おはようございます!
いやあ、休みの朝って、いいですね。
今日も天気よくなりそうだし、昨日は、充分遊んだし、
夜には、JSPORTSの通販サイトで、フランセス・デ・ジューのサイクルウェアを買っちゃったし、
うれしいなー、という連休の日々なわけです。
まあ、こういう自分へのご褒美的なモノって、素直に、うれしいですねー。
いやあ、連休最終日も、積極的に楽しくいきましょう!
さて、月曜日の歌詞論考!ということで、男性女性順番にやっていたんですけど、
ちょっと、今日は、このひとの歌を論考したいなあ、という想いがあったので、
それに、素直に書いてしまおうかな、と思いますね。
え、前回、僕は高校生の頃、音楽部に属して、コンサートなどをしていた、
という話をしましたが、その頃すでに、このひとの歌は、もう古い感じがしていましたから、
けっこう古いですよー!
えー、この曲も、コンサートで、歌いましたねー。
はい。この曲、いきましょう。
「さだまさしさんのつゆのあとさき」
ということで、YOUTUBEを見ていたら、なつかしい曲があったんで、晩酌あがりにちょっと
YOUTUBEにあわせて、カラオケ状態ということがあったんですね。
まあ、季節もちょうど、つゆのあとさき、ですからね。これで、いってみようか、と思います。
若い方なんか、知らないでしょうからね。YOUTUBEで、聞いてみたり、なんて、どうでしょう!
さて、僕が、このさだまさしさんを知ったのは、多分、5歳とか、そんな頃だったんじゃないでしょうか。
いわゆる「精霊ながし」という曲ですね。友人の死をモチーフにしたこの曲は、まだ、5歳当時の僕でも、
その哀しみというのが、わかったし、やはり、ストーリーに説得されたんですね。
まあ、この曲でも、わかるように、さださんの曲っていうのは、高いストーリー性で売っている曲なんですよね。
非常に高いストーリー性があって、叙情的で、感動的なんですよね。
まあ、今は、さださんの音楽は、追っていませんが、中学生や高校生の頃は、よくラジオの深夜放送を聞いていました。
まあ、このひと、おもしろいすからね。小説なんかも、モノにしていますし、「夏解」でしたっけ?
それ以前にもいろいろな書籍を出していましたから、基本、おもしろいひとは、何でもできるっていうことでしょうか。
さて、それじゃあ、まあ、いろいろ話足りない部分もありますが、まあ、歌詞論考、ゆるゆるとはじめてみましょうか!
ひとり歩きをはじめる今日は君の卒業式
僕の扉をあけて少しだけ涙を散らして
えー、この曲は、高校生の頃、よく歌いました。
コンサートの練習とか、するわけですけど、まあ、さだまさし好きの連中とバンドを組んでたんで、
一緒に歌ったりしてね。放課後、楽しかったなあ・・・。もう、あれから、何十年ですから、
思春期というのは、いいもんです。好きな女の子の話なんか、したりしてね。
いやあ、当時は、恥ずかしくってそんなことができなかったけ。なつかしいですね。
さて、これは、恋人、というより、元恋人と言えばいいのでしょうか。
今までつきあってきた、女性に、それに少し年下なのかな、その君の今日は、卒業式だ、と
言っているわけですね。僕の扉をあける、ということで、僕から離れていくという暗示をしています。
そして、君は、泣いているわけですね。
あれ、別れるとき、女性はなぜ、涙を流すのか不思議に思っていたんですよねー。若い頃は。
若い頃に経験がありますが、僕も、彼女と別れることになって、別れる意志を持ったのは相手の女性だったのに、
いざ、最後別れるとなると、女性は、涙するわけですね。
「なぜ、こんなに哀しい気持ちにならなければ、いけないの?」
とか、言われてもね(笑)。
「それは、おめーが別れたいって、言ったからだろうがよ」
とか、言いたくなるわけですけど、まあ、理性と感情っていうのは、別だということなんですね。
感情では、まだまだ、好きだけど、理性は、別れを要求している。
新しい愛に、いかなければ、いけない、という・・・いやいや、思い出すとちょっとこころが痛いです。
まあ、とにかく、ひとつの愛が、こわれ、そして、君、は自分の元から、旅立っていく、それを卒業式になぞらえているわけですねー。
さよならと僕が書いた卒業証書を抱いて、
折からの風に少し、こころの代わりに髪ゆらして
卒業式ですから、卒業証書が、必要なわけですけど、それが、さよならと書いた、なんだろう、手紙なのかな?
