浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

朝鮮戦争(再掲)

2020年06月25日 | 日記
昭和25年6月25日 朝鮮戦争勃発の日を書いたブログを再掲する。




1950.6.25

2006年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム



153_5333 午前6時すぎ、みわちゃんから電話がかかってきた。「いまから韓国の釜山へ行ってくるよ。熱は下がったし、食欲もあるからダイジョウブ!」

みわちゃんはパパとママと、おともだちと連れ立ってプーサンへ一泊二日の旅へ。水中翼の高速船に乗れば、博多港を9時に出航するとお昼にはプーサンへ着く予定。「楽しんでいらっしゃい!」

梅雨前線が対馬海峡にあって、九州北部地方は大雨の予想、プーサンは雨が止んでくれればよいが…

56年前のきょうは、朝鮮戦争が勃発した日だ。昭和25年、1950年6月25日、おじいは中学1年だった。あの日は日曜日、おじいは夜明けに起きて、一人自転車に乗ってエビ釣りに行った。家から1時間余り離れた緑川河口のクリークへ行った。麦刈りが終わり、田植えの準備が進んでいた。エビはよく釣れた。100匹は釣れたろう。餌のミミズがなくなったので、仕方なく帰途についた記憶がある。

家まで2キロあまりのところまで来た。そのとき、道端の家から突然、ラジオの臨時ニュースのアナウンス。おじいは急ブレーキをかけてラジオを聞いた。「朝鮮で戦争がはじまった!」というのだ。おじいは中学1年、グラマン戦闘機の機銃掃射に震え、火の雨のように降ってくる焼夷弾の下を逃げまわった小学校(当時は国民学校と呼んだ)2年のときの恐怖が甦った。いまにも、空襲を知らせるサイレンが鳴って、空襲がはじまるのではないか?と思った。恐ろしかった!早く帰ろう、自転車のペダルを懸命に踏んだ。母のもとへ急いだ。近所のお年寄りや奥さん達が寄り集まっていた。どの顔も暗く、不安な表情だった。

朝鮮半島の激戦をラジオが伝え、新聞紙面には戦火から逃げる人々の姿があった。さいわい、おじいやおふくろ、中学の日々のくらしには変化がなかった。

朝鮮半島で戦火がおさまったのはそれから3年後だった。この間、戦争の犠牲になった人は400万人といわれる。ほとんどが朝鮮半島の人たち、そして国連軍の米軍人、参戦した中国軍の軍人も戦死した。

けさの新聞には、朝鮮戦争に関する記事はない。ラジオ「きょうは何の日?」が朝鮮戦争開戦が56年前の今日であることを伝えた。それで、おじいは朝鮮戦争開戦の日の恐怖を思い出したというわけ。北朝鮮がテポドンを発射準備をしているというニュース、杞憂ではないが、空を眺め、恐ろしいと思う。







実は朝鮮半島では、休戦はつづいているが、名目上は休戦だが、戦争状態にある。

3年後、1953年7月26日、休戦協定が結ばれた。65年間、戦争状態が続く。何という怖ろしい現実。




大雨

2020年06月25日 | 日記
昨夜から今朝にかけて、長崎県させぼや佐賀県北西部にかけて
激しい雨が降った。
あすにかけ、福岡県でも大雨になりそうという気象台の予報。
梅雨の真っただ中に突入だ!