創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田大作・創価学会 を打倒せよ!!-32

2019-02-06 07:57:37 | Weblog

 <教団を歪め私物化する池田大作の悪業を糾弾する!!>
創価学会・池田大作打倒の反乱  1989/2  段 勲  青年書館
    ------(P.135)---(以下、本文)-------

「自分の身内よリ諸君を大事にする」という池田の言行不一致、二枚舌ぶリ
 『池田会長講演集』第一巻の中に、こんな指導が収録されている。
       ☆     ☆     ☆
 《…私には肉親の弟もおりますが、仏法のうえで日夜働き、令法久住の血脈に通じた諸君こそ本当の弟と思っています。何百倍、何千倍も可愛いし......なぜならば、私は自分の身内のほうを大事にして、諸君をおろそかにするようであれば、仏法上の指導者としての資格は、もはやない。
 そんな身勝手な考えは、絶対にもっておりません)(昭和四十三年二月九日、本部・東京文化会館での男子部幹部会)
      ☆     ☆     ☆
 「仏法上の指導者としての資格は、もはやない」と語っているが、言行不一致、池田氏の二枚舌ぶりを、氏の家族を通して実証してみょう。
 静岡県富士宮市に日蓮正宗総本山・富士大石寺がある。七百年の歴史を誇るその大石寺の裏門近くに、桜木が植えてある一万五千坪ほどの境内地があり、この奥まった所に昭和六十三年秋近くまで「久遠の灯」という記念碑が建っていた。
 ビル二、三階建てに匹敵する高さで、昭和四十九年、その二年前に完成した「正本堂」建設を記念して建てられたものである。そのため、正本堂建設に貢献した最高幹部をはじめ四千人ほどの氏名が、久遠の灯に張り付けられた銅板に刻まれていた。

 筆頭に氏名が刻まれていたのは牧口常三郎初代会長、戸田城聖二代会長、そして三番目に池田大作会長、以下、北条浩(当時・副会長、後の四代目会長=故人)や、当時、副会長職にあった最高幹部氏名が順々と刻まれていた。
 それら氏名を順を追って見ていくと、突然、“仏法のうえで日夜働き、令法久住の血脈”にとても通じているとは思えない三人の氏名が登場してくる。
 池田大作氏の長男・博正氏、次男・城久氏(故人)、三男・尊弘氏の池田三子息だ。同記念碑が建設された昭和四十九年といえば、末っ子の尊弘氏はまだ十六歳、高校生である。正本堂建設に、十六歳の高校生がどう貢献したというのか。
 正本堂建設の際は、何百万人という会員たちが文字通り血と涙で三百五十五億円という浄財を供養した。生命保険の解約や、カネ目の物は質屋に運んで現金化し、狂信的な会員のなかには家や田畑といった資産まで売却して供養した。池田氏にとって、こういう献身的な会員こそ「何百倍、何千倍と可愛い」はずであろう。それが、ただ自分の息子、肉親というそれだけの理由で、並み居る最高幹部と肩を並べて息子たちの氏名を記念碑に刻んだ。信仰の私物化と批判されても反論の余地はないであろう。

 ところでこの「久遠の灯」には余談がある。その後、原島嵩元創価学会教学部長、山崎正友同顧問弁護士らが造反を起こし、池田氏に矢を放った。これら池田氏の“敵”の氏名も、池田氏の氏名と並んで銅板に刻まれている。これは池田氏にとって」なんともしゃくの種。やはりと言うべきか、六十三年秋、正本堂建設の記念碑として久遠に建ち続けるはずだった「久遠の灯」が、建設して早くも十六年目にして撤去されてしまったのだ。
 それにもうひとつ、撤去の理由は、池田氏の次男の病死と無関係ではなさそうだ。次項でも触れるが、昭和五十九年十月三日、次男の城久氏(当時二十九歳)が、胃カイヨウで急死するのだ。

 創価大学を卒業した城久氏は、同大学総務部庶務第一課に勤務。将来は、池田氏の後継者との評判が高かった人物だ。息子の病死に悲しまぬ親などはいないが、池田氏にとって、親という立場のほかに、宗教家の顔を持つ。
 しかも、池田氏は会員相手の指導で「病気は揺るぎない信仰によってすベて打ち勝っていくことができる」(『池田会長講演集』第四巻)と、創価学会信仰の「現世利益」を力説している代表的人物だけに、いわば同会の看板を背負った存在の池田氏の息子が、二十九歳の若さで病死とあっては、息子さんの信仰が足りなかったのか、という批判を買ってしまう。むろん、父親の信仰姿勢も問われることになる。
 そのため、入院したことが世間に知られないよう、当初、城久氏を学会員経営の病院に入れたという。周囲が学会員であれば、秘密厳守になにかと都合が良かったからである。池田氏は息子の死を予知する急の事態にも、治療の前に、世間体を重視したのであろうか。
 こうして専門医の治療を遅らせたことが、一部マスコミから、息子の死を早めたのでは、という指摘もあった。ともあれ、秘かに抱いた次男後継者への夢が崩れてしまった。そこに台頭してきたのが長男・博正氏である。
     ----------(次回に、つづく)---------143

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