まあ、そういうものを卒業証書と言い換えているわけですね。そして、揺れているはずのこころの代わりに、髪をゆらしている、
という風景が、語られているわけです。髪は長いんだろう、と思わせるわけですね。髪の長い女性、というだけで、
なんとなく、美しい女性を、思ってしまいますからね。うまいなあ、こういうところ。
なんていうか、好きなひとの書いた文字とか、僕は高校生の頃は、欲しかったですね。
なんだろう。やっぱり好きなひとに触れていたいという気持ちが強かったんでしょうね。
手紙とか、大事にしたもんです。今はどっかいっちゃいましたけどね。
だから、手紙を最後に渡した、という表現なんでしょうね。
しあわせでしたと一言、ありがとうと一言
僕の手のひらに指で書いた君の記念写真
えー、これ、言葉にすると、なんか、美しい感じがしますが、
情景を浮かべるとちょっと、なにそれ?って感じがしますね。
それが、記念写真になるのー?みたいな、感じがしますが、
でも、なんとなく、こー、君、のやさしさだったり、真面目さみたいなのが、表現されていますよね。
あと、かわいさ、もね。
君の細い指先に、不似合いなマニキュア
お化粧は、およしと、思えば、いらぬ、おせっかい
えー、この当時、多分、70年代ですかね。今みたいに、お化粧のうまいひとが、多くなかったような気がしますね。
というか、多分、高校生とか、大学生とか、その頃は、お化粧っけって、なしでしたからね。
なんというか、素肌の美しさで、競っていたような時代だったんでしょうね。
僕は、10代や20代の前半は、お化粧しないほうが、男をノックダウンする力は、あるような気がしますけどね。
まあ、でも、この歌の中では、多分、大人への背伸び、ということで、とらえられているんだ、と思います。
「背伸びをしなくても、君は充分、美しい」
と、この歌の中の男は、言いたかったんでしょうね。ま、いらぬおせっかいですけどね(笑)。
えーそして、ここからが、サビです。
めぐり逢うときは、花びらの中、他の誰よりもきれいだったよ
別れ行く時も、花びらの中、君は最後まで、やさしかった
いーですねー。シーンとして、花びらの中で、美しい君をみつける。
誰よりも君は、きれいだ・・・。
こうね。男って、ほんとに、そう思いますよね。他の誰よりもきれいだ。その君のきれいさに気づいたのは僕なんだ。
なんて、言っても、たくさんの男が同時に気づいちゃうわけですけどね。
もうね。思春期の頃なんてさー、クラスの女の子を好きになっても、ライバルが、わんさか、いるわけでしょ!
そういう中には、サッカー部の主将とかさ、野球部のサードで四番とかさー、いろいろいるわけでさ。
ビジュアルとかさ、かっこよさで、勝てないわけ。もー、あの頃は、失恋しまくりました。ほんとに。
でも、大丈夫。大人になって、ずんどこ経験積めば、なんとかなりますから。何言ってるんだ、俺?
