〈「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相 〉 1979/昭和54
創価学会に未来はあるか 藤原弘達/内藤国夫 曰新報道出版
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◆ 今から学会と大石寺の本当の綱引きが始まる
藤原 そもそも、日達上人と池田大作の関係の原点は、戸田城聖(創価学会二代会長)時代に、青年部長だった大作が、前の上人に猛烈な圧力をかけて“いびり”出して日達上人を実現させた、という因縁がある。
この前の上人の方は、日蓮正宗本来の立場から、創価学会何するものぞ、といった態度をとったために、学会から猛烈な圧力を受け、辞めなければならなくなったと聞いているが、いずれにしても日達にとっては、自分を管長にしてくれたという恩義もあり、前の管長が辞めさせられた創価学会というものへの力の認識もあり、これをある時期まではうまく利用してきた。
その点では、戸田城聖に匹敵する相当な狸親父だったといえる。
この二人の仲が悪くなったのは、昭和四十年代の終わり頃、いわゆる日本の高度経済成長が頭打ちになった頃であり、その点で、いかにも金のからんだイザコザ開係のようでね。その限りの面白さはたしかにあるな。
日達上人が死んだことによって、たしかに一つの時代は終わったといえるが、すでに創価学会にしても、かってのように時代の流れに乗るというのは不可能であるから、往時のような勢いを盛り返すということはちよつと考えられないんじゃないかな。
内藤 ぼくは、基本的には創価学会騒動はいま休火山か、活火山に近い休火山だと見てる。学会側にしても、池田さんを名誉会長ということにしているが、基本的な人事権はまだ彼が持ったままだし、今後どのていど学会内部のことにタッチさせていくのか、あるいはタッチさせずにいくのか、その辺のところが一つのカギになると見ている。
大石寺側にしても、今後も学会を大石寺のコントロール下においておく、という点で難しい問題がある。というのは、今度の騒ぎで創価学会を脱け出して檀徒になった人たちが大勢いる。この人たちは、もっともっと学会を批判したいわけです。池田大作会長に今までダマされてきた、という気持ちが非常に強い。ダマされていたとわかったから、学会を出て、大石寺と直結する檀徒になった以上、まだダマされているとは気がつかずに学会に残つている人たちを、一日も早く目覚めさせるのが自分たちの使命だというネ。
藤原 学会を出た日蓮正宗の信者はどのくらいいるのかな。
内藤 十万人から二十万人になりつつあるといわれていますネ。この学会を脱け出た人たちが今当面している一番大きな問題は、学会をやめた動機の一つが、もうああいう大きな組織はいらんと、それからカリスマ的なリーダーはいらんと、それで脱会してるわけでしょう。ところが十万とか二十万といった檀家となると、小きいとはいえ、その組織をまとめる指導者が必要になってくる。ところが、なかなかリーダーがでてこない。
ちょうどかっての全共闘と同じだと思うんです。というのは、全共闘がなかなかリーダーをつくれなかった。というのも、既成のヒェラルヒーに対して反発んした人たちの集団だけに、そう簡単には議長が出てこれなかった。
同じようなジレンマが、創価学会をやめて檀徒になった人たちにもある。ぼくのところにも、そんな悩みをもった人たちからしきりに手紙がくるんです。彼等はそろって今、宗門と学会の関係はどうなっているのか、これからどうなっていくのか教えてほしい、というんだ。
藤原 学会をやめて日蓮正宗だけの信者になっても、どうしても不安になってしまうんだネ。
内藤 学会をやめた人たちは、今お寺で月に一、二回坊さんの法話を聞くわけだが、学会時代はもっとたくさん日常的なスキンシップがあつたわけでしょう。それがなくなったことに対するいらだちや淋しさがある。ところが一方では、指導者はもう嫌だ、お寺以外の組織は嫌だという気持ちがある。
だから、学会をやめて一人ずつばらばらになった檀徒たちの中には、やがて、檀家であることまでやめていく人たちもいる。
こういう人たちをどうまとめていくのか、宗門の側にも貴任のあることで、一方では学会をコントロールしながら、他方では檀徒の人たちをも納得させていかなければいけない、といった意味では、今度新しく管主になられた阿部さんは、大変な問題を抱えているということになる。
学会の側にも、そういう意味では、今迄のような一枚岩、疑いなき信心ということだけでは通用しない。“やっぱり学会は間違っていたんではないだろうか”と、口には出さないが、心の中で秘かに考え、悩んでいる人たちが相当の数にのぼっているようです。
藤原 内心ではじくじたる輩は、そりゃ相当にいるよ。
内藤 この本でもあとで詳しく紹介するように、元創価学会理事で、公明党の茨城の水海道市の議員を五期もやっていたという小沢利夫さん、こういう幹部までがやめていく。しかもその理由が、創価学会は誤ちを犯したのに、池田大作会長が誤ちを認めないのはザンキに耐えないんだ、という形でやめる。こういう人はけっして少数ではない。口には出さないけど、心の中では大いに悩んでいるマジメな人は多いようです。こういう人たちに対してどう対処していくのか、これが、これからの創価学会にとっては、非常に難しいけれど避けて通れない問題になってくると思われる。
藤原 政教分離以後、創価学会を池田教にしようとする遠大な計画があって、このため戸田城聖時代に比べても、実に巧妙にいつの間にか教義や組織を変えてきたわけだが、それが日蓮正宗の基本に反するというわけで、それが学会をやめる動機になってるわけだ。つまり、池田大作の無謬説に対して最後の審判を下すのは日蓮正宗ということになるわけだ。日蓮正宗というのは、何をもって正しい解釈であるとするかは、直接には日興上人であり、原点は日蓮聖人である。日蓮の正当な解釈をしているのが日蓮正宗であるという判断、それが原点の国立戒壇や王仏冥合等の解釈ということになっているんだな。
内藤 だから今宗門はネ、池田大作さんが名誉会長に退いてから、北条体制の幹部に対して非常に厳しく迫ってるのは、池田さんを従来のように持ち上げるのはやめろ、と。ところが、相変わらず北条さん以下の幹部は、池田さんを批判するのではなく、心の中では批判してるのだけど、表向きは池田大作さんを師匠としてあがめ、あの情熱をと、非常に持ち上げているわけですよ。宗門では、しかし、もう持ち上げるのは止めろと、陰ではしきりに迫ってくるんだネ。だから、現在では創価学会の、とくに幹部の間では、かなりの人々が、内心では池田批判に傾いている。ただ、人事権を握られているので、批判を公然化できないでいる。だから表向きは、池田大作さんは非常に偉かったと、一部行き過ぎはあったけれど偉かったんだというしかない。宗門側としては、それを全否定にまでもっていきたいんだけど、創価学会側としては、とてもそこまで、いまは言いきれないのでしようネ。
藤原 内部批判を公然とやった人間が一人もいない、やめて外に出てからしかやらない。そうすると、創価学会と日蓮正宗大石寺という組織同士の対立は、あれだけの狸坊主だった日達が死ねば、大石寺側は少し旗色が悪くなって押される可能性が強い。学会へ戻ってこいと巻き返してくるような、そんな匂いがする。今迄の学会のさまざまな反応を見ると、そういうように日達の死を今後、最大限に利用しょうとする可能性が強いネ。
----------(次回に、つづく)---------29