私が住んでいるのはイズミルのKONAK区、買い物やどこかへ出かける時の多くは中心街のKONAK広場までメトロやバスで出ます。そこからまた乗り換えてフェリーに乗ったり、歩いたり・・・そんな時に必ず眺めるのがイズミルのシンボルSAAT KULESI(時計塔)。なつめ椰子と並んだ南国風な姿は美しく、いつ見てもすがすがしい気持ちになります。
アブドゥルハミト2世(1876-1909年)の即位25周年を記念して、1901年にオスマン帝国の高官Mehmet Said (メフメットサイド)パシャが、ドイツ領事館を手がけた建築家に作らせた塔は25mの高さがあり、まわりには4つのCESME(チェシュメ=泉水)があります。柱には北アフリカの雰囲気があります。
塔の時計はドイツの皇帝ヴィルヘルム2世(1888-1918年)の贈り物です。時計が置かれてから今日までただ一度だけ止まったことがあるそうです。1974年にあったイズミル地震で時計塔の上部が崩れ、地震のあった2時4分をさしたまま修復の終わる2年後まで止まっていたそうです。この地震、MD5.2だったそうですが・・・。
大昔に初めてイズミルを訪れた時は、夜だったので写真もとらずに記憶が定かではないのですが、数年前にHurriyet(ヒュリエット)紙で「トルコの最も美しい広場10」の第一位に選ばれたKONAK広場は、ぽつんと時計塔があるだけの寂しい場所でした。今思うと造成中だったのかもしれません。今はSAAT KULESIとイズミル湾フェリー乗り場の間には公園が整備され、広場の下には上下3車線の道路が通っていますが、当時はSAAT KULESIからすぐにフェリー乗り場へ行けたような気がするのです。
いつ頃の写真なのかは不明ですが、市電のレールが見えたり、対岸の街カルシュヤカにはまだほとんど建物が建っていない様子がわかります。今もSAAT KULESIの横にあるなつめ椰子の木、これがオリジナルなのでしょうか。
いつ行っても、絵になるSAAT KULESI、そのたびについ写真を写してしまいます。人が集まり、通り過ぎ、写真を写したり、座ったり、待ち合わせをしたり、鳩に餌をやったり・・・。季節により、時間帯により、それぞれの美しさがあってイズミルっていいなあと思う時です。
JIKADのロゴにもSAAT KULESIが。
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こんなに近くに寄った物は、始めて見ましたが、綺麗なものですね。
時計が付いていました。そうですか、マグニチュード5.2で止まりましたが。大きさだけで判断すると、微笑ましいなと思う数値ですが、所によっては変わりますよね。その時の地震では、イズミルに他の被害は無かったのでしょうか。
最初の写真の遠くに、クリスマスのイルミネーションのような物がありますね。12月ですものね。風で風船が揺れて、寒そうにみえます。
寒いイスタンブールからカッパドキア→パムッカレそしてイズミルへ
バスターミナルへ降りた時から、温かい青年と合い、そしてメフさん&ユカさんに連れて行ってもらったのが時計塔でしたね。
カミさんは知りませんが、私はあの時の安心して町を周れる嬉しさと、なんともすがすがしい風と空気今でもずっと覚えてますよ。
3人の子供が生まれて、長男・次男とメフさんと行った時は、本当に「あ~また来れたなぁ~」そして、ついつい万歳してしまったw
いいなぁ~また行こう!今度は、陽太を連れてw
その地震の時にイズミルの被害はどうだったのでしょう。調べてみます。
遠くに見えるイルミネーション、ちょうど飾り付けをしているところでした。昼間にやって夜ぱっときれいにつければいいのに、と思うのは日本人だけなのでしょうか。この前も別の広場でやっぱり夕暮れ時にやっていましたよ。
このところ寒くはないイズミルです。とても過ごしやすいですよ。
可愛らしい時計塔、私も大好き!。
近くで見ると素晴らしい塔!です、シロクロ写真との比較も面白いね。 随分と賑やかなコナック広場!に~豪華客船横付けの頃も見たかったな。
昔の写真はどこで見つけてきたの??
豪華客船はこのフェリー乗り場には来ません。ここは湾内のフェリーのみ、豪華客船はアルサンジャック埠頭に入ってきます。
白黒写真はインターネットのイズミルのことを紹介しているページからです。面白いよね。
と、ブログ内容と関係ない事書いてますが。(汗)
イズミルというと、即時計塔が浮かびますね。それぐらい、私の中でもシンボルです。