そして、別れ行く時も、花びらの中なんですね。非常にきれいなシーンですね。
そして、君は、最後まで、やさしかった。
この一言が、効きます。だいたい、思春期の男性って、やさしさが、ほしいんですよね。
なんかさ、お弁当つくってきてくれたり、もう、近くにある自動販売機で、ジュース買ってくれただけでも、ものすごくうれしく
なっちゃうわけでさ。あーいう、気持ちってのは、なんだか、なつかしいです。
最後まで、やさしいって、やっぱり、ありますよね。なんだろう、最後まで尽くしてくれたりするわけですよ。
でも、別れは決めている。最後に、いい思い出になったりするわけですよ。別れがわかっているからこそ、そのやさしさが、
こころに残るんですね。
さらに、サビは続きます。
つゆのあとさきの、トパーズ色の風は、遠ざかる君のあとを、かけぬける。
このサビが、ね、好きなんですよ。トパーズ色って、何!って感じですけど。
調べてみるとトパーズって、和名では黄玉と言われる、まあ、宝石の一種ですよね。
まあ、なんつの?黄砂を含んだ風?いやいや、そういう感じじゃないでしょう。
ちょっと、黄色みがかった、風ということで、つゆのあとさきで、ちょっとほこりっぽい風ということでしょうか。
なんかこの、「とぱあず」という言葉が好きで、このサビを歌うと気持ちがいいわけですよ。
その風が、遠ざかっていく君のあとを、かけぬけていく、ということで、非常に叙情的なシーンを表現しているんですね。
別れはつらいものです。自分が好きなひとが、自分を全否定し、去っていくわけですからね。
僕も、いろいろなひととの別れを経験してきました。僕が好きだと言ったひと、言えなかったけど、好きだったひと、言ったけど、好きになってくれなかったひと、
様々でしたね。ま、それも経験です。自分を強くする経験ですね。
ごめんなさいと一言、忘れないと一言
君は息を止めて、次の言葉を探してた
えー。まあ、だいたい、ごめんなさい、なんですよね。忘れないとは、言いますが、絶対、次の瞬間、新しい彼の元へ行って、忘れるっちゅーに(笑)。
だから、それが、わかっているから、何の言葉もだせないことがあるわけですよ。
もうね。ごめんなさい、って、何度言われたことか。
えー、僕は中学生になってから、太りはじめちゃって、高校まで、小太りな感じで、全然モテませんでした。
まあ、浪人したんですけど、そのときに、一緒にダイエットをしたんで、まあ、そこで、人並みになりましたが、
やっぱり、小太りだと、もてないわけですよ。小学5,6年生の頃、なぜか、急激にモテたので、そこからの反動が、
まず、僕の最初の挫折でしたけどねー。今まで、好き!みたいな風にしてくれていた女の子達が、なんか、離れていくわけですよ。
あれは、せつなかったなー。まあ、当時あんぽんたんの極みみたいだったんで、その理由を理解できないわけですよ。
まあ、その頃、ごめんなさい、ってよく言われました。そして、新しい彼氏の元へ、皆、行くわけです。
悲しい子犬のように、震える瞳をふせた
君に確かなことは、もう、制服は、いらない
まあ、悲しそうにしている、ということを、表現しているわけですね。
泣きゃあ、いいってもんじゃないんだけどね。まあ、でも、彼女の最後の涙っていうのは、なんだか、こちらの胸にも、響くもんですよね。
やっぱり、そういうやさしいところを、好きになったわけですからね。相手の気持ちが、痛いほどわかるわけですよ。
だから、ここは、何も言わず、行かせてやろう、なんて、思ってねー。結局、損する性格なんですよねー。
そして、もう、僕から離れるんだから、制服は、いらない、ということになるわけですねー。
めぐり逢うときは、花びらの中、他の誰よりもきれいだったよ
別れ行く時も、花びらの中、君は最後まで、やさしかった
めぐりあったシーンと、別れのシーンを再度、思い出すわけです。
めぐりあったときって、覚えているもんですよね。
甘い思い出として、恋の予感として。
そして、恋がはじまり、甘い時間が始まる。
そして、いろいろなことが、あって、お互いを知って、期待と不安があって、
そして、終わりが、来る。突然の別れ。でも、彼女の好きにさせてあげたいから、何も言わずに別れていく。
