今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

太陽暦採用記念日

2005-11-09 | 記念日
今日(11月9日)は「太陽暦採用記念日」
1872(明治5)年、明治政府が、それまでの太陽太陰暦(旧暦)をやめて太陽暦(新暦)を採用するという詔書を布告し、明治5年12月2日(当時の太陽太陰暦、旧暦では明治5年11月15日)の翌日を明治6年1月1日とすることになった。
この明治5年の改暦(太政官布告第342号により)以降使用されている太陽暦(太陽を基準)を「新暦」と言っているに対して、それまでに使用されていた、「天保暦」という太陰太陽暦法(月の満ち欠けを基準にした暦)が使われていた。これを一般に旧暦と言っているが、天保暦がそのまま旧暦ではなく、旧暦とは、天保暦の計算方法だけを用い、実際の計算に使う数値(1太陽年など)は、現在使われている値を使って計算したもので、つまり、過去に用いられた天保暦をまねて作ったカレンダーということになるそうだ。
天保暦(太陰太陽暦)に代わり、太陽暦が使われるようになったが、太陽暦と太陰太陽暦とでは、全く考え方が違うため、日付も変わってしまった。 そのため、月の満ち欠けと密接に結びついていた農業や漁業などのサイクルや、七夕や十五夜などといった生活習慣がうまく対応できなくなり、不都合が生じた。
そこで、天保暦をまねた太陰太陽暦を作って「旧暦」としたのだそうだ。このように、旧暦は便宜上作られたものであって、正式な旧暦というものは存在せず、日本の暦を担当する役所である文部科学省・国立天文台でも計算は一切行なっていないという。
太陰暦は、月の満ち欠けする周期(1朔望月=平均29.53059日)を1ヶ月としているため、1ヶ月の日数は29日か30日で、1年(12ヶ月)は、1朔望月を12倍した約354日となる。そのため暦の1年(354日)は1太陽年よりも約11日短く、その差は16~7年たつと約半年となり、真夏に正月がやってくる。この不都合を補うため、19年間におよそ7回の割合で閏月(うるうづき)と呼ばれる1ヶ月を挿入することにより、日付と季節のズレを一定の範囲内にとどめている。このように、 太陰太陽暦は、太陰暦に太陽暦の要素を加え、欠点を補っていたのである。
この旧暦は、日本では古くは飛鳥時代に採用され、明治5年まで使われてきた。
 旧暦では、毎年の日付と季節にズレが起こるため、季節を表す目安として考案されたのが二十四節気であり、冬至を基点として1太陽年を24等分している。またその他に雑節という目安も作られた。
二十四節気 : 冬至・小寒・大寒・立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪
雑節 : 節分・彼岸・社日・入梅・土用・二百十日など
日本での暦法は、日本書紀によれば、持統天皇4年11月11日「勅を承ってはじめて元嘉暦と儀鳳暦を行う」とあり、実際に使われ始めたのは持統天皇6年(西暦692年)からだそうだ。暦法は、幾度となく改められ明治の太陽暦への改暦となったが、明治5年の改暦の布告には、4年ごとに閏年を置くことは記載されていたが、現在使用している置閏法が決定されたのは、明治31年勅令第90号(明治31年5月11日)によるもので、勅令は、次のとおり。
「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」・・・?読んでいても、よく意味、わからない?。
明治5年改暦時の太陽暦は「ユリウス暦 」といわれるものであったが、これは、1年を365日とし、4年に1度閏年を設け366日とするものであった。しかし、この方法では約130年に1日ずれが生じるので、これに、さらに調整を加え、100で割り切れるが400では割り切れない年は平年とするとしたものが、「グレゴリオ暦」であり、現在使われている太陽暦はこの「グレゴリオ暦」と言われるものであり、このことを、言っているんだね。
それにしても、「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ・・・」云々と有るが、神武天皇即位紀元は、神武天皇が即位したとされる辛酉年を元年とする紀元である。一般には皇紀(こうき)と呼ばれる。この、神武天皇即位紀(皇紀)については、日を改めて、書くことにしよう。
暦には、「日」~「土」の7日を1週とする七曜が印されている。日本では、平安時代に使われていたことが確認されており、暦に七曜が記載されるようになったのは、十世紀末頃かららしい。しかし、曜日は、現在のように日常的に暦を表すものとしては使用されておらず、日の吉凶の判断にしか利用されていなかったそうだ。
日本で曜日が本格的に利用されるようになったのはこの明治6年に太陽暦に改暦してからであり、休日についても、明治9年3月12日太政官達第27号により、公務に日曜日を休日する事が決められてからということである。
「カレンダーの日」は12月3日である。私のブログ「カレンダーの日」で採りあげたので、興味のある方は見てください。ここです。
(画像は、昭和64年=平成元年の高島暦。毎年、年が改まると運勢や吉凶を見ようと神社などで買う人が多い。)
参考:
旧暦の意味/大阪市立博物館
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/publish/text/koyomi/97.html
行政歴史研究会
http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/koyomi.htm
中野文庫 勅 語 (おことば)
http://www.geocities.jp/nakanolib/choku/chokugo.htm
七曜について
http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/calendar/7you.htm