ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

無理だろうな

2024-05-22 08:39:09 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「新発想を」5月16日
 『政府の教員確保策 「ブラック」解消には不十分』と題された社説が掲載されました。そこでは、『教員の負担は重くなる一方だ』と断じ、今回の教職調整額の見直しという対応を『「ブラック職場」の根本的な解決にはほど遠い』と言い切っています。さらに、『中教審の特別部会は、地域住民との連携、業務量を減らす取り組みの成果の公表、若手教員の支援強化なども打ち出している。しかし、多くはこれまでの対策の延長線上だ』と批判もしています。全く同感です。
 しかし、『抜本的に改善するには』と言って打ち出しているのは、『教員定数の拡大』であり、『社会人向けの教員免許制度の創設』なのです。これのどこが抜本的なのでしょうか。これこそ、延長線上なのではないかという思いが湧いてきます。
 私は、学校の担うべき役割を見直すことこそが、抜本的の名にふさわしい改革の第一歩だと考えています。ネットを使った職員会議の効率化というような小手先の業務量軽減の取り組みなどではなく、本来学校以外のものが担うべき事柄まで学校が背負い込んでいるものはないか、という視点で大鉈を振るうのです。
 子供の衣食住の提供は学校が担うべきものではありません。だから、給食は廃止するのです。子供の健康管理も第一義的には家庭が担うものです。日常生活を送る上で必要な技能も家庭で伝承されるべきものです。ですから、早寝早起きだとか、ごろごろしていないで体を動かすとか、好き嫌いなく食べるだとか、自分の部屋は自分で掃除するとか、無駄遣いをしないとか、夕食の時間までには帰宅するとかいったことを学校で指導することは止めるのです。
 休日や放課後など、在校時間帯以外の出来事は学校が関知しないのが原則です。万引き等の非行があれば警察が補導すればよいのですし、家族のケアで苦しむ子供にはソーシャルワーカーが関与して解決すべきです。
 社会の要請を丸呑みし増える一方の○○教育については、全てを一旦停止し、ゼロベースから必要順位を付け直し、それぞれに必要な時間数を決め、その内容を教育課程に位置付けるに際しては、その分何を削除するのかを検討して、削除が決定したのち新たな○○教育の導入を認めるというスクラップ&ビルドを徹底することも必須です。我々の社会の発展・維持のために、英語を取るか道徳を取るか、環境教育か福祉教育か、国際理解教育が大切なのかプログラム教育が大事なのか、ぎりぎりの緊張感をもって議論していくのです。
 すべてが大切で欠くことはできないとなったらどうするか。我が国ではありそうなことですが、その場合はもっと大胆な改革をするしかありません。教育期間を伸ばすのです。小学校8年、中学校4年、高等学校4年、大学6年、大学院3年というように。大学を終えて社会に出るのは30歳前後、そうなれば労働力が不足しますから、海外からの移民を大幅に増やすことが必要になり、そのための社会制度も変えていかなければなりません。それぐらいの覚悟がなければ、学校を変え、教員の働き方を変えることはできません。
 無理だろうな。

 

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