それらが、花びらの中で、語られる。いいシーンじゃないですか。
つゆのあとさきの、トパーズ色の風は、遠ざかる君のあとを、かけぬける。
なんかね。終わりは、はじまりだったりするわけで、もう、男の方にも、新しい恋がはじまっているのかもしれませんね。
そして、男は、風と共に終わった恋物語をこころの中で、整理しているのかもしれません。
別れは、新しい恋のはじまりなんですよ。新しい人生のはじまりなんですね。
Ah・・・つゆのあとさきの、トパーズ色の風は、遠ざかる君のあとを、かけぬける。
そして、男も雄々しく次に踏み出していく、トパーズ色の風と共に、彼女の思い出を、遠くに、遠くに、していく、そんな感じなんでしょうね。
めぐり逢うときは、花びらの中、他の誰よりもきれいだったよ
別れ行く時も、花びらの中、君は最後まで、やさしかった
と、ここでは、思い出になっているんですね。
もう、思い出になっている。ひとつの恋が。過去の恋愛になっているわけです。
そうやって、別れというのは、人間のターニングポイントになっていくわけですね。
そして、人間は、成長していくわけです。
この歌は、別れという状況を通して、人間の成長を歌っているのかもしれません。
そう。彼女の成長を。僕という人間を乗り越えて、新しく成長した君。
だからこその卒業式であって、新しい君の旅立ちを祝福する歌になっているんですね。
それが、今日の結論ですかね。男って、つらい立場に立っても、涙ひとつ見せられない、大変な生き物なんですね。
なんて、言いながら、この曲、歌っていて、気持ちいいですよ。今でもね。
なんか、似たようなシチュエーション、思い出しちゃったなあ。あの子は、今頃、どうしているやら。
ま、その子のしあわせを祈って、今日は、この辺に、しておきましょう。
今日も長く書いてしまいました。
ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、「翔ぶが如く」シリーズで、お会いしましょう!
ではでは。
いやあ、休みの朝って、いいですね。
今日も天気よくなりそうだし、昨日は、充分遊んだし、
夜には、JSPORTSの通販サイトで、フランセス・デ・ジューのサイクルウェアを買っちゃったし、
うれしいなー、という連休の日々なわけです。
まあ、こういう自分へのご褒美的なモノって、素直に、うれしいですねー。
いやあ、連休最終日も、積極的に楽しくいきましょう!
さて、月曜日の歌詞論考!ということで、男性女性順番にやっていたんですけど、
ちょっと、今日は、このひとの歌を論考したいなあ、という想いがあったので、
それに、素直に書いてしまおうかな、と思いますね。
え、前回、僕は高校生の頃、音楽部に属して、コンサートなどをしていた、
という話をしましたが、その頃すでに、このひとの歌は、もう古い感じがしていましたから、
けっこう古いですよー!
えー、この曲も、コンサートで、歌いましたねー。
はい。この曲、いきましょう。
「さだまさしさんのつゆのあとさき」
ということで、YOUTUBEを見ていたら、なつかしい曲があったんで、晩酌あがりにちょっと
YOUTUBEにあわせて、カラオケ状態ということがあったんですね。
まあ、季節もちょうど、つゆのあとさき、ですからね。これで、いってみようか、と思います。
若い方なんか、知らないでしょうからね。YOUTUBEで、聞いてみたり、なんて、どうでしょう!
さて、僕が、このさだまさしさんを知ったのは、多分、5歳とか、そんな頃だったんじゃないでしょうか。
いわゆる「精霊ながし」という曲ですね。友人の死をモチーフにしたこの曲は、まだ、5歳当時の僕でも、
その哀しみというのが、わかったし、やはり、ストーリーに説得されたんですね。
まあ、この曲でも、わかるように、さださんの曲っていうのは、高いストーリー性で売っている曲なんですよね。
非常に高いストーリー性があって、叙情的で、感動的なんですよね。
まあ、今は、さださんの音楽は、追っていませんが、中学生や高校生の頃は、よくラジオの深夜放送を聞いていました。
まあ、このひと、おもしろいすからね。小説なんかも、モノにしていますし、「夏解」でしたっけ?
