平成二十四年度の国家予算に占める
利払いの総額を意味する国債費は
22兆円に迫る規模にまで高まった
翻って税収の予測値の方を眺めると
それは42兆円
ということになっていた
一般会計に占める歳入の半分以上が
発行済国債の利払いに費やされる
というのが今年の国家予算の特徴になっている
債務の総額が1000兆円であるとき
支払い利息が22兆円なら
金利は加重平均で2.2%ということになる
国民はその血税の50%を
過去に無駄となった経済対策を支えるために
政府が割り当てることを
結果として承認した
ということになるはなしなのである
この経緯は
国の記録に残される
だが
来年度の予算編成に
学んできた諸事実が
活かされるようなことは
ない
これまでがそうだった
これからもそうである
本年度予算の総額が90兆円となっていることは
税収外収入である4兆円弱を除いて
44兆円の欠損を補填するための
赤字国債の新規発行に
財政が依存する
ということになる
この現実を導いたものとは
それが
失われた20年
と呼ばれるようになった
長いながい
迷妄の時代の連続であった
起点は1990年四月一日の時点にある
それは既に特定されていることなのだ
このとき
不動産融資に対する総量規制が
満を持して実施されたのだった
この措置が土地神話に基づく
バブル経済を破裂させた起源となったのだが
それに市場参加者が気づくまでに
2年以上の歳月を要したのだった
国が現実を理解するようになるまで
更に多くの年月が
無為に流れ去っていた
バブル後の経済対策が打ち出されたのは
六年後の96年度予算が最初のことになっている
この時の経済対策が
旧来の手法を踏襲したものであったことから
国の財政は一向に改善されようとせず
進む円高圧力に
限られた手段で応ずることしか
できなくなっていた
それが為替介入という方法だったのである
この措置は
当時
財務省が短期証券を発行することにより
その財源でドルを大量に買い進め
円の通貨価値を
強制的に下落させる
というものであった
効果はしかし一過性のものでしかなく
円高が募るたびごとに
買い集めたドルで
アメリカの公債に投資せざるを得なかった
このため日本の外貨準備高は
当時
邦貨換算で100兆円に達するほどまでに
膨らんでしまっていた
その後円高が一層進んだことから
その債権は80兆円以下にまで
目減りした
現在では為替介入のための予算は
特別会計の方に
20兆円の予算が
予め組み込まれている
ドル建ての債権のすべては
円が安くなっていない限り
換金することができない
塩漬け状態のまま
円高が進むにつれて
債権の価値は減り
不良債権となるばかり
国の債権残高は時価換算で
円高に伴って
同一歩調で
目減りし続けるようになっていく
為替介入という方法は
ドルを買うための国内債務を一方的に増やし
取り崩すことのできない不良債権を
在外資産として
大量に積み増す
という意味を持つ
愚かな行為
実に不毛な対策というものになっている
この方法から財務省が逃れることは
できない
損失だけを肥え太らせ
一方的に増やすのみ
国民は円高がもたらすデフレによる
収入の減少に
打つ手なく
甘んじていることを強いられた
デフレは収入を確実に減らすものとなるのだが
物価は総体的に下がるようになるため
可処分所得は返って増加することとなる
1971年暮れから始まった円高の流れは
丸40年を経過した今年になっても
いまだに続いている
当初1ドル360円だったレートが
この年
308円へと急遽切り上げられた
その後一進一退しながら
現在では1ドル70円台半ばで
推移するようになっている
円の通貨価値は
五分の一にまで
ドル安効果
即ち円高の持続で
大きく減価することとなったのである
円高が輸入品の価格を引き下げる効果を持つ
ということから
国内市場にデフレ圧力を与えるようになり
金融緩和を一層迫る情勢となったのだった
これ以上緩和することができない
ところにまで金融政策が達していることから
金利ではなく
