ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

思う壺?

2023-08-24 08:52:15 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「術中にはまる?」8月20日
 オピニオン編集部専門記者鈴木英生氏が、『小泉悠さんと小田実の平和主義』という表題でコラムを書かれていました。その中に、『ウクライナから逃げてきた若い男性と出会い、「逃げられてよかった」と思った。ウクライナは18~60歳の男性の出国を禁止しているが、「国家の強制から逃れる自由は、やはり大切です」』という記述がありました。
 考え込んでしまいました。外国から理不尽な侵略を受けた、闘わなければ国が占領され、文化も歴史も思想も価値観も破壊され、自由はなく、支配された下層民として一生を過ごさなければならない、という状況下にあるとき、政府は徴兵制を敷きます。しかし、殺すのも殺されるのも嫌だということで、外国に逃れます。
 私はこうした徴兵逃れを肯定する立場でした。私は老年で兵役につくことはないでしょうが、我が子が「兵隊になるのは嫌だ。外国に逃げる」と言い出したとしたら、それを後押しするでしょう。それどころか、積極的に「逃げろ」というかもしれません。ですから、上述の「強制から逃れる自由」発言にも共感します。
 今まで、私の考えは、その時点でストップしていました。しかし、ウクライナ侵攻を目の当たりにして、その一歩先を考えるようになりました。もし、兵役を逃れて外国に逃げていた者が、祖国が無事侵略者を打ち破り、再び国に平和が訪れたときに戻ってきたとして、自分が、家族が戦い、傷つき、あるいは亡くなってしまった人たちは、逃げた者を仲間として受け入れることができるのだろうか、という疑問が浮かんできたのです。
 裏切者、卑怯者、臆病者という罵詈雑言が浴びせられるのではないでしょうか。あるいは、私自身が国内にとどまっていた側だったとして、そうした悪罵を口にするのではないでしょうか。さらに言えば、兵役逃れをした者に対して、裏切者と叫ぶことはいけないことなのでしょうか。自然な感情の発露なのではないでしょうか。国内にとどまり、苦境を耐えた者たちには、「裏切者」を非難する権利があるのではないでしょうか。そんなことさえ考えてしまいます。
 戦争と平和について考えるとは、こうしたことについて自分事として考えるということなのだと思います。中高生になれば、このテーマで議論し合うことができるはずです。若い人にとっては自分事である、徴兵と兵役逃れ問題、多くの学校で取り組んでみてほしいと思います。
 でも、こうした取り組みをすること自体、「極右の連中」の術中にはまることなのかも、という懸念も抱いてしまうのですが。

 

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