしていた
時期ですから、そんなことすりゃ、自滅するのは、見えていたはずなんですね。そうならないように、いろいろ考えていたのが、西郷ですから、
まず、乗るはずはありません。であれば、この土佐の林に対して、
「西郷は土佐と共に決起することは、絶対ない!」
と、思わせる必要があるわけです。
であれば、西郷は、どうするか。
西郷は、土佐を嫌っている、いや、薩摩人は、全員、土佐人を信頼していない、と思わせることが必要となるわけです。
そして、それを、自分の周りにいる薩摩をうごかす人間達にも、言う必要があったんです。
「薩摩は、土佐と行動を共にしない」
これは、土佐を軽々に立ち上がらせないためでもあったし、それにつられて、薩摩が立っちゃう可能性もあったはずですから、
絶対に、土佐を立ち上がらせては、いけないわけですよ。この時の西郷にすれば。
だから、そういう方向で、発言する、と考えられるわけです。
さて、じゃあ、西郷が、どう言ったか、見てみましょう。
「土佐の諸君は、木戸大久保を助けて、政府の兵を率いて征鹿児島軍に投ずべし」
完璧じゃないですか!
これ、拒絶でしょ。完全なる。
もちろん、これを聞いた、林は、烈火のごとく、怒るわけです。
「なぜ、そのようなことを言うのか」
と、林は、言ったそうです。それに対して、西郷は、
「あなたの説くところ、理なきにあらざるも、しかし、わたしは今日に至っても、いまだ、土佐と結んで共に兵を挙げる意志を持つに至らない」
と、言ったそうです。そして、
「「木戸は、何とか名義を付し、討薩の軍を興さん」それを土佐派の存在がさまたげている。むしろ土佐派は、局外に立ったほうがいい」
「さすれば、木戸は討薩の軍を起こすだろう。自分はむしろ、それを待っている」
と言ったんだ、そうです。
これ、どう思いますか?
本気で、西郷がそう考えていると、思いますか?
むしろ、西郷は、本気で、土佐にそうすることを望んだんだと思います。
つまり、土佐が勝手に立ち上がることは、土佐派の滅亡だと、わかっていたんですよ、西郷は。
だから、まず、それを阻止すべく、
「俺、土佐嫌いだからさ」
と、言ったんですよ。こんなの本心じゃありません。西郷の演技ですよ。
このひと、個人的なことを、言うのが、最も嫌いなひとですよ。個人的なことで、ひとに迷惑をかけたくない信条の持ち主です。
こんな個人の感情で、一藩の意志にするわけないじゃないですか。
つまり、土佐を立ち上がらせないための、方便です。これは。
そして、
「土佐は、局外に立ち、討薩の軍が起きたら、それに合流しろ。私は待っている」
と、言うことで、完全に、
「俺は、土佐嫌いだもんね」
を完成させている。これは、完全に土佐コントロールのための、方便芝居じゃないですか。
まあ、昔書かれた文章だからって、何もかも信じちゃいけません。
みんな意図をもって、書いたりしているし、西郷だって、意図をもって、言葉を吐いている。
ほら、よく西郷を表す言葉で、勝海舟が、言った言葉で有名なのが、あるじゃないですか。
「西郷とは大きな太鼓みたいな人物だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば、大きく響く」
これね、要は、小人物の言うことには、その程度で対応し、モノのよくわかっている大人物には、ちゃんと、それ相応の言葉を吐いていた、
という傍証じゃないですか。
だから、林程度の人間には、こういう、コントロール言葉を吐いていた、ということですよ。だって、時勢が見えていないじゃないですか、全然。
今の僕にだって、こんな簡単にわかるのに・・・ですよ。林が、いかに時勢眼がないか、だだわかりじゃないですか。
それをわかりもせずに、文章に残す、この広瀬為興というひとも、物事が何もわかっていないんじゃないですか?
まあ、このことについて、司馬氏は、先に示したような変な浅いこと書いているし、あんなの全然説明になっていないでしょう?
なにが、徹底して封建時代人だ?馬鹿じゃないの?ほんと浅はかだよねー。さらに、
「政治に含まれる多量の要素が感情であるとすれば、西郷も土佐を政治的に考える場合、言われるところの西郷の大度量は」
「その感情のために、蚤のように小さくなった、ということがいえるであろう」
だから、ゲロ脳だっつーんだよ!
ほんと、くそゲロ馬鹿だなあ!
政治を感情でやる、だと!馬鹿じゃないの。
感情を廃し冷徹に目標に向かって事態をすすめることこそ、政治だよ。
そんな基本的なことも、全然わかっていない。おまえに政治を語る資格なんかねーよ。このくそげろばか!が。
西郷は、大度量だからこそ、方便芝居をつかってでも、土佐を危機から回避させたんだよ。
それすら、わからない、おたんちんだな、おまえは。
まったく頭くるなー。ほんと、最低です。
さて、その後、土佐は、自前で政府転覆の策を持っていたようですが、お金がなくて、流れたようです。
ちょっとこの当たり、笑ってしまいますが、まあ、そういう状況じゃ、この林ってのも、絵に書いたもちを、材料にして話しているんだから、最初から、だめですよ。
西郷は、それも見越していたかもしれません。
大笑いですねー。
しっかし、この林程度の意見を、とらまえて、西郷ダメ論を提出している司馬氏も、相当あれですね。
ま、このあたり、陸奥宗光や、坂本龍馬の名前が踊ったりしているんですけど、まあ、今はいいですかね。
龍馬伝で、見ているから、つい、うれしくなりますが、あれは、あれ、これは、これです(笑)。
うーん、今日はこれくらいにしておきましょうか。
まあ、司馬氏は、坂本龍馬が、大政奉還を行ったことが、西郷の心象を著しく悪くしているとしているんですね。
まあ、龍馬の暗殺の黒幕には、いつものように、薩摩が挙げられますけど、僕は西郷や大久保は、人間の価値を知る人間だから、
そういうことはない、と思います。以前、それについて、論考したときは、西郷や大久保の憤慨を見た、西郷命の人間の価値のわからない
人間的レベルの低い人間が、黒幕だ、としましたけどね。
大村益次郎の暗殺指令を出した、有村俊斎あたりじゃ、ないかなあと、思いましたけど、そのあたりは、解答はでないんでね(笑)。
いずれにしろ、西郷は、大度量だからこそ、他人をも、他者勢力さえ、守ってやろうと、考えられるわけです。
ここらへん、履き違えると、司馬氏みたいになっちゃいますからね。気をつけたほうが、いいと思いますね。
さて、そんな当たりが今日の結論でしょうか。
今日も長くなりました。
ここまで、読んで頂いてありがとうございます。
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。