こ と の 端

散文でロジックを
環境 経済 エネルギー 電気 教育 などの "E" に関するちょっと気になったこと

春 よ 来 い

2015-01-18 08:22:36 | Weblog
世界経済の動力源となっていた

ドルが

71年夏に

金本位制の枠組みから

一方的に離脱した時を境として

信用経済が生まれ出た


それまではすべての通貨が

価値を補償するものとして

金塊を国内に積み立てる制度

をとっていた


価値を裏付ける基準

が唐突に

なくなってしまったことから

国際経済は青天井となり

制限を失って

急速に拡大することを

許された


通貨交換のシステムは

変動相場制へとシフトし

購買力平価が

相対化した通貨価値の決定因子

と見做されるようになり

円もほどなくして

固定相場制から

変動相場制へと

連動するかたちで

移行した


一ドルが360円だった時代が

過去のものとなり

180円の時代を経由して

段階的に短期間で切り上がり

85年のプラザ合意で

ドル売りの協調介入が実施され

ドル安政策が世界のトレンドとなった

先行するG5の加盟国が

一斉にドルを放出したことから

ドルに代わる資本の仕向け先を模索していた

ドル資本は

円への投資へと収斂する

という経過をとった

ドルを経て

円となることを志向する先進国保有の資本が

日本市場に輻輳するようになり

海外からの大量投資で

日本経済は潤沢な資本で

大いに潤ったのだったが

それがバブル経済に結びつく

とは当時誰も考えていなかった


アメリカは二度のオイルショックを経て

石油の価値が高騰していったことから

地下資源を決済するための通貨

となっていたドルは

世界的な規模で需要を急増させ

ドル高状態となることを

世界中から

強いられた


アメリカの輸出産業は低迷し

農産物と工業製品の双方が

共に輸出不振となったことから

上下両院の議員は

ドルの通貨価値を

輸出競争力が

正当に機能するレベルへと達するまで

大急ぎで

通貨価値を引き下げるよう

米国民からの強い圧力を受けていた


プラザ合意は

その結果として

あのタイミングで誕生し

手段となったドル安政策というものが

国際経済に

強い畝りを引き起こし

巨大なトレンドを形成させた


ドルに代わって買われた通貨が

他ならぬ日本の通貨である

円だったということが

アメリカをして

ジャパンアズNo.1と

最終的に言わしめた

同様の経過がいま

中国大陸でも起きている

世界第二の経済大国を生みだしたのは

共産党独裁政権の成果などではなく

ドルに備わっていた

所謂過剰流動性

が生みだした資本メカニズムの結果

に過ぎない


ドルの通貨価値を引き下げることを眼目とする

80年代後半の時代に

世界の主要国から打ち揃ってやってきた

ドルという名の流動性が

日本市場へと陸続として押し寄せ

それが土地への投資へと向かっていき

固定資産を軸とする

あのバブル景気を現出させた

日本経済は国際経済の牽引役となり

当時アメリカに次いで第二の大国であった

ソ連国民に

共産党政府が主導する

計画経済の課題を如実に教え

国家体制の内部崩壊を生むそのきっかけ

を与えたことは記憶して然るべき

事実


ドル安政策の継続で

その後円の通貨価値は

125円付近で一旦落ち着きはしたものの

アメリカがドルの供給を

制限なくいつまでも続けていたことから

ドルにはいつしか

過剰流動性という属性が

備わった


石油相場が上昇すると

決済通貨となっているドルの需要は

自動的に高まり

一旦下がっていたドルの通貨価値は

再び上昇へと転じることを

だらだらと繰り返す

これら一連の周期的な経過が

ドル安政策を

米政府に取らせる隠然たる圧力となり

日本政府に理由のない円高と思わせて

市場経済に巨大な負圧をかけていた


今だからこそそう言えるのだが

当時は誰一人として

問題を

モンダイとして認識してはいなかった


ドル安政策の実行を担当していたドル資本が

国際金融資本という名の衣を身につけていた

2008年秋に

あのリーマンショックを引き出して

消滅したことの次第は

記憶に未だ新しい