それ以前にもいろいろな書籍を出していましたから、基本、おもしろいひとは、何でもできるっていうことでしょうか。
さて、それじゃあ、まあ、いろいろ話足りない部分もありますが、まあ、歌詞論考、ゆるゆるとはじめてみましょうか!
ひとり歩きをはじめる今日は君の卒業式
僕の扉をあけて少しだけ涙を散らして
えー、この曲は、高校生の頃、よく歌いました。
コンサートの練習とか、するわけですけど、まあ、さだまさし好きの連中とバンドを組んでたんで、
一緒に歌ったりしてね。放課後、楽しかったなあ・・・。もう、あれから、何十年ですから、
思春期というのは、いいもんです。好きな女の子の話なんか、したりしてね。
いやあ、当時は、恥ずかしくってそんなことができなかったけ。なつかしいですね。
さて、これは、恋人、というより、元恋人と言えばいいのでしょうか。
今までつきあってきた、女性に、それに少し年下なのかな、その君の今日は、卒業式だ、と
言っているわけですね。僕の扉をあける、ということで、僕から離れていくという暗示をしています。
そして、君は、泣いているわけですね。
あれ、別れるとき、女性はなぜ、涙を流すのか不思議に思っていたんですよねー。若い頃は。
若い頃に経験がありますが、僕も、彼女と別れることになって、別れる意志を持ったのは相手の女性だったのに、
いざ、最後別れるとなると、女性は、涙するわけですね。
「なぜ、こんなに哀しい気持ちにならなければ、いけないの?」
とか、言われてもね(笑)。
「それは、おめーが別れたいって、言ったからだろうがよ」
とか、言いたくなるわけですけど、まあ、理性と感情っていうのは、別だということなんですね。
感情では、まだまだ、好きだけど、理性は、別れを要求している。
新しい愛に、いかなければ、いけない、という・・・いやいや、思い出すとちょっとこころが痛いです。
まあ、とにかく、ひとつの愛が、こわれ、そして、君、は自分の元から、旅立っていく、それを卒業式になぞらえているわけですねー。
さよならと僕が書いた卒業証書を抱いて、
折からの風に少し、こころの代わりに髪ゆらして
卒業式ですから、卒業証書が、必要なわけですけど、それが、さよならと書いた、なんだろう、手紙なのかな?
まあ、そういうものを卒業証書と言い換えているわけですね。そして、揺れているはずのこころの代わりに、髪をゆらしている、
という風景が、語られているわけです。髪は長いんだろう、と思わせるわけですね。髪の長い女性、というだけで、
なんとなく、美しい女性を、思ってしまいますからね。うまいなあ、こういうところ。
なんていうか、好きなひとの書いた文字とか、僕は高校生の頃は、欲しかったですね。
なんだろう。やっぱり好きなひとに触れていたいという気持ちが強かったんでしょうね。
手紙とか、大事にしたもんです。今はどっかいっちゃいましたけどね。
だから、手紙を最後に渡した、という表現なんでしょうね。
しあわせでしたと一言、ありがとうと一言
僕の手のひらに指で書いた君の記念写真
えー、これ、言葉にすると、なんか、美しい感じがしますが、
情景を浮かべるとちょっと、なにそれ?って感じがしますね。
それが、記念写真になるのー?みたいな、感じがしますが、
でも、なんとなく、こー、君、のやさしさだったり、真面目さみたいなのが、表現されていますよね。
あと、かわいさ、もね。
君の細い指先に、不似合いなマニキュア
お化粧は、およしと、思えば、いらぬ、おせっかい
えー、この当時、多分、70年代ですかね。今みたいに、お化粧のうまいひとが、多くなかったような気がしますね。
というか、多分、高校生とか、大学生とか、その頃は、お化粧っけって、なしでしたからね。
なんというか、素肌の美しさで、競っていたような時代だったんでしょうね。
