創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田大作・創価学会 を打倒せよ!!-34

2019-02-08 08:43:24 | Weblog

 <教団を歪め私物化する池田大作の悪業を糾弾する!!>
創価学会・池田大作打倒の反乱  1989/2  段 勲  青年書館
    ------(P.149)---(以下、本文)-------

学会所有の資産の公私混同と聖教新聞給料、印税にみる池田個人の年間所得
 二兆円とも三兆円とも推定される創価学会の資産は、所有者名義はすべて宗教法人創価学会である。
 「それでも池田大作氏は、創価学会の所有物はエンピツ一本だって私のもの、と思っている」(原島嵩元創価学会教学部長)
 といわれるが、なるほど、宗教法人創価学会の所有資産の利用について、池田氏の公私混同ぶりには、目にあまるものがある。が、それは次項で述べるとして、ここでは公にされている同氏の資産に限って言及してみよう。
 池田氏の資産として公にされているのは、いまのところ一件しかない。自宅である。

 木造二階建て(一階=三百三十三平方メートル、二階=百十一・一二平方メートル)の自宅は、創価学会本部から徒歩数分という東京都新宿区信濃町にある。
 同宅地総面積は、四百六十二・八四平方メートル。少なく見積もっても二十億円は下らない物件である。この土地は、もともと㈱播磨造船所が所有していたが、昭和四十一年三月二十四日、創価学会が買収。その八年後の四十九年七月三十日、池田大作氏が創価学会から譲渡されたものだ。
 宗教法人が財産を処分する際、「総代会及び責任役員会の議決を経て、その行為の少なくとも一月前に、信者その他の利害関係人に対し、その行為の要旨を示してその旨を公告しなければならない……」(宗教法人法・第二十九条)
 と明記されている。創価学会が池田氏に土地を売買するとき、はたして宗教法人法二十九条通り行なったものかどうか。ひとつはっきり言えることは、信者その他の利害関係人、つまり、創価学会員にはこの当時、なんらかの方法で公告したのであろうか。というのも、同会員の大半は池田氏の私邸が創価学会から讓渡されたなど、いまだに知らないからだ。

 自宅に次いで、池田氏の資産が唯一公にされるのは「年間所得」である。もっとも本人は“民衆の王者”と自称している手前、これもあまり公にされたくないだろうが、なにしろ高額所得者だけに、所轄の四谷税務署から毎年公表されることになる。 以下、年度別に池田氏の「所得」を列記してみるが、二十年間の所得の“変遷”を見ると、面白いことに“創価学会の歴史”も見えてくる。
      ☆     ☆     ☆
 昭和四十三年  二、七七四七、〇〇〇円
     ~ 省略 ~
 昭和五十年  一二、一九八二、〇〇〇円
 昭和五十一年  七、八七〇五、〇〇〇円
     ~ 省略 ~
 昭和五十八年  三、二〇〇〇、〇〇〇円
 昭和五十九年  七、二〇〇〇、〇〇〇円
 昭和六十年   六、〇〇〇〇、〇〇〇円
 昭和六十一年  八、五〇〇〇、〇〇〇円
 昭和六十二年  八、七〇〇〇、〇〇〇円
      ☆     ☆     ☆
 昭和五十八年以降の金額については、納税額から推定した額だが、池田氏が税務署に申告している収入は、大別して二つに分けられる。「聖教新聞(創価学会)からの給料」と、著書出版の印税だ。

 池田氏の給料額については、むろん公にされていない、だが給料といわれる以上、毎年、昇給に恵まれたとしても、それほどの差が出るわけではない。つまり、池田氏に生ずる年間所得の大差は、印税を生む著書出版物の売れ行き加減に左右されることになる。
 初代牧口を筆頭に、二代戸田各会長など教育関係者が中核になってスタートした創価学会は、貧乏人の集まりと揶揄されるほど、当初は入会者が低所得階級にしぼられていた。
 その、創価学会が、昭和四十年十月、当時の金額で三百五十五億円(正本堂御供養金)の巨額を集め、同会に対する一般世間の目が変わってきた。
 ところで、この頃から創価学会は経済的にも上向きになっていくが、池田氏の所得も昭和四十三年の二千七百万円から、翌年は三千九百万円、四十五年には一挙に倍になり、七千八百万円の所得を記録する。ところが四十六年、一千六百万円ほど減少しているのは、昭和四十五年に生じた、いわゆる「言論出版妨害事件」が影響し、組織の活動が停滞したために池田氏の著作物が売れなかったのであろう。

 その後再び回復し、五十年には過去最高の一億二千万円をマークする。以後、五十二年まで毎年、激しく減少していっているが、おそらくこの時期は、著作物刊行以外の他の仕事に忙殺されていたのではないか。他の仕事とは、要するに“宗門乗っ取り”という、創価教路線の計画にである。

 その一方、昭和四十九年頃から、創価学会ではいきおい“特別財務”と称し、会員からことあるごとに金集めを開始した。このため会員は、池田氏の著作物を買えないほど“疲れ”が生じ始めたのではないだろうか。
 五十四年には、十年前の四十四年の所得以下まで落ち込んでいる。この理由は、宗門との抗争が原因と見られる。
 池田氏著作物の読者は、まずほとんどが学会員。組織に動揺が起これば、池田氏の著作物販売にもダイレクトに影響するのだ。
 五十八年も所得がガクンと減っているが、その後は順調な申告所得金額向上の推移である。
 池田氏にはこうした税務署に届ける申告所得以外に、造反幹部などから、金品、資産にまつわるさまざまな疑惑が指摘されている。次項で述べてみよう。
      ----------(次回に、つづく)---------153

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