〈「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相 〉 1979/昭和54
創価学会に未来はあるか 藤原弘達/内藤国夫 曰新報道出版
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Ⅲ 学会組織に何が起こつているか
◆ 突然の会則変更のうら側
内藤 池田大作さんの会長辞任に伴って、創価学会は新しい規則「創価学会会則」と「創価学会規則」を、初めて「聖教新聞」紙上に発表したのですが、今まではわれわれ部外者はもちろん、一般の学会員にさえ会則を知らされなかったわけで、ちょっと昔通の常識では考えられない組織だったわけです。まあ、遅きに失っした感もあるのですが、ともかく、今回、一般の学会員に会則が公開されただけでも大きな前進であるとは思う。ただ、例によって池田大作さんは、自分の場合は終身会長だったのを、今度は「会長の任期を五年とする」と改めさせている。しかも自分が就任する名誉会長には任期がつかずに、終身名誉会長になっている。ぼくの得た情報では、この会長と新会則を論議した一連の会合で、池田さんは、「これからの会長は五年きざみだ。五年ごとに会長を変えていこう」と発言しているそうですが、言外に、新しい会長を任命するのは、ほかのだれでもない、自分なんだ、といった自信のようなものがあって、池田ワンマン体制は相変わらずです。
藤原 会長を終身から五年にしたのは、それだけの時間があれば自分の息子を会長にできる。いわば会長にするための布石だ、といった噂もあったね。あるいは、北条は二期十年もやれば六十五歳になる。池田はその時六十一歳だし、自分がまたやるにしろ、息子にやらせるにしろ、それで十分だという読みがあるように思えるね。
内藤 この学会の会則を変えるということでも、それこそある日突然に「聖教新聞」紙上に、これからの学会の会則はこれですと、いきなり決定版が発表されるわけで、今までの会則を知らされていない一般会員には、どこがどう変わったのかもまるでわからない。その辺に、われわれ部外者には理解しがたい、常識を越えた問題があります。普通、われわれの社会常識みたいなもので判断しても、どんな組織にしろ、まず“案”が出されるはずです。
これこれこういう事情で今回会則を変更したい、ついてはこの部分をこのように変えたいがどうかとね。そこで大衆討議にかけられ、修正意見が出されて、上の方にあがって会議にかけられ本決りになる。そういう手続きを経たうえで、その会則に拘束されるのであれば、誰もが一応納得できる。ところが従来までの学会では、会員にさえ会則が知らされていないんだから、一般会員は内容を全然知らない会則に拘束されていたことになり、まるで中世の農奴よりもひどい状態におかれていたことになる。その点では、今度の会則や規則公開は一定の前進があるわけですが、それでも、どういう論議があったかの、中間にかけてのプロセスがすべて闇の中につつまれており、ある朝、目覚めたらいきなり今日からこの会則でやっていきます、と提示されているわけです。ということは皮肉に考えると、池田大作さんの都合に合わせて、またある日突然会則がこのように変わりました、会長は五年制から終身にします、名誉会長は廃止して池田大作会長体制に復帰します、ということも起こりかねない。やはり根本的なところをあらためないかぎり、表面のツジツマだけ合わせてみてもダメなんですね。
藤原 外見的に一番民主的だといわれていたところが、内実において一番民主的でないわけだ。
そこには、検討の余地もなく、代案もない。相対化されたのは大作の人気だけで、集団指導制にしたといっても、組織の根本理念が変わらないかぎり、なんの変化も起きてこない。
内藤 形式的には最高幹部クラスを集めての会議のようなものはあったのでしようが、内容が今までと同じで、すべて“殿ご一任”主義ですから、池田大作さんが「こうしよう」といえば、すべて「ハイ、そうしましよう」といいなりになる組織である以上、実質的には単なる事後承認、報告会のような会議でしかない。
藤原 つまり上から下までやはりタテ一本の線だけでつながった組織なんだな。外部に対しては大衆討議みたいにしてるけど、内部については何もない。座談会方式をとり入れたり、信者獲得のために、いろいろ大衆討議らしきものをとり入れてはいるが、内容は一方通行の報告会だからな。こういうご利益がありました、入信したらこんなに得がありました、という“欲と得”の報告会なんだ。それでちょっとでも外部から批判すると、すぐに大謗法ということになる。ぼくなんか、ずい分と非難されたらしいよ(笑い)。
昔の軍隊、あるいはゲー・ぺー・ウーの組織と非常によく似ていると思うワケね。だから組織化すればするほど、創価学会というのは、組織としてはダメになっていくんだよ。
----------(次回に、つづく)---------47