僕は、10代や20代の前半は、お化粧しないほうが、男をノックダウンする力は、あるような気がしますけどね。
まあ、でも、この歌の中では、多分、大人への背伸び、ということで、とらえられているんだ、と思います。
「背伸びをしなくても、君は充分、美しい」
と、この歌の中の男は、言いたかったんでしょうね。ま、いらぬおせっかいですけどね(笑)。
えーそして、ここからが、サビです。
めぐり逢うときは、花びらの中、他の誰よりもきれいだったよ
別れ行く時も、花びらの中、君は最後まで、やさしかった
いーですねー。シーンとして、花びらの中で、美しい君をみつける。
誰よりも君は、きれいだ・・・。
こうね。男って、ほんとに、そう思いますよね。他の誰よりもきれいだ。その君のきれいさに気づいたのは僕なんだ。
なんて、言っても、たくさんの男が同時に気づいちゃうわけですけどね。
もうね。思春期の頃なんてさー、クラスの女の子を好きになっても、ライバルが、わんさか、いるわけでしょ!
そういう中には、サッカー部の主将とかさ、野球部のサードで四番とかさー、いろいろいるわけでさ。
ビジュアルとかさ、かっこよさで、勝てないわけ。もー、あの頃は、失恋しまくりました。ほんとに。
でも、大丈夫。大人になって、ずんどこ経験積めば、なんとかなりますから。何言ってるんだ、俺?
そして、別れ行く時も、花びらの中なんですね。非常にきれいなシーンですね。
そして、君は、最後まで、やさしかった。
この一言が、効きます。だいたい、思春期の男性って、やさしさが、ほしいんですよね。
なんかさ、お弁当つくってきてくれたり、もう、近くにある自動販売機で、ジュース買ってくれただけでも、ものすごくうれしく
なっちゃうわけでさ。あーいう、気持ちってのは、なんだか、なつかしいです。
最後まで、やさしいって、やっぱり、ありますよね。なんだろう、最後まで尽くしてくれたりするわけですよ。
でも、別れは決めている。最後に、いい思い出になったりするわけですよ。別れがわかっているからこそ、そのやさしさが、
こころに残るんですね。
さらに、サビは続きます。
つゆのあとさきの、トパーズ色の風は、遠ざかる君のあとを、かけぬける。
このサビが、ね、好きなんですよ。トパーズ色って、何!って感じですけど。
調べてみるとトパーズって、和名では黄玉と言われる、まあ、宝石の一種ですよね。
まあ、なんつの?黄砂を含んだ風?いやいや、そういう感じじゃないでしょう。
ちょっと、黄色みがかった、風ということで、つゆのあとさきで、ちょっとほこりっぽい風ということでしょうか。
なんかこの、「とぱあず」という言葉が好きで、このサビを歌うと気持ちがいいわけですよ。
その風が、遠ざかっていく君のあとを、かけぬけていく、ということで、非常に叙情的なシーンを表現しているんですね。
別れはつらいものです。自分が好きなひとが、自分を全否定し、去っていくわけですからね。
僕も、いろいろなひととの別れを経験してきました。僕が好きだと言ったひと、言えなかったけど、好きだったひと、言ったけど、好きになってくれなかったひと、
様々でしたね。ま、それも経験です。自分を強くする経験ですね。
ごめんなさいと一言、忘れないと一言
君は息を止めて、次の言葉を探してた
えー。まあ、だいたい、ごめんなさい、なんですよね。忘れないとは、言いますが、絶対、次の瞬間、新しい彼の元へ行って、忘れるっちゅーに(笑)。
だから、それが、わかっているから、何の言葉もだせないことがあるわけですよ。
もうね。ごめんなさい、って、何度言われたことか。
えー、僕は中学生になってから、太りはじめちゃって、高校まで、小太りな感じで、全然モテませんでした。
まあ、浪人したんですけど、そのときに、一緒にダイエットをしたんで、まあ、そこで、人並みになりましたが、
