「AIが及ばない領域」5月10日
『「食経験」無いサプリにリスク』という見出しの記事が掲載されました。食品安全に詳しい立命館大学客員研究員畝山智香子氏に、『サプリの安全性』についてインタビューした記事です。
その中で畝山氏は、『(サプリの)多くは人が長い時間をかけて食べてきた「食経験」がありません』とおっしゃっています。「食経験」について畝山氏は以下のように説明なさっています。
『一般的な野菜では、ゆでたりおかずにしたりして食べる場合には「食経験がある」と言えます。しかし、ジュースや粉末にして食べ方が変わった場合は摂取量が変わるので「食経験がない」と見なします。食経験の有無は安全性を評価する指標となります。紅こうじを用いた「豆腐よう」などは伝統的食品ですが、紅こうじサプリは「食経験はない」のです』と。
さらに、『ミカンにはビタミンが含まれていますが、ほかの全ての成分が分かっているわけではありません。仮に、体に悪さをする成分があるとしても、毎日大量に食べるわけではないので、大きな影響がないだけかもしれません』とも述べていらっしゃいます。
正直にいうと、私はこの記事を見て軽いショックを受けました。人間はまだミカンの含まれている成分さえすべて把握しているわけではない、未知の成分がどのような働きをするかも分かっていないということに、です。
私は決して科学万能主義者ではないのですが、これだけ自然諸科学が発達している21世紀に、珍しくもない身近にありふれた食材であるミカンの成分などすべて明らかになり、それらの成分が人体に及ぼす影響も専門家の間では常識となっていると思い込んでいたのです。私のつれあいも、私と同じように驚いていました。
私が毎朝食べている食事、味噌も醬油も納豆も玉子も、米も豆腐もわかめも梅干しも、白菜キムチも搾菜の漬物も鯖味噌煮も沢庵も、未知の成分が含まれていて、その中には「毒」も含まれているかもしれない、ということです。それにもかかわらず、私がほとんど病気をしないで古希近くまで元気で過ごしていられるのは、「食経験」が、それらの安全性を確かめてくれているからなのだ、ということに、です。
このことは、私に、人々が日々の生活の中で長年積み重ねてきた「経験」というものの重さ、大きさを再認識させてくれました。最新科学でも明らかになっていない食の安全性が、経験によって補強されていたのです。同じようなことは他の分野においてもあるような気がします。
例えば、子育てや教育においても、です。学校の教員が長年、多くの子供と接して感じ取ってきた知見、その中にはAIによる分析ではたどり着けない貴重なものがあるのではないか、と考えてしまうのです。古いタイプの教員となってしまった私の郷愁にすぎないのでしょうか。皆さんはどう思いますか。