FRBが量的緩和を三度実施した後で

日銀は二度実施したが

それ以外に打てる手は

存在しない

有効解の不在が

OECDの経済予測見通しを

段階的に

下方修正させている

その途上で原油相場が急減し

取引価格は半値以下へと

半年で大きく下落した


80年代後半には

ドル資本が円高となる為替相場を誘導し

大量の資本が土地への投資を

急速に嵩上げする経過を生みだした


利益効率を一層高めようとして

投資が投機へと変化していき

それが常態化するようになったのだった

これがバブル経済発生の機序(メカニズム)

加熱した不動産投機を鎮静化させる目的で

政府は90年四月一日

解熱剤を金融市場へと

前年の閣議了承に従い

遅滞なく

機械的に投与した

それが巡り巡って

アベノミクスを産み落とすための

動因となったのである


当時バブル経済を成り立たせていた

資本の循環が堰き止められたことにより

投機が成り立たない

という状況へと不動産市場は陥った


バブルの崩壊を国がそれと察知したのは

劇薬の投与から

およそ三年の時間が経っていた

この不毛な期間のことを

不作為の三年

と当時すでに呼ぶようになっており

失われた十年

に先行する経済低迷を

予告するものとなっていた


その後一連の経済対策でも

政府は悉く間違った判断を下してしまい

景気の回復を却って遠ざけていた

ということがデフレスパイラルの

生みの親


その結果

失われた十年は倍になり

景気の低迷を長引かせる原因

となっていくこととなったのである


その頃国はデフレをそれと

執拗なまでに認めようとしておらず

インフレ型の国家予算を

一年を除き延々と組み続けていた

赤字国債の発行残高は

20年で5倍となる

1000兆円を

昨年突破させていた

ということが明らかとなった

国と金融当局とが

漸くその事実を認めた

という愚かな経緯が

記録へと残された


この失われた20年

と呼ばれる不毛な期間に実施された

景気対策は

おしなべて

無効な結果となっており

それが債務規模を

五倍の水準へと押し上げた

最大の要因となったのである

モンダイなのは事実関係の確認を怠って

消費税率の変更で

難局を乗り切れるとしてきた

指導者たちの

余りにも安直なその姿勢


財務基盤の劣化は

バブル崩壊に気づかずに

思考停止と判断停止に陥っていた

国の指導者たちが

原因となって

引き起こしたものに相違ない


その後始末を

老若男女にかかわらず

無辜の民のすべてに

膨らませた消費税の形で

ひとしく補填させる

というのは

どうみたところで

筋の通らない話であろう


政策判断を誤ってきたのは

選良と官僚の咎以外にはなく

それを国民に押し付ける

という行為が投票率の低下となって

顕在化した


責任を負うべき立場のものが

税率を自ら高めて

個人消費の抑制を独善的に強いていた

ということになる実に粗末な経過である


責任は国民にはなく

永田町と霞が関の双方に

同等にある

消費税率を引き上げるその前に

判断の過ちを率直に学び

国家予算を小型化するための

小さな政府を共同で

運営するよう

努める義務が当事者のすべてには

ある筈だ


消費税率の変更は

まったくの

お門違い

というものだ


国民が離反しなくても

増税が需要を減らすことは

ケインズ効果

として

夙によく知られていた

この程度の経済に関する

基礎的な知識すらないようでは

まさに先が思いやられる

というものだ


鳴り物入りで登場したアベノミクスだったが

施行の前から

失敗することは

自明であった

結果を待つまでもないことを

引き伸ばしているようだと

病状はより早く悪化する


この国に

経済政策を託せる人材は

まだ見当たらない

まさに

これからが正念場


国貧しくして

孝子出づ

とは古来からの言い伝え

時の到来は

果たして

いつか
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 変 動 要 因 | トップ | 相 似 の 罠 »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事