最近、およそ100年前と現在の、2人のフランス人による、日本(人)観について書かれた文章を読み、襟を正される思いがした。
一つは先日、浄瑠璃の「一中節稀曲の会」が紀尾井小ホールであり、曲の解説の小パンフレットを開くと、以下の挨拶文が書かれてあった。
ご挨拶
都 一中
「私が断じて滅びないことを願ふ一つの国民がある。それは日本人だ。日本は驚くべき発展をしたがそれは当然で、他のいからなる国民もこれほどの資格はない。彼らは貧乏だ。然し高貴だ。」
昭和初期に駐日フランス大使として六年間在日した、ポール・クローデルの言葉です。
百年前に彼は何故そのように感じたのでしょうか?
日本人自身には当たり前すぎて、わからないのかもしれません。
あるいはその時彼が感じたようなことは、いまの日本にはなくなってしまったのかもしれません…(以下略)
もう一つは、昨日の「Smart News」に載っていた、こんな記事である。
「原宿駅解体」が示す日本的観光政策の大問題
http://toyokeizai.net/articles/-/151486
新しい年を迎えるにあたり、今一度心を落ち着けて、考えてみたいものである。
一つは先日、浄瑠璃の「一中節稀曲の会」が紀尾井小ホールであり、曲の解説の小パンフレットを開くと、以下の挨拶文が書かれてあった。
ご挨拶
都 一中
「私が断じて滅びないことを願ふ一つの国民がある。それは日本人だ。日本は驚くべき発展をしたがそれは当然で、他のいからなる国民もこれほどの資格はない。彼らは貧乏だ。然し高貴だ。」
昭和初期に駐日フランス大使として六年間在日した、ポール・クローデルの言葉です。
百年前に彼は何故そのように感じたのでしょうか?
日本人自身には当たり前すぎて、わからないのかもしれません。
あるいはその時彼が感じたようなことは、いまの日本にはなくなってしまったのかもしれません…(以下略)
もう一つは、昨日の「Smart News」に載っていた、こんな記事である。
「原宿駅解体」が示す日本的観光政策の大問題
http://toyokeizai.net/articles/-/151486
新しい年を迎えるにあたり、今一度心を落ち着けて、考えてみたいものである。