ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

卑弥呼は美人?

2024-05-25 08:36:44 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「小学校の歴史の授業」5月18日
 『源氏物語「明石の巻」舞台へ「聖地巡礼」 時超え愛されたあかし』という見出しの記事が掲載されました。『光源氏が住んでいた館、月見をした場所-。源氏物語「明石の巻」の舞台になった兵庫県明石市内に物語ゆかりのスポットが複数存在する(略)1000年以上前のフィクションだが、江戸時代後期の旅行案内本でも縁の深い場所として紹介されている。「聖地巡礼」は時代を超えて楽しまれている』という記事です。
 記事によると、『紫式部と明石との関係は深い。父・藤原為時は播磨国の地方官の経験があり(略)もしかしたら幼少期を明石で過ごしたかもしれない』とのことで、作者が明石についてどの程度知っていたのかもあいまいで、まして物語は完全な虚構、それにも関わらず、『明石観光協会はこれらの史跡について以前から明石城下町を巡るコースの一つに組み込んでいた』というのです。
 今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』人気もあり、このコースを巡る人が増えているそうです。何たるミーハーと思う人がいるかもしれませんが、私は全く別のことを考えました。それは私が専門としてきた小学校社会科の授業、それも最も研究を深めていた我が国の歴史の授業を想起していたのです。
 全歴研という、高校の歴史教員を中心にした全国規模の研究団体がありました。その中の小中高一貫歴史教育の在り方を研究する部会に参加したときのことです。高校の教員からは、小学校における歴史授業の内容には、歴史学上見解が確定していない歴史的な事実を確定したものとして扱っている実践が多く問題だ、という批判が出されました。
 それに対し私たちは、小学校の歴史の授業における最大のねらいは、歴史って面白い、もっと歴史について知りたいという気持ちを掻き立てることであり、そのためには真偽不明な伝承やエピソードなどでも、子供が興味を持ちそうなものは積極的に使っていくというのが基本的な立場だ、という趣旨の説明をしたのです。
 例えば、毛利元就の3本の矢の逸話であり、長篠の戦の3千丁の鉄砲の3段撃ちであり、秀吉の墨俣一夜城の話なのです。歴史的に厳密な事実認定にこだわるのではなく、子供がその発達段階に応じて興味をもち、人々の息吹を生き生きと感じるストーリー性のあるものを取り上げていくということです。そのような学習を通して、歴史が好きになった子供が中高と意欲的に歴史の授業に臨み、その過程で「小学校の授業で聴いたあの話、事実ではないという説の方が有力なんだな」「歴史には、いろいろな説があり、自分が知っているエピソードの中にも事実と違うものがあるはずだ。今度調べてみよう」と考えるようになれば、それでよいという立場なのです。小学6年生が使う社会科資料集には、邪馬台国の卑弥呼のイラストが掲載されています。アニメに登場するような美女の顔で。これも可というのが小学校の歴史の授業なのです。
 そういえば、私が若いころには、NHKの大河ドラマを教材に授業をしたという実践が報告されたこともあります。子供たちがどんどん意見を言っていたのが印象的でした。紫式部になり切って、明石の街で一言つぶやく、それを吹き出しで表現して……、というような自由さが許されるのが小学校の歴史の授業だという考え方、あなたは賛成ですか。
 

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