量的緩和へと日銀は方針を切り替えざるを得なかった
この措置が金融機関に資本を集約させているのたが
銀行はそれを国債の購入へと振り向けた
高い金利と低いリスクが
資本を切実に必要とする民間企業から
活力を奪うためのカウンター攻撃を加える
という皮肉な経過を
政府と金融当局とは
意味を知らずに
こぞって生み出してしまっていた
円高を止める有効な手段を知らない金融当局は
結果としてデフレを放置させざるを得なくなる
負のスパイラルを延々と続けてきた
ということが
失われた20年
という不名誉な名称を
国家経済全体へと与えてきた最大の原因であった
円高を止める実効性のある対策を早急に実施し
量的緩和を実施するに当たっては
銀行に国債への投資を控えさえ
日銀が資本の供給を高めたその分だけ
民業へと資する制度へと改めてかなければならない
民間活力を賦役するための量的緩和であれば
日本経済の再生は
短期間で上向く
銀行を優遇するだけの量的緩和は
景気の回復を遠ざける
民間に流動性の厚みが戻れば
税収は上がり
赤字国債への依存比率は下がる
財政の健全化を具体的に推し進めることが
このように配慮することで可能になる
失われた20年をこの国に与えてきた当事者のすべて
に
経済を語る資格は
ない
現状を理解する能力をさえ欠いているのだから
どのような対策を講じたとしても
それは
無益
損失を増やすという点では
寧ろ有害なものとなるばかり
状況をどんどん悪化させるだけとなる
当初
それは失われた十年と呼ばれていた
今では倍の二十年と呼ばなければならなくなった
2020年頃には
失われた30年という形容が
妥当だということになりかねない
経済を知らない者共が
どんなに数多く寄り集まったところで
それは
バカの質量を
かけ算して満足する行為にひとしい
日本の破綻は
もはや
目前にまで迫っている
どんなに優れた頭脳でも
使い方を誤れば
ただの無知
教育投資は
国の劣化となって
国民へと戻される
まことに愚かなことではなかろうか
利払いの総額を意味する国債費は
22兆円に迫る規模にまで高まった
翻って税収の予測値の方を眺めると
それは42兆円
ということになっていた
一般会計に占める歳入の半分以上が
発行済国債の利払いに費やされる
というのが今年の国家予算の特徴になっている
債務の総額が1000兆円であるとき
支払い利息が22兆円なら
金利は加重平均で2.2%ということになる
国民はその血税の50%を
過去に無駄となった経済対策を支えるために
政府が割り当てることを
結果として承認した
ということになるはなしなのである
この経緯は
国の記録に残される
だが
来年度の予算編成に
学んできた諸事実が
活かされるようなことは
ない
これまでがそうだった
これからもそうである
本年度予算の総額が90兆円となっていることは
税収外収入である4兆円弱を除いて
44兆円の欠損を補填するための
赤字国債の新規発行に
財政が依存する
ということになる
この現実を導いたものとは
それが
失われた20年
と呼ばれるようになった
長いながい
迷妄の時代の連続であった
起点は1990年四月一日の時点にある
それは既に特定されていることなのだ
このとき
不動産融資に対する総量規制が
満を持して実施されたのだった
この措置が土地神話に基づく
バブル経済を破裂させた起源となったのだが
それに市場参加者が気づくまでに
2年以上の歳月を要したのだった
国が現実を理解するようになるまで
更に多くの年月が
無為に流れ去っていた
バブル後の経済対策が打ち出されたのは
六年後の96年度予算が最初のことになっている
この時の経済対策が
旧来の手法を踏襲したものであったことから
国の財政は一向に改善されようとせず
進む円高圧力に
限られた手段で応ずることしか
できなくなっていた
それが為替介入という方法だったのである
この措置は
当時
財務省が短期証券を発行することにより
その財源でドルを大量に買い進め
円の通貨価値を
強制的に下落させる
