≪日が暮れぬうちに≫
松の木の年輪は幹を切って年輪を数えるまでもなく、根っこ近くから一年に一節伸びる枝を数えれば、その松の樹齢はわかる。枝の数だけでなく枝や幹の張りぐあいを見れば、松がどのように風雪を乗り越え年輪を重ねてきたか、その状況もわかろうというもの。
目は垂れ、背中は曲がり、頭髪はまばらになった私。
77年の年輪を刻んだ松はそれなりの風格があるものだが・・・
さて、人間はどうだ?
果たして私の風采に他人様は松にも似たなにかを認めていただけるかどうか?
つれあいの目から見た私はどうなんだだ?
もはや私はデクノボウ扱いかもしれない。
この時代、恐いものはボケ!ボケは足音もなくやってくるという。
認知症800万人の時代。
がんもまた静かに忍び寄る。
「日が暮れぬうちに・・・今でしょ!」、と友から檄文が届いた。そうだ!いま青春を意識するとき!!!そんな年だった。
3月24日 結婚51年。金婚式は去年済ませた。
3月26日 母黌のセンバツをテレビで応援。
甲子園で再び応援できる日が来るだろうか?と
誰言うとなくアルプススタンドで語ったという。
今度は東京オリンピック。ビミョウですな!
8月16日 中学同窓会。鬼籍に入った友人の多さに粛然。
9月9日 私の誕生日、満76歳。もう立派な喜寿じゃあないか?
祝い事は数えで行うと辞書にある。
とすれば立派な喜寿だ。
来年、高校の同窓会でみんなで喜寿を
祝おうということになった由。
つれあいだって年が明ければ、立派な喜寿となる。
しかし、あまり嬉しそうではない。喜寿に向かって
「来るな!近づくな!」と叫んでいる気配・・・
10月19日 「今でしょ・・・日が暮れぬうちに、
足下が暗くならないうちに!」
語り明かそうと檄を飛ばした仲間。
集まった14人の仲間。
ソウナンダ!ダレソレのケガや病気の報に胸が
痛み、彼岸のかなたについ目が行くきょうこのごろ。
かつて、私のブログに書いた(2010.06.21)。
“いまやらなきゃあ いつできる。俺がやらなきゃあ誰がやる”、松永安左エ門の言だと聞いた。