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体は自然の一部であり、季節ごとに特徴があり、調整点が異なります。

あまりにも脆い若者達

2006-11-21 23:31:32 | 日記・エッセイ・コラム
 「いじめ」が文字通り社会問題となりあちこちで議論がなされて
いるが、もっぱら苛めた側ばかりが責められていることに対して
は、「ちょっと待ってくれ」と云いたくなる。

 時代が違い育つ環境も違うので、同列に論じられないことはむ
ろん承知の上であるが、それにしても…である。

 確かに苛めた側に責任はあるが、かと云ってそれで死ぬ程の
ことか?と云いたくなるのである。
 特に最近の2件の事件については、(それ迄の様々な経過が
あるにせよ)「ちび」だか「でぶ」だか言われたから?とか、ズボン
を脱がされたから?とか、そんなことで“死なれた”のでは、うっか
り冗談も言えないしちょっと悪ふざけも出来なくなるではないか。 
それこそその内地球上には誰も居なくなるだろう。

 あまりにも脆過ぎるのだ!

 私自身幼稚園児のときに始まり、小学校・中学校と苛められた経
験があるが、その当時死のう等と考えただろうか?
 苛められていて思ったのは『強くなろう』とか『どうやって見返して
やろうか。仕返ししてやろうか…』という様なことで、確かに悩んだ
ことは間違いないが、例えば小学校の全生徒数は約3600人程だ
ったが、自殺した子なんて居ただろうか? 未遂の話も記憶に無い。

 今の子供達と大きく異なるのは、兎に角いつも大勢の中に居て(内
面は別としても)孤独な状態になる機会が少なかったと思う。

 自分自身常に生傷が絶えなかったが、しょっちゅう回りで喧嘩があ
り、皆“揉まれて”育った。
 今の子供が、友達と一緒に居ながらそれぞれ自分のゲームに夢
中になるといった“異様な”光景は無かった。
 友達同士や学校で何かあったからといって親が過敏に反応したり
学校に干渉することも殆ど見なかった様に思う。

 昔丸大ハムのCMで、「腕白でもいい。逞しく育って欲しい!」という
のがあったが、特に今のこの時代、歓迎されるべきキャッチフレーズ
ではないか!


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