やっぱり、小太りだと、もてないわけですよ。小学5,6年生の頃、なぜか、急激にモテたので、そこからの反動が、
まず、僕の最初の挫折でしたけどねー。今まで、好き!みたいな風にしてくれていた女の子達が、なんか、離れていくわけですよ。
あれは、せつなかったなー。まあ、当時あんぽんたんの極みみたいだったんで、その理由を理解できないわけですよ。
まあ、その頃、ごめんなさい、ってよく言われました。そして、新しい彼氏の元へ、皆、行くわけです。
悲しい子犬のように、震える瞳をふせた
君に確かなことは、もう、制服は、いらない
まあ、悲しそうにしている、ということを、表現しているわけですね。
泣きゃあ、いいってもんじゃないんだけどね。まあ、でも、彼女の最後の涙っていうのは、なんだか、こちらの胸にも、響くもんですよね。
やっぱり、そういうやさしいところを、好きになったわけですからね。相手の気持ちが、痛いほどわかるわけですよ。
だから、ここは、何も言わず、行かせてやろう、なんて、思ってねー。結局、損する性格なんですよねー。
そして、もう、僕から離れるんだから、制服は、いらない、ということになるわけですねー。
めぐり逢うときは、花びらの中、他の誰よりもきれいだったよ
別れ行く時も、花びらの中、君は最後まで、やさしかった
めぐりあったシーンと、別れのシーンを再度、思い出すわけです。
めぐりあったときって、覚えているもんですよね。
甘い思い出として、恋の予感として。
そして、恋がはじまり、甘い時間が始まる。
そして、いろいろなことが、あって、お互いを知って、期待と不安があって、
そして、終わりが、来る。突然の別れ。でも、彼女の好きにさせてあげたいから、何も言わずに別れていく。
それらが、花びらの中で、語られる。いいシーンじゃないですか。
つゆのあとさきの、トパーズ色の風は、遠ざかる君のあとを、かけぬける。
なんかね。終わりは、はじまりだったりするわけで、もう、男の方にも、新しい恋がはじまっているのかもしれませんね。
そして、男は、風と共に終わった恋物語をこころの中で、整理しているのかもしれません。
別れは、新しい恋のはじまりなんですよ。新しい人生のはじまりなんですね。
Ah・・・つゆのあとさきの、トパーズ色の風は、遠ざかる君のあとを、かけぬける。
そして、男も雄々しく次に踏み出していく、トパーズ色の風と共に、彼女の思い出を、遠くに、遠くに、していく、そんな感じなんでしょうね。
めぐり逢うときは、花びらの中、他の誰よりもきれいだったよ
別れ行く時も、花びらの中、君は最後まで、やさしかった
と、ここでは、思い出になっているんですね。
もう、思い出になっている。ひとつの恋が。過去の恋愛になっているわけです。
そうやって、別れというのは、人間のターニングポイントになっていくわけですね。
そして、人間は、成長していくわけです。
この歌は、別れという状況を通して、人間の成長を歌っているのかもしれません。
そう。彼女の成長を。僕という人間を乗り越えて、新しく成長した君。
だからこその卒業式であって、新しい君の旅立ちを祝福する歌になっているんですね。
それが、今日の結論ですかね。男って、つらい立場に立っても、涙ひとつ見せられない、大変な生き物なんですね。
なんて、言いながら、この曲、歌っていて、気持ちいいですよ。今でもね。
なんか、似たようなシチュエーション、思い出しちゃったなあ。あの子は、今頃、どうしているやら。
ま、その子のしあわせを祈って、今日は、この辺に、しておきましょう。
今日も長く書いてしまいました。
ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、「翔ぶが如く」シリーズで、お会いしましょう!
ではでは。