ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

説得力なし?

2024-05-28 08:21:46 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「説得力」5月24日
 読者投稿欄に、世田谷区F氏の『楽しい外遊び』と題された投稿が掲載されました。その中でF氏は、小学4年の次男が外遊びをしているのを目撃したときのことを書かれています。
 『ゆうに高さ10㍍はある木に登って遊んでいる(略)「危ないからやめなさい」と一応は言ってみたが、公園の看板にはどこにも「木登り禁止」と書いていないため、説得力に欠けて困った』と。
 F氏は医師。職業で先入観をもつのはいけないことですが、投稿された文章から見ても、おそらくある程度の常識をわきまえ、考える力表現し伝える力をおもちの方だと考えてよいと思います。
 しかし、そんなF氏が、我が子を叱る、指導するときに「公園の看板の禁止事項」という他者が定めた規則に依ることを当然視していることに、私は驚いたのです。以前このブログで、校則にないことは指導できないという最近の教員の在り方について疑問を呈したことがあります。
 教員にしても、親にしても、それまでの人生経験を通して身につけてきた価値観や人生観、人間観、などに応じて、善かれと思って目の前の子供、自分にとって特別な存在である子供に対して、相手に伝わるようにきちんと事の是非を述べる、そうすることができないというのでは、教育という概念そのものが機能しないのではないでしょうか。
 私は、規則がなくても、危険だから、私は大切なあなたが大きなケガをし、これからの人生を困難なものにしたくないから、あなたが嘆き苦しむ顔を見たくないから、この木に登るのは絶対にやめてほしい、と訴えることができてこそ、子供を育てる大人としての資格があるのではないかと考えるのです。
 もちろん、多少のリスクはあっても木登りという自然体験がもたらすもの、自分の能力の限界まで挑戦する心の大切さ、自力で何かを成し遂げる成功体験などを重視し、やってみろ、よくできたと子供を励ましほめる接し方を選ぶことがあってもよいと思います。要は、自分の考えと判断に基づき、責任をもって子供と向き合う姿勢が大事だと言いたいのです。
 規則万能主義では、考える力のない教員ばかり、親ばかりになってしまいます。もちろん、ルールがある場合、それに従うのは当然のことです。

 

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