ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

社会性なしで幸せに

2024-05-18 09:00:21 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「ひきこもり」5月10日
 『「病的ひきこもり」早期発見 メンタル守る支援充実を』という見出しの記事が掲載されました。『九州大の専門家チームは「病的なひきこもり」と、病的ではない、いわば健康的なひきこもりを区別するための簡便な診断評価法を開発』したことを報じる記事です。
 記事によると、『「健康的にひきこもっている分には幸せだが、一部には病的な人がいる。長期にわたるとメンタルを病むことがある」として、両者を見分ける』ことが大切だということです。その診断評価法をみると、『1時間以上外出する日が週に3日以下であれば「物理的ひきこもり」とし、その期間が3か月以上6カ月未満であれば、「プレひきこもり」、6カ月以上であれば「ひきこもり」とする』とありました。
 我が家ではこの記述を目にして、つれあいとの間で議論になりました。まず最初の論点は、ひきこもりは1回当たりの時間の問題なのか、ということでした。私とつれあいは毎朝ウォーキングをします。45分程度です。これは1時間以下ですから回数にカウントされないことになります。でも毎日ですよ。1週間で見れば、45×7=315分、5時間強になるのですが。1時間ずつ3日、180分の人よりも外出しているように思うのに、という疑問です。
 さらに、私たちがイメージするひきこもりは、家族を含め他人と触れ合わない、ということでした。しかしこの診断評価法の考え方からすると、一人で家を出て、自転車でサイクリングロードを1時間走り、その間誰とも会話をせずに帰宅するということでもひきこもりの基準からは外れてしまうということになります。それでよいのかという疑問です。
 また、『病的ひきこもりになった人の要因を分析すると、社交的で社会的な達成感を求める傾向が強く、協調性の高い人はリスクが高いことが判明した』ということについても、議論になりました。要するに人と交わることに意義を見いだす人は、ひきこもっていることを気にしメンタルを病んでしまうが、元々他人には関心がないという人はひきこもっていることなど何も気にならずメンタルを病むこともないということでしょう。
 学校においても「ひきこもり」の子供への対応は大きな課題となっています。私もそうした状態で不登校が続いている子供を担任し、対応に苦慮した経験があります。しかし、ひきこもりと不登校という2つの現象を結び付けることなく、不登校は不登校、ひきこもりはひきこもりとして対応を考えれば、子供に社会性を育まなければ引きこもりを気にしなくなり、メンタルを病むこともなくなり、病的ひきこもりに陥る危険性も減るということになります。そうなのでしょうか。
 もしそうだとすれば、学校では協働体験などを減らし、タブレットの画面を見つめて一人で学習を進めるという形を取り入れれば、病的ひきこもり対策になるということになります。究極的には、リモート授業を拡大し、他人と触れ合う機会を減らせば、社会性も育まれず、ひきこもり状態を苦にする人もいなくなるという形を目指すことになります。
 なんか違う気がしますが。

 

コメント
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