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こ と の 端

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バ カ の 積

2012-10-07 08:59:18 | Weblog
平成二十四年度の国家予算に占める

利払いの総額を意味する国債費は

22兆円に迫る規模にまで高まった

翻って税収の予測値の方を眺めると

それは42兆円

ということになっていた

一般会計に占める歳入の半分以上が

発行済国債の利払いに費やされる

というのが今年の国家予算の特徴になっている


債務の総額が1000兆円であるとき

支払い利息が22兆円なら

金利は加重平均で2.2%ということになる

国民はその血税の50%を

過去に無駄となった経済対策を支えるために

政府が割り当てることを

結果として承認した

ということになるはなしなのである

この経緯は

国の記録に残される

だが

来年度の予算編成に

学んできた諸事実が

活かされるようなことは

ない

これまでがそうだった

これからもそうである



本年度予算の総額が90兆円となっていることは

税収外収入である4兆円弱を除いて

44兆円の欠損を補填するための

赤字国債の新規発行に

財政が依存する

ということになる


この現実を導いたものとは

それが

失われた20年

と呼ばれるようになった

長いながい

迷妄の時代の連続であった


起点は1990年四月一日の時点にある

それは既に特定されていることなのだ

このとき

不動産融資に対する総量規制が

満を持して実施されたのだった

この措置が土地神話に基づく

バブル経済を破裂させた起源となったのだが

それに市場参加者が気づくまでに

2年以上の歳月を要したのだった

国が現実を理解するようになるまで

更に多くの年月が

無為に流れ去っていた


バブル後の経済対策が打ち出されたのは

六年後の96年度予算が最初のことになっている

この時の経済対策が

旧来の手法を踏襲したものであったことから

国の財政は一向に改善されようとせず

進む円高圧力に

限られた手段で応ずることしか

できなくなっていた

それが為替介入という方法だったのである


この措置は

当時

財務省が短期証券を発行することにより

その財源でドルを大量に買い進め

円の通貨価値を

強制的に下落させる

というものであった

効果はしかし一過性のものでしかなく

円高が募るたびごとに

買い集めたドルで

アメリカの公債に投資せざるを得なかった

このため日本の外貨準備高は

当時

邦貨換算で100兆円に達するほどまでに

膨らんでしまっていた

その後円高が一層進んだことから

その債権は80兆円以下にまで

目減りした

現在では為替介入のための予算は

特別会計の方に

20兆円の予算が

予め組み込まれている


ドル建ての債権のすべては

円が安くなっていない限り

換金することができない

塩漬け状態のまま

円高が進むにつれて

債権の価値は減り

不良債権となるばかり

国の債権残高は時価換算で

円高に伴って

同一歩調で

目減りし続けるようになっていく

為替介入という方法は

ドルを買うための国内債務を一方的に増やし

取り崩すことのできない不良債権を

在外資産として

大量に積み増す

という意味を持つ

愚かな行為


実に不毛な対策というものになっている

この方法から財務省が逃れることは

できない

損失だけを肥え太らせ

一方的に増やすのみ

国民は円高がもたらすデフレによる

収入の減少に

打つ手なく

甘んじていることを強いられた


デフレは収入を確実に減らすものとなるのだが

物価は総体的に下がるようになるため

可処分所得は返って増加することとなる

1971年暮れから始まった円高の流れは

丸40年を経過した今年になっても

いまだに続いている

当初1ドル360円だったレートが

この年

308円へと急遽切り上げられた

その後一進一退しながら

現在では1ドル70円台半ばで

推移するようになっている

円の通貨価値は

五分の一にまで

ドル安効果

即ち円高の持続で

大きく減価することとなったのである


円高が輸入品の価格を引き下げる効果を持つ

ということから

国内市場にデフレ圧力を与えるようになり

金融緩和を一層迫る情勢となったのだった

これ以上緩和することができない

ところにまで金融政策が達していることから

金利ではなく

量的緩和へと日銀は方針を切り替えざるを得なかった


この措置が金融機関に資本を集約させているのたが

銀行はそれを国債の購入へと振り向けた

高い金利と低いリスクが

資本を切実に必要とする民間企業から

活力を奪うためのカウンター攻撃を加える

という皮肉な経過を

政府と金融当局とは

意味を知らずに

こぞって生み出してしまっていた


円高を止める有効な手段を知らない金融当局は

結果としてデフレを放置させざるを得なくなる

負のスパイラルを延々と続けてきた

ということが

失われた20年

という不名誉な名称を

国家経済全体へと与えてきた最大の原因であった


円高を止める実効性のある対策を早急に実施し

量的緩和を実施するに当たっては

銀行に国債への投資を控えさえ

日銀が資本の供給を高めたその分だけ

民業へと資する制度へと改めてかなければならない

民間活力を賦役するための量的緩和であれば

日本経済の再生は

短期間で上向く

銀行を優遇するだけの量的緩和は

景気の回復を遠ざける


民間に流動性の厚みが戻れば

税収は上がり

赤字国債への依存比率は下がる

財政の健全化を具体的に推し進めることが

このように配慮することで可能になる


失われた20年をこの国に与えてきた当事者のすべて



経済を語る資格は

ない

現状を理解する能力をさえ欠いているのだから

どのような対策を講じたとしても

それは

無益

損失を増やすという点では

寧ろ有害なものとなるばかり


状況をどんどん悪化させるだけとなる

当初

それは失われた十年と呼ばれていた

今では倍の二十年と呼ばなければならなくなった

2020年頃には

失われた30年という形容が

妥当だということになりかねない


経済を知らない者共が

どんなに数多く寄り集まったところで

それは

バカの質量を

かけ算して満足する行為にひとしい

日本の破綻は

もはや

目前にまで迫っている


どんなに優れた頭脳でも

使い方を誤れば

ただの無知

教育投資は

国の劣化となって

国民へと戻される

まことに愚かなことではなかろうか
コメント
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