というものであった
効果はしかし一過性のものでしかなく
円高が募るたびごとに
買い集めたドルで
アメリカの公債に投資せざるを得なかった
このため日本の外貨準備高は
当時
邦貨換算で100兆円に達するほどまでに
膨らんでしまっていた
その後円高が一層進んだことから
その債権は80兆円以下にまで
目減りした
現在では為替介入のための予算は
特別会計の方に
20兆円の予算が
予め組み込まれている
ドル建ての債権のすべては
円が安くなっていない限り
換金することができない
塩漬け状態のまま
円高が進むにつれて
債権の価値は減り
不良債権となるばかり
国の債権残高は時価換算で
円高に伴って
同一歩調で
目減りし続けるようになっていく
為替介入という方法は
ドルを買うための国内債務を一方的に増やし
取り崩すことのできない不良債権を
在外資産として
大量に積み増す
という意味を持つ
愚かな行為
実に不毛な対策というものになっている
この方法から財務省が逃れることは
できない
損失だけを肥え太らせ
一方的に増やすのみ
国民は円高がもたらすデフレによる
収入の減少に
打つ手なく
甘んじていることを強いられた
デフレは収入を確実に減らすものとなるのだが
物価は総体的に下がるようになるため
可処分所得は返って増加することとなる
1971年暮れから始まった円高の流れは
丸40年を経過した今年になっても
いまだに続いている
当初1ドル360円だったレートが
この年
308円へと急遽切り上げられた
その後一進一退しながら
現在では1ドル70円台半ばで
推移するようになっている
円の通貨価値は
五分の一にまで
ドル安効果
即ち円高の持続で
大きく減価することとなったのである
円高が輸入品の価格を引き下げる効果を持つ
ということから
国内市場にデフレ圧力を与えるようになり
金融緩和を一層迫る情勢となったのだった
これ以上緩和することができない
ところにまで金融政策が達していることから
金利ではなく
量的緩和へと日銀は方針を切り替えざるを得なかった
この措置が金融機関に資本を集約させているのたが
銀行はそれを国債の購入へと振り向けた
高い金利と低いリスクが
資本を切実に必要とする民間企業から
活力を奪うためのカウンター攻撃を加える
という皮肉な経過を
政府と金融当局とは
意味を知らずに
こぞって生み出してしまっていた
円高を止める有効な手段を知らない金融当局は
結果としてデフレを放置させざるを得なくなる
負のスパイラルを延々と続けてきた
ということが
失われた20年
という不名誉な名称を
国家経済全体へと与えてきた最大の原因であった
円高を止める実効性のある対策を早急に実施し
量的緩和を実施するに当たっては
銀行に国債への投資を控えさえ
日銀が資本の供給を高めたその分だけ
民業へと資する制度へと改めてかなければならない
民間活力を賦役するための量的緩和であれば
日本経済の再生は
短期間で上向く
銀行を優遇するだけの量的緩和は
景気の回復を遠ざける
民間に流動性の厚みが戻れば
税収は上がり
赤字国債への依存比率は下がる
財政の健全化を具体的に推し進めることが
このように配慮することで可能になる
失われた20年をこの国に与えてきた当事者のすべて
に
経済を語る資格は
ない
現状を理解する能力をさえ欠いているのだから
どのような対策を講じたとしても
それは
無益
損失を増やすという点では
寧ろ有害なものとなるばかり
状況をどんどん悪化させるだけとなる
当初
それは失われた十年と呼ばれていた
今では倍の二十年と呼ばなければならなくなった
2020年頃には
失われた30年という形容が
妥当だということになりかねない
経済を知らない者共が
どんなに数多く寄り集まったところで
それは
バカの質量を
かけ算して満足する行為にひとしい
日本の破綻は
もはや
目前にまで迫っている
どんなに優れた頭脳でも
使い方を誤れば
ただの無知
教育投資は
国の劣化となって
国民へと戻される
まことに愚かなことではなかろうか