ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

非属人化

2021-12-28 08:09:30 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「共有化の限界」12月23日
 『コロナ禍の在宅勤務 増えた時間外連絡 守りたい「つながらない権利」』という見出しの特集記事が掲載されました。記事は、『海外で先行事例がある。フランスは17年、従業員50人以上の会社を対象に、勤務時間外のメールの扱いなど、つながらない権利の在り方を労使で協議するよう義務付けた。イタリアでも同様に法制化されている』としていますが、同時に我が国では進んでいないと述べています。
 コロナ禍以前から、教員にとっては、この「つながらない権利」は、大きな問題でした。休日でも、夜間でも、子供や保護者から連絡や相談の電話がかかってくる、それに丁寧に対応しなければ、すぐに「冷たい」「やる気がない」「子供のことを考えていない」「教育者失格」などの烙印を押されかねない状況だったのです。私自身、単に連絡や相談を受けるだけでなく、夜中に出向くことさえありました。休日に出先から緊急で戻ったこともあります。また、相談とは言いながら、夫婦間の愚痴を延々と聞かされたこともありました。
 記事では、「つながらない権利」確保のために重要なことは、『働き方を変える』ことであり、『ネックになっているのは「仕事の属人化」』であると指摘されています。属人化とは、『特定の社員が担当している業務の詳細内容や進め方が、当人以外では分からなくなっている』状態のことで、『仕事が属人化すると、担当者がいなければ業務が回らなくなり、上司や同僚たちは担当者が休みだったり、退勤した後だったりしても、問い合わせの電話やメールをする』ことになってしまうというのです。
 その通りでしょう。しかし、教員の仕事は、属人化を避けることはできないのです。担任の教員は、毎日学校で5時間程度、30人の子供たちと過ごします。そこでは、子供との会話だけでなく、子供同士の会話、個々の表情、誰と一緒にいるか、何をしているか、数えきれない情報が集積されます。そしてそれらを統合して一人一人の子供についての頭の中にあるデータバンクを更新し続けていくのです。その全てを文章化して毎日記録に残しておくことなど、出来るわけがありません。
 いじめ対応などでは、教員間の情報の共有化が大切だと言われますが、それは特別な状況においてなされることであり、同じ学年の教員だけに限っても、それぞれの学級の30人について、情報交換することなど不可能なのです。
 そうした状況下で何かが起きる、そのときその子供の担任の教員が休暇を取っていたからといって、隣の学級の担任が対応しようとすれば、保護者や警察や児童相談所、教委などに事情聴取されても、通り一遍の表面的なことしか答えることはできません。「いつも通り、友達とも話をしていたそうです」などという何の役にも立たない情報を伝えることしかできません。
 そしてそんな対応では、学校は子供一人一人を見守ることができていない、子供理解が不十分と非難されてしまうのです。そうした非難を避けるためには、常に担任が対応するという「属人化」しかないのです。
 私が教員であった頃とは違い、今ではスマホ等でより「つながる」ことが容易になっています。教委や文科省は、教員の「つながらない権利」確立に向けて知恵を絞らなければなりません。

 

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