ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

「特別」を「普通」に、「普通」を「義務」に

2024-05-23 08:25:48 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「美談が現場を苦しめる」5月17日
 論説委員小倉孝保氏が、『警察官が届けたものは』という表題でコラムを書かれていました。その中で小倉氏は、米国の警察についてのエピソードを紹介しています。『誕生日を祝ってくれる人がいないんです。おめでとうって言ってほしいんだ』という通報を受けた警察官2人が、『男性宅に向かい、途中で大きなカップケーキとキャンドルを購入した。玄関をノックすると、通報者が心細そうに現れた。「名前は?」「クリス」「何歳になったんだい」「25歳だよ。あなたたちは?」(略)警官2人は声をそろえ「ハッピー・バースデー・トゥー・クリス」と歌い、言った。「願い事をして一気に消すんだ」。クリスさんが笑顔になっている』という話です。
 この後小倉氏は、環境省職員が3分でマイクを切っていた件と比較し、『マニュアルを外れたところに優しさは宿る』と結んでいらっしゃいました。酷い結論だと思いました。何を言いたいのか、何が目的なのか、全く理解できませんでした。
 米国の警察の「美談」を紹介したねらいとは何なのか、まさか全体の奉仕者である公務員であっても、マニュアルや規則を無視して、自分の感情の赴くままに行動するべきだ、というのではないと思うのですが。
 学校の教員が、毎日、両親のネグレクトで朝食を摂らずに登校してくる子供に自腹で菓子パンを与えているとします。「美談」です。しかし、この「美談」を優しい教員の心温まる振る舞いと評価し、そのことを広く知らせればどういうことが起きるでしょうか。他の学級、他の学校の同じような境遇にある子供の保護者の中に、「うちの子にも菓子パンお願いします」というものが出てくるでしょう。断れば、「先生は冷たいんですね。子供が可愛くないんでしょう」と言われます。そして「冷たい先生」という評判がじわじわと広がっていくでしょう。
 それでは困ると菓子パンを買って与えれば、しばらくして「菓子パンばかりで飽きた。コンビニの弁当がいい」と言ってくる子供が出てくるかもしれません。断れば「ケチ、冷たい」、要望を叶えればそのうち「同じ弁当で飽きた~」とエスカレートしていくのです。おかしいですよね。
 朝食を摂れずに登校する子供がいれば、校長に報告し、校長を通して福祉につなげるのが公務員としての教員のあるべき姿です。私は教委勤務時、校長にも教員にも、個人が犠牲となって子供や保護者のために尽くすのは美談ではない、という姿勢で接してきました。そうは言っても、家庭に居場所がなく深夜徘徊を繰り返していた子供を警察署にもらい受けに行き、その帰途、深夜営業のファミレスに寄って、「先生も腹減ったから、ちょっと寄っていくけど、お前も何か食べるか。高いのはダメだけど奢るぞ」といって一緒にカレーを食べながら話をする、というようなことまで禁止すると言っているわけではありません。実際にそうした事例には数多く接してきましたし、カレーライスをごちそうになりたいから警察に補導されようとする生徒もいませんから。
 「美談」は、「特別」を「普通」、「普通」を「義務」にしてしまいます。そしてそれには、システム全体を変え、破壊することにつながってしまう危険性があるのです。

 

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