身体のこととなると、とかく「肩が張る」とか「腰が痛い」など、痛
みや辛さなどの“自覚症状”のはっきりしたものが意識され、そ
ういった症状がなければ、とりあえずよしとすることが多いので
はなかろうか?
然し、整体で問題にするのは、身体(や感受性が)“敏感か否か
?”ということである。
“クリアな感覚”で、日々の生活を送っているか否か?ということ
を、大切に考えるのが、整体の立場である。
人間、長く生きてもせいぜい百年、1年2年があっという間に過ぎ
ていくのは、誰しも経験済みのことであろう。
化粧や服装には時間とお金をかけるのに、一番大切な“世界に
たった一つの、かけがえのない”自分の身体をきちんと整えるこ
とには、お金も時間も惜しむのである。
身体に「いつも働いてくれて、ありがとう!」の気持ちがあるなら、
もっと身体を大切にしては如何なものか?
運動も栄養のバランスも、おおいに気をつけて欲しいことではあ
るが、身体の“バランスをとる”ことは出来ない。
整体が忙しくて受けられない、というのなら、せめて活元運動だ
けでも行って、身体を整えることくらいは、24時間365日、休ま
ず働いてくれている身体への“感謝とねぎらい”として、実行して
欲しいものである。
みや辛さなどの“自覚症状”のはっきりしたものが意識され、そ
ういった症状がなければ、とりあえずよしとすることが多いので
はなかろうか?
然し、整体で問題にするのは、身体(や感受性が)“敏感か否か
?”ということである。
“クリアな感覚”で、日々の生活を送っているか否か?ということ
を、大切に考えるのが、整体の立場である。
人間、長く生きてもせいぜい百年、1年2年があっという間に過ぎ
ていくのは、誰しも経験済みのことであろう。
化粧や服装には時間とお金をかけるのに、一番大切な“世界に
たった一つの、かけがえのない”自分の身体をきちんと整えるこ
とには、お金も時間も惜しむのである。
身体に「いつも働いてくれて、ありがとう!」の気持ちがあるなら、
もっと身体を大切にしては如何なものか?
運動も栄養のバランスも、おおいに気をつけて欲しいことではあ
るが、身体の“バランスをとる”ことは出来ない。
整体が忙しくて受けられない、というのなら、せめて活元運動だ
けでも行って、身体を整えることくらいは、24時間365日、休ま
ず働いてくれている身体への“感謝とねぎらい”として、実行して
欲しいものである。