活元運動をお勧めする、整体師のブログです

体は自然の一部であり、季節ごとに特徴があり、調整点が異なります。

高野先生の原稿

2008-09-24 20:34:37 | 日記・エッセイ・コラム
 高野先生のお嬢さんの晶さんから、先生の自筆の原稿と、それ
を纏めた晶さんの原稿の、それぞれのコピーが送られてきたの
は、今月10日頃のことである。

 よくぞここまで、というより流石は晶さん!と云うべきか、とても
よく纏められた原稿は、私にとっては只細かい部分(それこそ枝
葉末節)を少し『この方が、より分かりやすいのでは…』程度の
意見を云わせて貰うだけのものであったが、ともかく2時間ちょっ
とかけて突き合わせをさせて貰った。

 晶さんは多忙の中、なんとか今年中には本に仕上げたいとの
ことで、先生の教えを受けた我々皆にとって将に宝物の完成が、
余計待ち遠しくなってきた。


整体後の身体の変化(2)

2008-09-24 20:18:14 | 体の変化
 秋口に軽い風邪を引くことは、敏感な身体の正常な反応である
ことは、整体を多少でも学んだ人なら大抵知っていることである
が、(秋に限らず)整体の後で風邪を引くことも又、正常な反応の
一つの形で、後は上手く経過する様に、身体を温かくして外の風
に当たらないように気を付け、水を飲むことが肝要である。

 上手く風邪を経過すれば、前より身体が軽くなり、快適に過ごせ
る。

 然し、整体の後で通常ではない大きな反応が表れた場合は、何
か病気が隠れていることが多い。
 身体が敏感になって、鈍い時には起こらなかった反応が起きる
為である。
 医師の手に掛からねばならないことも、当然ある。


整体後の体の変化

2008-09-18 13:49:39 | 体の変化
 秋になり、骨盤の閉りを中心とする体の変動が大きくなってき
た。

 風邪をひいたり多少の下痢をすることは、体が敏感であること
の表れであるが、野口先生の「風邪の効用」を読んだり、活元運
動をしたり整体を受けている人は、そういった変動に対して驚い
たり怯えたりせず、喜んで受け止めることが出来るのは、有難い
ことである。

 一般的な反応としては、翌日乃至は二日くらいの体のだるさが
あるが、体の中の鈍り滞っていた場所が正常(敏感)になる前の
過敏状態である。
 これは、不必要にやり過ぎた場合の所謂“もみっかえし”とは
違い、その後は快適になる。

 然し整体を受けた後の体の変動は、もっと激しいこともある。

 可動性が無く硬直した椎骨を動くようにすると、一時的に痛み
が出ることが多いし、体内の不要なものが滞っていた人は、体
が敏感になることによって下痢症状が数日続き、排泄すること
も稀ではない。
 整体の勉強を始めてまだ数年の頃、ある老婦人を何度か整体
の後依頼が途切れたことがあるが、後で紹介者の人から「あの
人は急に下痢が始まって2~3週間しても止まらず、医者に行っ
たようです」と云われた。
 恩師の高野先生にそのことを尋ねると、「それは癌的なものが
排泄される反応だから、下痢を無理に止めてはいけないのだが
…」云われた。
 その後どのくらい経ってからか忘れたが、その老婦人が胃癌
で亡くなったことを聞き、(絶対にそうだという訳ではないが)
『やはりそういうことだったのか!』と残念に思ったものである。

 女性の生理が一旦周期が乱れたり、飛んだりした後で順調に
なり、骨盤の弾力も増すようなこともある。

 然し慌てて色んな手段を講じ、折角の有難い自然の経過を乱
してしまう人も多いのは、誠に残念なことである。

 体は自然のものであり、自然から離れて生きることはできない。
 自然の働きを信じ、自分の体を信じて、体の変動を落ち着いて
受け止めて欲しいものである。



鼻づまり(2)

2008-09-13 11:38:46 | 体の変化
 先月も鼻づまりについて書いたが、この時期は一日の温度差に
よる冷えからくる鼻づまりが多い。 首が硬直しているのが分かる。

 又肘の冷えの影響で後頭部が歪み、そのために鼻水が出て
いる人も増えてきた。
 H2(頭部第二)への愉気や左右の段差の調整、又H5(頭部第五)
への愉気が必要である。


なかなか理解されない“整体”

2008-09-13 11:24:44 | 体の変化
 「なかなか理解されない」と書いたが、そもそも“整体”を名乗る
療術は多い。

 “整体”という言葉の起こりは、現在の(社)整体協会=(俗に云う)
野口整体であるが、カイロプラクティックも“整体”と称しているし、
整体指圧なんていうのもある。

 “整体”という言葉が普遍的である為と思うが、何も知らない人
がいる反面、自分なりの解釈と概念をもって来られる人も多い。

 然し、一番大きな思い違いは、なんと云っても「痛いところを治し
、正常な状態に復するところ(そしてそrだけ)」だという考えで捉え
られていることだろうか。
 要するに、「痛みが取れれば、それで終わり」なのである。

 然し、整体協会が普及に努めている“活元運動”をとってみても
分かるとおり、整体の目的は「体を敏感にして、その人の十全の
力を発揮できるようにする」ことであり、初めは何処かの不調がき
っかけで整体の門をくぐるにしても、後は「コンディションを整え、
又感覚を鋭敏にして、日々の暮らしをより充実したものにする」
ことである。
 だからこそ自分自身、特別身体に何の問題もないのに定期的
に整体に通い、少しでも己の能力を高め、より充実した人生にし
たいと活元運動にも励んだのである。
 又整体に理解のある人は、例えば受験生なら、試験が近づくと
少し頻度を増し、或いはスポーツをする人なら、大事な試合が近
づくと回数を増やして通うのである。

 又その人の持っている可能性を広げ、より能力を伸ばすという
ことを考えると、整体を受けるのは早いほど良いということが分
かる。
 この点は“治療”を受ける場合と大きく異なる点である。
 つまり、整体は小さいうちから、そして普通に“健康”な状態の
ときから始めるのがより良いということが分かる。
 「どこも痛くない」からといっても、その身体が“整って”申し分が
無い状態であることはまれである。
 その身体はもっと整えられるし、より敏感になれるし、彼や彼女
の能力は本来もっと伸びる力を秘めているのである。

 人間長生きしても百年である。 その日々を感受性豊かに過ご
すか、それとも(本来の己でない)鈍い体と感性で過ごすかは大
きな違いである。

 整体を受け、活元運動を知った当初は志高く『より良い自分に
変わろう』と思った人も、いつの間にかその気持ちを忘れて、『別
にどこも痛くないから、まぁいいか』になってしまうことが多い。

 もう一度初心に帰って、より良い自分になり、より充実した日々
を送ってほしいものである。